ERPの選定会議では、どこかで必ず同じ問いが出る。「うちの規模でSAPは大げさではないか」。議論は売上高と従業員数の話になり、同業他社の事例を並べ、最後は見積金額の差で決まる。実装側から見ると、この決め方はほぼ確実に外す。ERPの選定を分けるのは会社の規模ではなく、その会社が抱えている複雑さが何本あるかだ。 売上五百億でも法人が一つ・通貨が一つ・取引の型が一つなら、SAPの機能の大半は使われない。売上八十億でも国内外に法人が五つあり、連結を自前で締め、受注生産と量産と保守契約が同じ会社の中で走っているなら、中堅向けの製品では設計の途中で壁に当たる。
SAPが過剰になるかは、売上高でなく複雑さの本数で決まる
規模を基準にするやり方が広く使われているのは、単に数えやすいからだ。売上高も従業員数も拠点数も、決算書と人事の資料からすぐ出る。しかしERPの導入工数を決めているのは、その数字ではない。
導入プロジェクトで工数が膨らむのは、設計の分岐が増えるところだ。会社コードが二つになれば、勘定科目の運用ルールを二社で揃えるかどうかを決めなければならず、決算日程も二本になり、内部取引の消去という論点が生まれる。通貨が二つになれば、記帳通貨と評価通貨の関係、レートの取得元、換算差額の扱いをすべて設計する。逆に、売上が大きくても伝票の型が一種類なら、件数が増えるだけで分岐は増えない。件数はサーバーとバッチ設計の問題であって、設計工数の問題ではない。
だから「同じ売上規模の会社が入れているから」は判断材料にならない。実装側が最初に受け取りたいのは業界と売上の話でなく、その会社が何種類の型を同時に回しているかという一覧である(ERPとは何か|会計システムとの違いと、経理・財務が知るべき選び方)。
その一覧が、複雑さの六変数である。次の六つを、現在と三年後の二時点で埋める。三年後は、稼働してから最初の大きな見直しが来るまでの期間だと考えてよい。
| 変数 | 何を数えるか | 後から足せるか | SAPが有利に傾く目安 |
|---|---|---|---|
| 法人 | 会計単位として独立している法人の数 | 足せるが影響大 | 三つ以上、または海外法人がある |
| 拠点・部門 | 原価や採算を分けて見たい単位の数 | 足せる | 階層を持たせたい(事業/地域/工場の多段) |
| 通貨 | 記帳・評価・報告に使う通貨の数 | ほぼ足せない | 二つ以上、または外貨建の残高評価が要る |
| 連結 | 自社で連結を締めるか、外に出すか | 足せるが体制が変わる | 自社で締める、または四半期開示がある |
| 取引の型 | 量産・個別受注・プロジェクト・保守契約など同居する型の数 | 足せる | 四つ以上が同居し、原価の作り方が型ごとに違う |
| 内製できる人数 | 稼働後に設定・マスタ・帳票を自社で触れる人数 | 増やせるが時間が要る | 情シスと経理で三人以上置ける |
三列目が判断の中心だ。実装の現場で本当に困るのは、機能が足りないことではなく、後から足せないものを足そうとすることである。通貨の設定は典型で、単一通貨の前提で組んだ会計に後から二つ目の通貨を入れると、過去の残高をどう遡って評価するかという問題が必ず出る(SAPの通貨設定(複数通貨・レートタイプ)|あとから足せない通貨の決め方)。組織構造も同じで、会社コードや利益センタの階層は稼働後の変更が最も重い領域になる(SAPの組織構造設計(会社コード・管理領域・利益センタ)|アドオンで直せない唯一の領域)。
逆に「取引の型」と帳票の本数は後から追加できるので、型が多いこと自体はSAPを選ぶ理由として弱い。型が多くて、かつそれぞれの原価の作り方が違い、しかも同じ管理会計の器で並べて見たいときに初めて、標準の懐の深さが効いてくる。
「後から足せないもの」がいくつ動くかで分岐する
六つを埋めたら、判定はこう置く。三年後までに動く変数のうち、後から足せない側(法人・通貨・組織の階層・連結の自社実施)が二つ以上あればSAP側に寄せる。一つなら、その一つを中堅向け製品でどう受けるかをベンダーに具体的に説明させる。ゼロなら、SAPは過剰になる可能性が高い。
内製人数の変数だけは、他の五つと性質が違う。これは会社の複雑さではなく、会社の体力の話だからだ。SAPを選ぶということは、設定を触れる人を社内に持つか、触れるベンダーを継続して押さえるかのどちらかを選ぶことでもある。稼働後に自社で触れる人がゼロのまま入れると、勘定科目を一つ増やすたびにベンダーへの依頼票を書くことになり、その依頼票の積み上がりが数年後の運用費として表に出てくる(SAP移行後の経理運用を内製で回す|ベンダー依存を減らす体制づくり)。
