4月1日付で、経理課長が役職を外れる。55歳の役職定年である。 在籍は二十八年、連結も税務も、監査法人との過去の論点の経緯も、すべて頭に入っている。後任の課長は、かつての部下で四十一歳。辞令の上で、元課長は課員になり、担当は固定資産と税務申告の補助になった。 本決算が近づくと、後任の課長は判断に迷うたびに元課長の席へ行く。元課長は経緯を説明するが、最後にこう言う。「それは課長が決めることだから」。 引き継ぎの資料は一枚も増えない。そして5月の残業時間の集計で、人事部から問い合わせが来る。 元課長の時間外労働が、部内で二番目に多かった。
役職を外すと、責任は消えるのに作業が残る
役職定年の目的は、たいてい二つある。ポストを空けて次の世代を登用すること、そして年齢の高い層の人件費を抑えることである。 一つ目の目的は、辞令の日に達成される。問題は、外した人をどこに置くかである。
多くの会社は、元課長を同じ部の課員にし、担当業務を割り当てる。割り当てられるのは、後任の課長が手放してもよいと考える業務で、固定資産台帳の管理や申告書の作成補助のように、手順が決まっている作業になりやすい。 判断を要する仕事は、課長の職責として後任に移る。だが判断の材料、つまり過去にどういう事情でその処理にしたか、監査法人と何を合意したか、税務調査で何を指摘されたかは、元課長の頭に残ったままである。
後任はその材料を取りに、元課長の席へ行く。元課長は答えるが、結論は出さない。決裁の権限を外されたからである。 答えは口頭で渡され、どこにも書かれない。知識は移転しているように見えて、毎回、その場で貸し出されているだけである。 元課長が定年で抜けた日に、材料は全部なくなる(経理の属人化を解消する手順、担当者が替わっても締まる標準化)。
管理監督者を外れた本人に、決算の作業が集まる
冒頭の残業の問い合わせは、偶然ではない。決算期に後任の課長が判断に集中しようとすると、手順の決まった作業は、それを一番速く正確にこなせる元課長に集まる。 そして元課長は、もう管理監督者ではない。
課長時代に月給60万円(基本給52万円、役職手当8万円)で、役職定年で役職手当がなくなり基本給が1割下がる会社を考える。割増賃金の算定基礎を基本給だけとし、月の所定労働時間を160時間、決算期の4か月に月40時間の時間外労働があるとする。
| 項目 | 課長のとき | 役職定年後(役職手当なし) | 役職定年後(職務手当5万円を新設) |
|---|---|---|---|
| 月例の給与 | 60万円 | 46.8万円 | 51.8万円 |
| 時間外1時間あたりの支払額(×1.25) | 発生しない | 3,656円 | 4,047円 |
| 決算期4か月・月40時間の時間外手当 | 0円 | 58.5万円 | 64.8万円 |
| 年額(賞与を除く) | 720万円 | 620.1万円 | 686.4万円 |
| 課長のときに対する比率 | 100% | 86.1% | 95.3% |
役職手当と基本給の1割、あわせて年に158.4万円を下げても、決算期に月40時間の時間外があれば58.5万円の時間外手当が発生し、本人の年額は620.1万円になる。 職務手当は、労働基準法第37条第5項と施行規則第21条が割増賃金の基礎から除く家族手当、通勤手当、住宅手当などに当たらないので、算定基礎に入る。職務手当を新設すれば、1時間あたりの割増も上がる。
もっとも、この58.5万円のすべてが配置の値段ではない。 決算期の手順作業は、元課長に寄せなければ、別の誰かが残業で片づける。月例の給与30万円の担当者が、同じ4か月・月40時間を時間外でこなせば、同じ前提で1時間あたり2,344円、合計37.5万円になる。配置で余分にかかるのは、その差の年21万円である。 金額だけなら大きくはない。問題は二つある。
