仕入先が民事再生を申し立てたという連絡が、調達部門から回ってくる。経理の最初の反応は「うちは買う側だから、売掛金は無い」である。実際、無い。 三日後、状況が変わる。その会社に預けている金型が十八型あった。前渡金が4,200万円あった。 そして最も重い事実が出てくる。その部材が乗っている製品ラインが、来週から止まる。 貸倒損失はゼロで、損益への影響は数億円になる。与信管理の表には、この会社の名前が一度も載ったことがない。
買う側は債権を持たない、という思い込み
与信管理は、売る側の仕事だと理解されている。売掛金があり、貸倒引当金があり、限度額があり、担当部門は営業管理か債権管理である。 買う側には売掛金が無いので、与信の対象にならない。
この理解は、半分しか当たっていない。買う側も、相手に預けているものを持っている。
第一に、前渡金と前払費用。 特注品、長納期部材、金型代の一部前払い。第二に、有償支給材の未収。 材料を有償で支給し、加工品として買い戻す取引では、支給した材料の代金が回収前の状態で相手の工場にある。第三に、預けている型と治具。 金型、木型、樹脂型、検査治具。所有権は自社にあり、現物は相手にある。第四に、貸与設備。 専用の加工機、検査装置、計測器。第五に、VMI(ベンダー管理在庫)の在庫。 相手の管理下にある自社所有の在庫。第六に、共同開発の仕掛。 開発費を負担しながら、成果物がまだ相手の手元にあるもの。
これらは会計上、売掛金と同じ列には並ばない。 前渡金は流動資産、金型は有形固定資産または貯蔵品、支給材は棚卸資産。科目が散っているので、「この仕入先に対するエクスポージャーは合計いくらか」という問いに、多くの会社は即答できない。
即答できない金額は、リスク管理の対象にならない。最初にやるのは、仕入先別に、この六つを横に足す一枚を作ることである。
取戻権は「あるかどうか」ではなく「行使できる状態か」
金型や治具は所有権が自社にある。だから取り戻せる、と考えるのは早い。 破産法第62条が保護するのは所有権そのものであって、その所有権を立証できない状態や、現物を特定できない状態まで救ってくれるわけではない。
実務で問題になるのは、四点である。
第一に、契約書に所有権の所在が書かれているか。 型の製作費を自社が負担していても、契約書に所有権の帰属が明記されていない例は珍しくない。発注書と請求書だけで所有権を主張することになると、争いになる。 型の取引については、経済産業省・中小企業庁が設置した「型取引の適正化推進協議会」が令和元年12月に報告書を公表し、型代金の支払い、型の保管・廃棄・返却の適正化に向けた基本的な考え方を示している。協議会が扱う「型取引」には、金型だけでなく木型、樹脂型、治具などが含まれる。 取引の適正化という文脈で語られることが多いが、所有権と保管責任を契約で明確にしておくことは、そのまま倒産時の取戻権の前提になる。
第二に、現物に所有表示があるか。 型番、自社名、管理番号のプレート。管財人と第三者が並んだ場面で効くのは、書類より現物の刻印である。
第三に、特定できるか。 支給材やVMI在庫のように、相手の同種の在庫と混ざるものは、混ざった時点で「自社の物」として取り出せなくなる可能性がある。 保管場所を分ける、ロットを分ける、受払を記録する。これは契約ではなく運用の問題である。
第四に、直近の所在確認の記録があるか。 一年前の一覧表しか無ければ、その間に廃棄されていても転売されていても分からない。
- ① 契約書または覚書に、所有権が自社にあることが明記されているか
- ② 保管の責任、保管料の有無、返却・廃棄の条件が書かれているか
- ③ 現物に、自社名または管理番号の表示があるか
- ④ 相手の同種在庫・他社の型と、保管場所または識別で分けられているか
- ⑤ 直近一年以内に、現物の所在を写真または現地確認で押さえているか
- ⑥ 台帳の数量と、相手が保管していると回答した数量が一致しているか
- ⑦ 量産が終了した型について、返却・廃棄・継続保管のいずれにするかが決まっているか
七番目が、実際には最も件数が多い。量産が終わった型が、返却も廃棄もされないまま相手の倉庫に残り続けている。 台帳には資産として載っており、相手が倒れれば取り戻す対象になるが、取り戻したところで使い道が無い。 平時に整理しておけば、倒産時に数える対象そのものが減る。
本当の損失は、債権額ではない
エクスポージャーの一覧を作ると、次の疑問が出る。この金額を守るために、いくらまで手をかけてよいのか。
ここで、金額の桁が変わる。買う側の損失の主要部分は、預けた資産でも前渡金でもない。供給が止まることによる、売上の断絶である。
計算は単純である。その部材を別の調達先に切り替えるまでの日数に、その部材が乗っている製品の日次の粗利を掛ける。
日数を短く見積もる会社が多い。「図面はあるので、他社に出せばすぐできる」。 実際には、そうならない。第二の調達先が図面を持っていても、専用の型が要る部材なら、型の製作に数週間から数か月かかる。 そのうえ、初期の品質確認、工程監査、量産の立ち上げ、そして顧客の承認が要る製品なら顧客側の変更承認まで必要になる。自動車、医療機器、航空、電力といった領域では、変更承認だけで数か月かかることがある。
