3期続けて営業利益が減り、今期の着地見込みはほぼゼロになった。人事部が経営会議に出した案は、45歳以上の社員を対象に300人の希望退職を募るもので、割増退職金は1人平均1,200万円、総額36億円と試算されていた。 会議の議論は、36億円の特別損失を今期に出せるか、純資産の減少が借入の財務制限条項に触れないか、株価と取引先への説明をどうするか、に集まった。社長は最後にCFOへ、財務としてこの案をどう見るかと聞いた。 CFOの手元には、特別損失の額を出せるかという問いへの答えはあった。答えていなかったのは、300人が抜けた翌年から、会社の損益の構造がどう変わるかという問いだった。
特別損失の額は、判断材料の半分でしかない
特別損失は一度きりの費用である。経営会議がこの額の議論に時間を使うのは、額が大きく、決算の見た目と財務制限条項に直接効くからである。 出せるかどうかは確かに確かめる必要がある。だが、出せると分かったところで、実行してよいかどうかは何も決まっていない。
希望退職は、一時の費用を払って、将来の固定費を下げる投資である。 投資として判断するなら、見るべきは、下がった固定費で会社の損益の構造がどう変わるかと、払った費用を何か月で取り戻すかである。この二つを出さずに実行した構造改革は、売上高が下がり続ければ、数年で同じ議論に戻る。 損益分岐点が再び売上高に追いつくからである。
削減できる固定費は、人数×フルコストから、穴埋めで戻る分を引いて測る
まず、下がる固定費を測る。人事部の試算は、たいてい、退職する人の年収の合計である。 これを二段で直す。
一段目は、年収をフルコストに直すことである。 会社が負担する社会保険料などの法定福利費は、給与の15パーセント前後になる。そこに福利厚生の費用を足す。冒頭の会社で、対象の300人の平均年収が750万円なら、1人あたりのフルコストは約900万円で、300人で年27億円になる(人件費の管理会計、要員計画と人件費予算をつないで増員の可否を判断する)。
二段目は、業務の穴埋めで戻ってくる費用を引くことである。 人が減っても、業務が同じだけ減るとは限らない。残った社員の残業、派遣社員、外部への委託で埋めれば、固定費の一部が変動費や外注費に付け替わるだけである。希望退職には、辞めてほしくない人ほど応募するという癖もある。 社外でも通用する中堅の技術者や営業が抜けると、その穴を埋めるための中途採用が翌年に始まる。冒頭の会社で、業務の棚卸しをして穴埋めの費用を積むと、残業と派遣と委託で年8億円が戻る見込みになった。 純削減額は、27億円から8億円を引いた19億円になる。
業務量を先に減らさない人員削減は、固定費を付け替えるだけに終わる。 削減の前に、やめる業務、統合する拠点、外部に出す機能を決め、その業務量から適正な人数を逆算する。人数から先に決めると、穴埋めの費用が後から膨らむ。
損益分岐点がどこまで下がるかで、実行の意味を測る
純削減額が分かれば、損益分岐点の変化が出せる。損益分岐点の売上高は、固定費を限界利益率で割って求める(損益分岐点の出し方と使い方、固定費・変動費の分解から値上げや撤退の判断まで)。
数字を当てはめる。売上高は480億円、限界利益率は32パーセントで、限界利益は153.6億円。固定費は150億円で、営業利益は3.6億円である。 損益分岐点の売上高は約469億円で、今の売上高との差は2パーセント余りしかない。純削減額の19億円を引くと、固定費は131億円、損益分岐点の売上高は約409億円に下がり、営業利益は22.6億円になる。売上高が損益分岐点を上回る余裕は、2パーセント余りから約15パーセントに広がる。
ここで売上高の見通しを重ねる。 この会社の売上高が年5パーセントずつ減り続けるなら、3年後には約412億円で、下がった損益分岐点とほぼ並ぶ。300人を減らしても、3年後には今と同じ議論をしていることになる。 人員削減は損益分岐点の水準を下げるが、売上高の下り坂の傾きは変えない。経営会議には、削減後の損益分岐点と、売上高の見通しの線を同じ図に載せて出す。 二つの線が何年後に交わるかが、構造改革の効き目の期間である。交わる時期が近いなら、人員削減に加えて、不採算の事業からの撤退か、売上高の下げ止まりの手当てを同じ計画に入れる(撤退基準の決め方、起案時に数値と期限を置いて損切りを遅らせない)。
回収月数を、損益とキャッシュの二つで出す
次に、払った費用を何か月で取り戻すかを出す。回収月数は、一時の費用を、1か月あたりの純削減額で割って求める。
損益の回収月数は、割増退職金と再就職支援の費用を分子に置く。 割増退職金36億円に、再就職支援の委託費用を1人80万円として2.4億円を足し、38.4億円になる。1か月あたりの純削減額は約1.6億円なので、損益の回収月数は約24か月である。