選定はこの順で回す。製品比較から入ると必ず外す
選定を製品の機能比較表から始めると、比較表の行はベンダーが用意したものになる。用意された行に丸を付ける作業は、自社の複雑さを一度も数えないまま進むという意味で、選定として成立していない。順番はこうなる。
三工程目の「実データでの当て込み」が、選定で最も省略され、最も高くつく工程だ。デモ環境の取引はきれいに通るように作られている。自社の実物、たとえば締めた後に届く請求書、部分検収、値引きとリベートが後から乗る取引、有償支給と無償支給が混じる委託加工を持ち込むと、標準で載る型と載らない型がはっきり分かれる。載らない型が何本残るかが、そのまま追加開発の見積の下敷きになる。この作業をどこまでやり切るかが、稼働後のアドオン量を決める(SAPアドオン(追加開発)をどこまで作るか|Fit-to-Standardの判断基準)。四工程目を選定の段階でやるのも同じ理由だ。運用体制を稼働直前に考え始めると、その時点で残る選択肢は「ベンダーに継続してもらう」しかない。
導入時のどの判断が、何年後にどの費目で跳ね返るか
選定の判断は、その場では機能の話に見える。しかし数年後には全部、費目として損益計算書に現れる。実装側から見ると、対応はかなりはっきりしている。
| 導入時の判断 | 跳ね返る費目 | 表に出てくる時期 |
|---|---|---|
| 標準に載らない型をアドオンで受けた | 保守料と、更新のたびの回帰テスト工数 | 二年目以降、毎年 |
| 組織構造を現状の組織図どおりに刻んだ | 組織改編のたびの再設定費用、過去比較の作り直し | 最初の組織改編時 |
| 通貨を一つの前提で組んだ | 通貨追加時のデータ再構築、期中の手作業評価 | 海外取引が立ち上がった期 |
| 帳票要件を絞らずに全部作った | 使われない帳票の維持費と、改修のたびの影響調査 | 三年目以降、じわじわ |
| 内製の担当を置かなかった | 依頼票ベースの運用委託費、軽微な変更の外注化 | 稼働直後から恒常的に |
| 旧システムを残してデータを移さなかった | 旧環境の維持費と、参照のための二重運用 | 稼働翌年から |
どれも稼働判定の時点では見えない。カットオーバーを乗り切った時点では、すべて「動いている」。差が出るのは二年目からで、しかも一度に来るのではなく、保守料・改修費・運用委託費という別々の費目に分かれて少しずつ現れる。だから社内で「ERPが高い」という話になったとき、原因を探しても特定の一箇所には辿り着かない。原因は導入時の判断に分散しているからだ。
中堅向け製品を選ぶなら、出口を設計してから選ぶ
六変数を数えた結果、SAPが過剰だと判断したなら、それは正しい選択でありうる。ただし実装側から一つだけ条件を付けたい。出口を設計してから選ぶことである。
出口とは、複雑さが増えたときに乗り換えられる状態を指す。具体的には三つだ。第一に、マスタと過去伝票を標準的な形式でまとめて取り出せること。契約時にデータの持ち出し方法と、その作業に追加費用がかかるかどうかを文書で確認しておく。第二に、勘定科目体系と組織コードの採番ルールを、製品固有の制約に寄せすぎないこと。製品が要求する形式と、自社が本来使いたい体系が違うなら、その差分を一覧で持っておく。乗り換えのときに読み替え表を作る作業がそのまま省ける。第三に、連結の受け皿をERPの外に持てるようにしておくこと。単体の会計だけならどの製品でも回るが、連結を自社で締め始めた瞬間に、子会社からの収集と消去の工程が新しく立ち上がる。
この三つを契約前に詰めておけば、複雑さが増えた三年後に選択肢が残る。詰めずに入れると、乗り換えの検討自体がデータ移行の見積待ちで止まる(SAP ERP 2027年問題とは|いつ何を決めるべきか、移行の全体像)。
作り切る順番は、数えるところから始まる
ERPの選定を規模で決めると、決めた理由は数年後に誰も覚えていない。残るのは、毎年の保守料と、標準に載らなかった型を受けたアドオンと、依頼票を書き続ける運用だけだ。順番はこうである。まず自社の型を数える。次に三年後の六変数を確定する。それから実データを標準に当て込み、載らない型を数える。最後に、稼働後に設定を触る人を名前で置く。ここまで終えてから製品と見積を並べる。この四工程をやり切った会社は、SAPを選んでも中堅向けを選んでも、選んだ理由を三年後に説明できる。飛ばした選定は、どちらを選んでも同じ場所で詰まる。