この金額が出ると、判断が変わる。 年間の購入額が3,000万円の部材でも、止まると年間40億円の製品ラインが停止するなら、二次調達先を確保するために年数百万円を払うことが合理になる。 購入額だけを見ていると、この判断は出てこない。
重要仕入先の定義を、金額でなく代替不能性で書く
全仕入先を監視することはできない。だから「重要仕入先」を定義するのだが、定義を購入金額で置いた瞬間に、網が間違った方向に張られる。
購入金額の上位二十社は、たいてい大手である。大手は倒れにくく、倒れる場合も兆候が長い。 一方、金額は小さいのに止まると全部止まる部材が、たいていある。 専用のコネクタ、特殊なネジ、専用IC、特定の表面処理、単一の熱処理業者。購入額が年間数百万円で、代替先がゼロという先が、監視の網から落ちている。
定義は、三つの条件のいずれかに該当することで置く。
第一に、単一調達であること。 その部材・工程を、一社からしか買っていない。第二に、切替日数が長いこと。 別の調達先に切り替えるまで、九十日を超える。第三に、自社の資産を預けていること。 型、治具、貸与設備、前渡金、支給材のいずれかが、その相手の手元にある。
この三条件で拾うと、金額上位のリストとは半分以上が入れ替わる。 そして拾われた先の数は、多くの会社で二十社から五十社程度に収まる。その規模なら、監視は現実的に運用できる。
兆候は、買う側にしか見えないところに出る
対象が決まったら、何を見るか。決算書ではない。 決算書が示すのは、最も新しくても半年以上前の姿である。この点は、売る側の与信でも同じ結論になる(取引先の倒産は決算書の与信では防げない、自社の取引データで兆候をつかむ)。
ただし、買う側が拾えるシグナルは、売る側とは別物である。 売る側が見るのは、入金の遅れ、支払サイトの延長要請、注文の急な変動。買う側が見るのは、供給の質と、資金繰りの要請の向きである。
第一に、納期遵守率の低下と分納の増加。 材料が買えていないと、まとめて作れなくなる。分納は、資金繰りの悪化が最も早く現れる場所の一つである。
第二に、支払条件の変更要請。 前払いにしてほしい、支払サイトを短くしてほしい、現金で払ってほしい。売る側から見れば入金の遅れが兆候だが、買う側から見れば「早く払ってくれ」という要請が兆候になる。向きが逆である。
第三に、最低ロットの引上げと小口注文の受注拒否。 段取り替えのコストを吸収できなくなっている。
第四に、品質不良率の上昇と検査記録の遅れ。 人が抜けている。検査員や品質保証の担当者は、経営が苦しくなったときに最初に減る職種である。
第五に、見積回答の遅延と、担当者の頻繁な交代。
第六に、設備の売却、工場の一部閉鎖、賃借している倉庫の解約。 これは現地に行かないと分からない。
買う側だけが持つ道具がある
そして、買う側には売る側に無い道具が一つある。相手の現場に、正当な名目で入れることである。
品質監査、工程監査、量産前の立会い、改善活動。これらは調達と品質保証が日常的に行っている活動で、断られる理由が無い。 相手の工場に入れば、決算書より早い情報が取れる。
棚に材料があるか。 仕掛品が滞留していないか。人が減っていないか。 ラインに立っている人数、事務所の空席、掲示板の求人。設備が止まっていないか。 稼働していない機械にシートがかかっていないか。そして、自社が預けている型と設備が、そこにあるか。
これを「与信の情報収集」としてやると、相手は身構える。そうではなく、既にやっている工程監査のチェックリストに、数項目を足すだけでよい。 監査に行った担当者が、決められた項目を見て帰ってくる。その報告が、四半期ごとに調達と経理に共有される経路を作る。
財務のモニタリングと現場のモニタリングを、別の部署が別の目的でやっているのが普通の状態である。 つなぐのは、共有の一覧一枚で足りる。
売上高430億円の産業用計測機器メーカーで、仕入先の与信は「取引開始時に決算書を一度取る」以外に何も無かった。きっかけは、年商8億円の表面処理業者が事業を停止したことである。 年間の購入額は2,700万円で、購入額の順位は仕入先112社中の47位。買掛金の残高が1,900万円あり、これは支払わなければならない側なので損失にならない。 実際に起きたのは別のことだった。その処理が乗っていた製品が二機種あり、月商にして4.1億円。代替の処理業者を探し、試作と品質確認を経て量産に戻るまで、97日かかった。 うち34日は、その処理を前提に取得していた製品認証の変更手続に費やされている。この件を受けて、CFOと調達部長が組んだのは三つである。 一つ目は、仕入先別のエクスポージャー一覧を作ること。前渡金、有償支給材の未収、預けている型・治具、貸与設備、VMI在庫を横に足した。 全社で、金額は11億4,000万円。そのうち預けている型の帳簿価額が6億2,000万円で、型の数は1,847型。 