一つは、単価の高い人の時間を、一番代替しやすい作業に使っていることである。 元課長の時間は、経緯を書いて渡すという、本人にしかできない仕事と取り合いになる。決算期に手順作業で埋まれば、判断の材料はまた口頭で貸し出される。もう一つは、労働時間の上限である。 課長として管理監督者に扱われていたときは、労働時間の規定の外にいたので、決算期に何時間でも張り付けた。役職を外れた日から、元課長の時間外も36協定の上限と特別条項の回数の中に入る。決算期に一番頼りにしていた人の時間に、上限がかかる(決算期の残業を36協定の特別条項の範囲に収める、締め業務の組み立て方)。手順を早く片づけるほど本人の年収が下がるという誘因も、専門職の等級と同じ形で生まれる。手順作業を寄せる配置は、割高な時間の使い方であり、上限にもぶつかる。
降格の代わりに、三つの職務を新設する
置き方を変える。元課長を課員にして作業を割り当てるのではなく、経理部に、成果物で定義した職務を新しく置いてそこに就ける。 経理の実務で、在籍の長い人にしか担えず、しかも課長の日常の判断とぶつからない職務は、三つある。
一つ目は監査対応。 監査法人との論点協議の窓口を持ち、過去に合意した会計処理の経緯を文書にして、期中の論点を監査計画の段階で先に出す。成果物は、論点ごとの経緯のメモと、期末に監査法人から新しく出た指摘の件数である。 業務執行社員が交代した年に、同じ論点を最初から説明し直さずに済むかどうかは、この職務の出来に大きく左右される。
二つ目は、税務判断である。 申告書の最終レビュー、税務調査の主担当、組織再編や新しい取引の税務上の論点の事前整理を持つ。成果物は、レビューで差し戻した誤りの件数と重要度、調査で指摘された事項への対応の記録である。
三つ目は、後進の検証である。 若手と中堅が作った決算の成果物、たとえば引当金の計算、税効果のスケジュール、連結の調整仕訳を、提出の前にレビューし、差し戻す権限を持つ。成果物は、差し戻しの記録と、同じ誤りが次の期に減ったかどうかである。 検証の役を持つと、判断の材料を口頭で貸し出す代わりに、差し戻しの理由として書いて残すことになる。知識の移転が、職務の成果物そのものになる(経理のベテラン依存から次世代へ、知識を3年で移す世代交代計画)。
三つとも、判断の最終責任は課長と部長に残る。新しい職務が持つのは、判断の材料を先に出す責任と、誤りを止める権限である。 課長の職責とぶつからないのは、このためである。
評価と報酬を、職務につなぐ
職務を置いても、評価と報酬がそこにつながっていなければ、数年で元の課員の扱いに戻る。役職定年の後の評価が、行動評価の文言で書かれた一般社員の基準のままだと、何をすれば評価されるのかが本人にも上司にも分からない。
評価は、職務の成果物で行う。監査対応なら、期中に先に出した論点の数と、期末に初めて出た指摘の件数。税務判断なら、レビューで止めた誤りの重要度。後進の検証なら、差し戻した誤りが次の期に同じ人から出たかどうか。 数えられる形にしておけば、評価する課長が年下であっても、評価の根拠を説明できる。
報酬は、職務手当で職務につなぐ。上の表のとおり、職務手当は割増賃金の算定基礎に入るので、決算期の時間外を見込んで総額で設計する。 時間外が減るほど年収が下がる形にしないためには、職務の成果物で年額の一部を決め、時間外の見込みを減らした分を職務手当の側で吸収する考え方もある。
そして、ここで設計を誤ると、職務は「昇格できなかった人の置き場」になる。専門職のコースを作るときと同じく、要件を成果物で書けない職務は置かず、任期を切り、再任の要件と、再任されなかった場合の処遇を、最初に書面で本人に渡す(経理に専門職コースを置くか、管理職を経ないと報酬が上がらない設計の問題)。役職定年を迎える全員をこの職務に就けるのではない。要件を満たす人がいなければ、その職務は置かない。 年齢で一律に役職を外す制度と、職務で処遇する制度は、同じ規程の中で両立させることができる(経理の職務等級と報酬テーブルを、年功から業務難易度へ組み替える手順)。
