投資稟議に添付された資料に、NPVが一つだけ書いてある。四億二千万円。役員会で誰かが「この売上見込みが二割落ちたらどうなるのか」と聞く。起案部門は「持ち帰って再計算します」と答える。この瞬間、議論は投資の是非から数字の再計算に落ちて、決めるべき論点が先送りになる。単一のNPVは「前提がすべて当たった場合の答え」であって、意思決定に必要な情報ではない。必要なのは、どの前提が結論をひっくり返すのか、そしてどこまで悪くなったら成立しなくなるのかだ。
一本の線では、議論が数字の応酬になる
投資評価の計算そのものは難しくない。将来キャッシュフローを見積もり、割引率で現在価値に直し、投資額を引く。詰まるのは計算ではなく、その手前の見積もりが不確実だという事実の扱い方だ。売上の伸び、原価率、稼働率、立ち上がりまでの期間——どれも当てにいく数字であって、当たる数字ではない。
一本のNPVを出すと、議論はその一本の妥当性をめぐる応酬になる。「この売上は強気すぎる」「いや保守的に見ている」。互いに前提を言い合っても、その前提が結論をどれだけ動かすのかが分からないので、決着しない。実際には、多くの前提はNPVをほとんど動かさない。動かすのは二つか三つだ。それを先に特定してしまえば、議論の対象はその二つか三つに絞れる。指標そのものの使い分けは別稿に譲る(投資判断でNPV・IRR・回収期間をどう使い分けるか:3指標の落とし穴と併用ルール)。
感度分析——一つずつ振って、効く前提を見つける
感度分析の手順は単純だ。前提を一つだけ動かし、他は基準値のまま固定して、NPVがいくらになるかを見る。これを主要な前提について繰り返し、影響額の大きい順に並べる。横棒を並べた形が竜巻に似ているのでトルネード図と呼ばれる。
ここで実務が崩れるのは、振り幅の決め方だ。全部を一律に±10%で振ると、比較そのものが意味を失う。売上が10%ぶれるのと、割引率が10%ぶれるのでは、現実に起こる確率がまるで違うからだ。振り幅は、その前提が現実にどこまで振れうるかで決める。過去実績のばらつき、同種案件の実績、外部の価格レンジ——根拠のあるレンジを一項目ずつ置く。根拠が置けない前提は、その旨を注記して幅を広めに取る。ここを揃えるだけで、トルネード図の順位は意思決定の役に立つ順位になる。
出てきた順位は、そのまま管理すべき項目の順位でもある。一位が稼働率なら、投資後にまず見るべき指標は稼働率だ。感度分析は投資判断の道具であると同時に、投資後のモニタリング項目を決める道具でもある。
感度とシナリオは、役割が違う
シナリオは「楽観・標準・悲観」の三本では機能しない
シナリオ分析でよくあるのが、全部の前提を良い方向に振った楽観と、全部悪い方向に振った悲観を作るやり方だ。これは二つの理由で使われない。ひとつは、すべての前提が同時に最悪になる確率が現実的でなく、悲観ケースを誰も信じないこと。もうひとつは、そのケースが起きたときに何をすべきかが読み取れないことだ。
機能するシナリオは、外部環境の物語から作る。「主要顧客の設備投資が一年先送りになる」「競合が同等品を投入して単価が一割下がる」——起きうる事象をひとつ置き、その事象から連動して動く前提だけをまとめて振る。単価が下がるなら数量は増えるかもしれない、といった相関も織り込む。こうして作ったシナリオは、起案部門も「それは起こりうる」と認めるので、対策の議論に進める。
そのうえで、破綻点を出す。売上が何パーセント下振れするとNPVがゼロになるか、稼働率が何パーセントを割ると成立しなくなるか。この数字は、投資判断の場では「どこまでなら耐えられるか」の答えになり、投資後は撤退や見直しの発動条件になる。割引率をいくつ置くかで破綻点は動くので、社内のハードルレートの決め方と併せて確認しておきたい(ハードルレート(要求収益率)の決め方:WACCをそのまま使ってはいけない理由)。
分析をやらない本当の理由は、モデルが振れないこと
感度分析の考え方に反対する人はいない。それでも実務で行われないのは、手元の投資計算モデルが前提を振れる作りになっていないからだ。エクセルの中で、売上の伸び率が数式に直接打ち込まれている。原価率がセルの中に定数として埋まっている。この状態では、一つの前提を変えるのに二十か所を書き換えることになり、誰もやらなくなる。
だから最初にやるべきは分析ではなく、モデルの構造を直すことになる。要点は三つだ。
- 前提はすべて入力シートに集める。 計算シートの数式に数値を直接書かない。前提の一覧が一枚にあれば、そこに感度の振り幅を並べるだけで分析が回る。
- 前提には出典と根拠を一列添える。 「営業部門ヒアリング」「過去三年の平均」「取引先見積」。この列があると、レビューで「この数字はどこから来たのか」に即答でき、振り幅の妥当性も議論できる。
- 結果を一か所に集約する。 NPV・IRR・回収期間を一つの結果セルに置き、前提を変えると即座に更新される状態にする。これがあれば、会議の場で「では単価を五パーセント下げてみましょう」に応えられる。
この構造にしておくと、前提を振る作業は数分で終わる。逆にいえば、感度分析が手間だと感じている時点で、モデルの側に問題がある。そして同じ構造は投資後の実績追跡にも効く。前提が一覧になっていれば、実際の稼働率や単価がどこまで計画から外れているかを、そのまま突き合わせられる。
会議に出すのは三枚でいい
分析は作り込めるが、意思決定の場に持ち込むのは三つに絞る。効く前提を順位づけたトルネード図、破綻点の一覧、そしてシナリオ別のNPVだ。これに「投資後に何を見るか」を一行添えれば、稟議は数字の応酬ではなく、リスクの引き受け方の議論になる。前提の置き方そのものが揺れているなら、計画の作り方から見直す必要がある(事業計画と整合する中期経営計画の数字設計:絵に描いた中計にしないために)。



