「資本コストを意識した経営を」――東証がこう号令をかけてから、取締役会でこの言葉を聞かない月はなくなった。だが正直に言おう。自社の資本コストを、桁レベルでもいいから即答できるCFOは驚くほど少ない。WACC(加重平均資本コスト=借入と株主資本のコストを資金構成で混ぜた、その会社全体の「最低限稼ぐべき利回り」)を学者の数式として眺めているうちは、経営の武器にならない。
まず自社のWACCをざっくり出す――精緻さより桁を取りにいく
WACCの構造はシンプルだ。株主資本コストと負債コストを、それぞれの構成比で加重平均する。負債コストに「(1−税率)」が掛かるのは、支払利息が損金になり税金を減らすぶん、実質負担が軽くなるからだ(節税効果)。
問題は株主資本コストの出し方で、ここでCAPM(資本資産価格モデル)を使う。それぞれの足元の相場観を押さえておく。
各部品の足元の相場観は次のとおり。
- リスクフリーレート:10年国債利回りが実務の定番。2026年新発10年国債は2.3%台、3月には約27年ぶりの2.38%。ゼロ金利前提のまま放置するとWACCを構造的に過小評価する
- 市場リスクプレミアム:日本株はおおむね5〜6%が実務水準。精密に当てるより5.5%前後を置いて感応度を見る
- β:上場なら実績β、非上場は同業上場のβを参照。市場平均並み1.0前後/ディフェンシブ0.7〜0.9/景気敏感1.2以上が肌感覚
仮にリスクフリー2.3%、β1.0、市場リスクプレミアム5.5%なら、株主資本コストは2.3+1.0×5.5=7.8%。負債コストを借入金利2.5%、実効税率を約30.6%(東京の外形標準課税適用の大企業で、2026年12月期はおおむね30.6%。なお防衛特別法人税の付加で2027年12月期以降は31.5%前後へ上がる見込み)とすると、税引後負債コストは2.5×(1−0.306)≒1.7%。資本構成が株主資本7:負債3なら、WACC=7.8×0.7+1.7×0.3≒6.0%。
桁が取れた。この6%が、自社が稼ぐべき最低ラインの第一近似だ。小数第一位まで合わせにいく必要はない。
WACCをそのままハードルレートにしてはいけない――調整の作法
ここがCFOの腕の見せどころで、多くの会社がつまずく。全社一律のWACCを、すべての投資案件のハードルレートにそのまま当ててはならない。理由は二つある。
一つ目は事業リスクの違いだ。既存の安定事業と、新規の海外進出や新製品開発では、背負うリスクがまったく違う。全社WACC6%を新規事業にそのまま当てると、リスクの高い案件を甘く評価し、過大投資を招く。逆に低リスクの設備更新に高いハードルを課せば、本来やるべき投資を取りこぼす。
二つ目はWACCは「最低ライン」であって「目標」ではないことだ。WACCちょうどを稼ぐ投資は、理論上は価値を生むが、見積もりの誤差を考えれば実質トントンに近い。だから多くの企業は、WACCに数%上乗せした水準を社内ハードルレートに置く。
ここで効くのが、WACCを単なる割引率の部品で終わらせず、投資規律の閾値(しきいち)として明文化するという発想だ。数字そのものより、数字を運用ルールに変える設計が経営を変える。
取締役会で「この投資はWACCを上回るか」に即答する手順
CFOが取締役会で問われるのは、難解なファイナンス理論ではない。「この投資は資本コストを上回るのか、イエスかノーか」だ。ここに一本の判断線を引く。
取締役会での結論は、「IRR○%、ハードル○%、よって上回る/下回る」という一文に集約する。そして前提の急所――「金利が1%上がるとハードルは約0.7%上がり、本件IRRとの差が縮む」「為替が円高に振れると現地キャッシュが目減りしIRRが落ちる」――を一言添えると、判断の質が一段上がる。
最後に釘を刺しておく。WACCの怖さは、一度作った数字を放置することだ。長期金利はこの数年で景色が変わった。