売上高760億円の住宅設備メーカー(東証スタンダード上場、3月決算)。経理部は26名で、役職定年は55歳。 3年の間に、課長3名が役職を外れ、課員として固定資産、税務申告の補助、支払の照合を担当していた。見直しのきっかけは、監査法人の業務執行社員が交代した年の期末監査である。 新しい業務執行社員から、5年前に決めた関係会社への貸付金の評価の考え方を聞かれ、後任の課長が答えられなかった。当時の経緯を知っていたのは、役職を外れた元課長だけで、その元課長は同じ週に、別の課員の代わりに支払照合の残業をしていた。 人事部と経理部長が3人の過去2年の勤怠を集計すると、3人の時間外労働は決算期の4か月に集中し、部内の時間外の合計の約3割を占めていた。 課長時代には発生していなかった時間外手当は、3人で年に約170万円だった。経理部長は、三つの職務を新設する案を役員会に出した。 監査対応、税務レビュー、決算レビューで、それぞれ成果物を5から7項目で書いた。監査対応は、論点ごとの経緯メモの作成と更新、監査計画の協議への同席、期中の論点の事前提示。税務レビューは、法人税と消費税の申告書の最終レビュー、税務調査の主担当。決算レビューは、引当金、税効果、連結調整の成果物のレビューと差し戻し。 任期は2年とし、再任の審査は同じ要件で行う。職務手当を新設し、決算期の時間外の見込みを含めた年額で、課長時代の9割程度になるように置いた。3人を要件に当てはめると、監査対応と税務レビューには1人ずつ当てはまり、残る1人は決算レビューの要件のうち連結調整の項目を満たさなかった。 その1人は、決算レビューの職務を連結を除いた範囲で置き、連結は後任の課長代理と組んで2年で要件を満たす計画を書いた。1年目の終わり、監査対応の元課長が作った経緯メモは38本になった。 期末監査で新しく出た指摘は前年の7件から3件に減り、3人の時間外労働は前年の約半分になっている。後任の課長の言葉が、部の振り返りに残っている。元課長に聞きに行く回数は減っていないが、聞く前にメモを読むようになった。
※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。
役職定年後の配置で押さえる三つのこと
第一に、役職を外した人を、課員として作業に置かない。 判断の責任が後任に移っても、判断の材料は本人の頭に残り、口頭で貸し出されるだけで移転しない。高年齢者雇用安定法第9条は65歳までの雇用確保措置を義務づけ、老齢厚生年金(報酬比例部分)の支給開始年齢以上の人に限って継続雇用の対象者を絞れた経過措置も令和7年3月31日で終わった。55歳で役職を外れた人は、希望すれば少なくとも10年、同じ会社かグループに残りうる。 その10年を、手順の決まった作業と止まった知識の移転に使わない。
第二に、管理監督者を外れた本人の時間外割増を、配置の設計に入れる。 課長を労働基準法第41条第2号の管理監督者として扱ってきた会社では、役職を外れた日から時間外割増が発生する。月給60万円の課長が役職定年で46.8万円になっても、決算期4か月に月40時間の時間外があれば年額は620.1万円になる。 同じ作業を月例30万円の担当者が時間外でこなす場合との差は年21万円で、問題は金額より、単価の高い人の時間を代替しやすい手順作業に使う割高さと、管理監督者として労働時間の規定の外にいた本人の時間が、36協定の上限と特別条項の回数の中に入ることである。職務手当は労働基準法第37条第5項と施行規則第21条の除外賃金に当たらず算定基礎に入る。高年齢雇用継続基本給付金の支給率の上限が令和7年4月1日以降に60歳に達した人から10パーセントに下がったことも、60歳以降の賃金の設計に入れる。
第三に、監査対応・税務判断・後進の検証の職務を成果物で定義して新設し、評価と報酬をそこにつなぐ。 判断の最終責任は課長に残し、職務は判断の材料を先に出す責任と誤りを止める権限を持つ。評価は経緯メモ、差し戻しの記録、指摘の件数のような数えられる成果物で行い、報酬は時間外を見込んだ総額で職務手当に置く。 要件を書けない職務は置かず、任期を切り、再任の要件と不再任の場合の処遇を最初に書面で渡す。