そして、そのうち391型は、量産が三年以上前に終わっていた。 二つ目は、重要仕入先の定義の書き換えである。購入金額の上位二十社という定義をやめ、単一調達である・切替日数が90日を超える・自社資産を預けている、のいずれかに該当する先とした。 該当は38社。このうち、購入金額の上位二十社に入っていたのは9社だけだった。 残る29社は、それまで一度も監視の対象になっていない。三つ目は、既にある工程監査のチェックリストに六項目を足したことである。 原材料の在庫水準、仕掛品の滞留、ラインの稼働状況、事務所と製造現場の在籍人数の前回比、掲示されている求人、そして自社が預けている型と設備の現物確認。新しい訪問を増やしたのではなく、年2回行っている監査の様式を変えただけである。 費用はほぼ発生していない。運用の変更で最も効いたのは、報告先だった。 監査の結果は品質保証部に留まっていたが、六項目の部分だけを抜き出して、四半期ごとに調達と経理へ回すようにした。二年目に、この経路が機能する。 単一調達の精密加工業者について、監査に行った担当者が「前回は12名いた製造現場が7名になっている」と報告した。決算書には何も出ていない。 調達がヒアリングをかけたところ、主要な取引先を一社失っていたことが分かった。その時点から、二次調達先の選定を始めている。 十四か月後にその会社は廃業したが、切替は完了していた。 調達部長はこう言っている。決算書を取り寄せていたら間に合わなかった。人数が減っているという情報は、決算書には半年後にしか出てこない。
※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。
買う側の与信管理で決める三つのこと
第一に、仕入先別のエクスポージャーを一枚に横に足す。 前渡金と前払費用、有償支給材の未収、預けている型と治具、貸与設備、VMI在庫、共同開発の仕掛。これらは会計上、流動資産・有形固定資産・棚卸資産に散っており、「この仕入先に対する合計はいくらか」に即答できない状態が普通である。 即答できない金額は、リスク管理の対象にならない。そのうえで、預けた資産については取戻権を行使できる状態かを年に一度点検する。 破産法第62条は破産者に属しない財産を破産財団から取り戻す権利に破産手続の開始が影響を及ぼさないと定めているが、保護されるのは所有権であって、立証できない所有権と、他社の物と混ざって特定できない現物は救われない。 契約書への所有権の明記、現物への所有表示、保管の分離、直近一年以内の所在確認。そして量産が終わった型の返却・廃棄・継続保管を決める。 決めておけば、倒産時に数える対象そのものが減る。
第二に、重要仕入先の定義を、購入金額から代替不能性へ書き換える。 金額上位二十社という定義では、金額は小さいのに止まると全部止まる部材——専用コネクタ、特殊ネジ、専用IC、単一の表面処理や熱処理——が網から落ちる。単一調達であること、切替日数が九十日を超えること、自社の資産を預けていること。この三条件のいずれかで拾う。 拾った先は多くの会社で二十社から五十社に収まり、その規模なら監視を運用できる。そして損失は債権額ではなく、切替までの日数に止まる製品の日次粗利を掛けて金額化する。 図面があるから切り替えは早いという見積りは、専用型の製作期間、品質確認、量産立ち上げ、そして顧客側の変更承認を数えていない。金額化して初めて、二次調達先の確保にいくら払えるかが決まる。
第三に、兆候の取り方を、決算書から現場と要請の向きへ移す。 買う側が拾えるのは、納期遵守率の低下と分納の増加、前払いや支払サイト短縮という「早く払ってくれ」という向きの要請、最低ロットの引上げ、品質不良率の上昇と検査記録の遅れ、見積回答の遅延と担当者の頻繁な交代である。2026年1月1日施行の中小受託取引適正化法により対象取引の手形払いが禁止された結果、手形のジャンプという古典的な合図は使えなくなった。依存していたなら、代わりの合図を明示的に置き直す。 そして買う側だけが持つ道具を使う。品質監査や工程監査で相手の現場に入れることは、売る側には無い特権である。 既にあるチェックリストに、原材料の在庫水準、仕掛品の滞留、ラインの稼働、在籍人数の前回比、掲示された求人、預けている型と設備の現物確認を足す。新しい訪問を増やす必要は無い。 効かせるために変えるのは報告先で、品質保証部に留まっているその結果を、調達と経理へ四半期ごとに共有する経路を作る。
重要仕入先が倒れたときの損失は、預けた資産や前渡金より、切替までの日数に止まる製品の日次粗利を掛けた額のほうが大きくなりやすい。倒れてからの交渉では間に合わないので、平時に次を整える。
- 前渡金、預けた型や設備、VMI在庫を仕入先ごとに合計し、エクスポージャーを一つの数字にする
- 預けた資産の所有権を契約に書き、所有表示と保管の分離、所在確認をそろえて、取戻権を行使できる状態にしておく
- 監視先を購入金額でなく、単一調達・切替日数・預け資産の三条件で選び直し、工程監査で見た現場の様子を四半期ごとに調達と経理へ回す