キャッシュの回収月数は、これより長くなる。 この会社の退職金は退職一時金の制度で、会社の資金から払う。応募した300人の通常の退職金は平均1,000万円で、合計30億円である。損益の上ではすでに引当金として積んであるが、現金はこの時期にまとめて出ていく。いずれ払う金額の前倒しとはいえ、今の資金繰りには効く。 分子に30億円を足すと68.4億円になり、キャッシュの回収月数は約43か月、3年半を超える。 確定給付企業年金から支払う部分がある会社なら、会社の現金は出ないが、年金資産が減って積立の不足が広がれば、翌年度以降の掛金に跳ね返る。
二つの回収月数を、先ほどの二つの線が交わるまでの期間と比べる。 先の試算では、損益分岐点に売上高が追いつくのは約3年後で、キャッシュの回収月数はそれより長い。このまま実行すれば、使った現金を取り戻す前に、次の構造改革を議論することになる。
削減しない場合の数字と並べて、時間を買う値段を出す
経営会議に出す資料には、実行する案だけでなく、希望退職をしない場合に同じ人数が何年で減るかを並べる。
この会社の従業員は3,000人で、定年や自己都合で毎年約110人が辞めている。採用を必要な職種に絞れば、3年で約330人が減る計算になる。 割増退職金は要らない。希望退職は、この自然な減少を2年半ほど前倒しする取引である。辞める人のコストの構成が同じだと仮定して、3年間の純削減額の累計で比べると、希望退職で一度に減らす場合は約57億円になる。自然減で毎年110人が各年の半ばに辞めると置けば約31億円で、差は約26億円である。 この前倒しに払う一時費用は38.4億円で、3年の累計の差を上回る。
それでも希望退職を選ぶ理由があるとすれば、時間である。 損益分岐点との余裕が2パーセント余りしかない状態で3年待てば、その間に赤字に転落し、財務制限条項に触れる年が来るかもしれない。自然減は、辞める人を選べないので、残したい部署から人が抜けることもある。時間を買う値段が38.4億円で、その時間にどれだけの価値があるかを、経営会議に判断させる。 賃上げの原資をどこから出すかも、同じ表の上で議論できる(賃上げの原資をどこから出すか、人件費の上昇を価格・生産性・投資で吸収する)。
工作機械の部品メーカー(非上場、売上高480億円、従業員3,000人、3月決算)。3期続けて減益となり、人事部は45歳以上を対象に300人の希望退職を提案した。 割増退職金は36億円で、純資産と財務制限条項への影響は許容の範囲だった。CFOは経営会議の前に、三つの資料を作った。一つ目は純削減額で、業務の棚卸しから穴埋めの費用を年8億円と見積もり、年27億円の人件費の削減が純額では19億円になることを示した。 二つ目は損益分岐点で、削減後に約409億円まで下がるが、売上高が年5パーセントずつ減る見通しでは約3年で追いつくことを一枚の図にした。三つ目は回収月数で、損益では約24か月、退職一時金の支払を含むキャッシュでは約43か月になった。 自然減との比較も添えた。経営会議は、希望退職の規模を変えないまま、計画を組み直した。利益の出ていない二つの製品系列からの撤退を同時に決め、その業務に就いていた人員を削減の対象の中心にすることで、穴埋めの費用の見積りを年3億円まで下げた。 純削減額は24億円になった。撤退で売上高は約30億円、限界利益は約5億円減るが、削減後の営業利益の見込みは当初の案と同程度の約22億円を保ち、損益分岐点の売上高は約380億円まで下がった。取締役会の資料の中心には、特別損失の額に代えて、損益分岐点の線と売上高の見通しの線が交わる時期を置き、2年後にこの二つの線を見直すことを決議に入れた。
※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。
希望退職の判断で経営会議に出す三つの数字
第一に、削減できる固定費を、純額で測る。 退職者の年収の合計ではなく、法定福利費などを含めたフルコストから、残業や派遣や委託で業務の穴を埋める費用を引く。やめる業務を先に決め、その業務量から人数を逆算する。
第二に、損益分岐点の売上高が削減後にどこまで下がるかを出し、売上高の見通しの線と重ねる。 二つの線が交わるまでの年数が、構造改革の効き目の期間である。交わる時期が近いなら、撤退や売上高の下げ止まりの手当てを同じ計画に入れる。
第三に、回収月数を損益とキャッシュの二つで出し、自然減の場合と並べる。 退職一時金を会社の資金で払うなら、キャッシュの回収は大きく延びる。希望退職は時間を買う取引であり、その値段と、買う時間の価値を経営会議に判断させる。



