S/4HANAの導入で、品目マスタの設計の会議が開かれた。ベンダーが示した案は、製品と半製品は標準原価、原材料と商品は移動平均というものだった。経理部長が理由を尋ねると、SAPの推奨です、という答えが返ってきた。購買部長は移動平均に賛成した。旧システムも移動平均で、仕入値が上がっても差異として名指しされたことがない。 工場長は、材料の値上がりで工場の原価が悪く見えるのは困ると言った。旧システムでは、値上がりは月ごとの材料費にそのまま入り、工場の原価の増加として報告されていた。経理部長が確かめたかったのは二つである。経理として何を基準に選べばよいのか。稼働した後で、変えられるのか。
移動平均は、仕入値の変動を在庫単価に吸収する
数字で確かめる。ある原材料の月初の在庫が10,000キログラム、単価は1キログラム1,000円で、在庫の金額は1,000万円である。当月、同じ材料を10,000キログラム、1キログラム1,100円で仕入れた。その後、工場が12,000キログラムを払い出した。
移動平均の品目では、入庫のたびに単価が計算し直される。 在庫の金額は1,000万円に1,100万円が加わって2,100万円、数量は20,000キログラムなので、新しい単価は1,050円になる。払い出した12,000キログラムは1,260万円で工場の材料費になり、残った8,000キログラムは840万円で在庫に残る。価格差異の勘定には何も計上されない。
標準原価の品目で、標準を1,000円と置いていた場合はこうなる。入庫した10,000キログラムは標準の1,000万円で在庫に入り、仕入値との差の100万円が価格差異の勘定に出る。払い出しは1,200万円、残る在庫は800万円である。
どちらも合計は2,100万円で、会社全体で見れば同じ金額を別の場所に置いているだけである。 違うのは、値上がりの100万円の見え方である。標準原価では、100万円が購買の差異として一行で出る。移動平均では、60万円が工場の材料費の増加に、40万円が在庫の増加に分かれて入り、どこにも値上がりという名前では出てこない。翌月も同じ材料を使えば、残りの40万円は翌月の工場の原価になる。冒頭の工場長が困ると言ったのは、この流れのことである。
購買の値下げの実績が損益に見えない、工場の原価が能率と関係なく動く。全品目を移動平均で持つ会社でこうした不満が出るのは、区分の性質から来ている。設定の誤りではない。
標準原価は差異を出すが、標準の手入れを要求する
標準原価にすれば、仕入値と標準の差は、入庫の時点で購買の差異として出る。工場の材料費は、標準の単価に使った数量を掛けた金額になるので、工場の成績は使った量だけで決まる。値段の責任は購買に、量の責任は工場に分かれる。 冒頭の会議で購買部長が移動平均を望み、工場長が値上がりを嫌ったのは、二人とも、この分かれ方を正確に見ていたからである。
代わりに、標準原価は手入れを要求する。標準が実勢から離れると、差異は購買の成績を表さなくなり、毎月大きな差異が出るのが当たり前になる。相場が動く局面で標準をいつ直すかは、発動の条件を先に決めておく(標準原価はいつ改訂すべきか、年1回の改訂が実勢とずれる局面での期中改訂)。
出た差異は、期末に処理しなければならない。原価計算基準四七は、原価差異のうち材料受入価格差異だけは、当年度の材料の払出高と期末在高に配賦するとしている。差異を見えるようにした分、期末にそれを在庫と原価に戻す作業が生まれる。 差異の額が大きく、月次の損益まで実際の原価に近づけたいなら、マテリアルレジャーの実際原価計算を検討する。その場合、単一レベルと多段階の価格決定を使える品目は、標準原価の区分の品目に限られる(SAPのマテリアルレジャーで実際原価を持つか、標準原価のままとの違いと選び方)。区分をVにした品目は、この計算で単価が計算し直される対象にならない。
購買の差異が出るようになっても、それが粗利にどうつながるかは別に追う必要がある(購買のコストダウン実績が粗利に出ない理由、購買価格差異と標準単価改訂のつなぎ方)。
移動平均が向く品目と、向かない品目
移動平均が向くのは、購買の担当者が価格をほとんど左右できない品目である。非鉄金属、樹脂、穀物のように、相場や建値に連動して仕入値が決まる材料は、標準との差異を出しても、購買に問えることが少ない。 毎月の差異は相場の動きを写すだけで、標準を直す手間ばかりが増える。こうした品目は移動平均にして、在庫の単価を実勢に近く保つほうが、原価の数字として使いやすい。購買の成績を見たければ、相場の指標と自社の仕入値の差を、在庫の評価とは別に集計すればよい。
仕入れてそのまま売る商品も、移動平均と相性がよい。仕入値の変動が売上原価に早く届くので、値決めの判断に使える。
向かないのは、自社で作る半製品と製品である。 SAPのライブラリは、内製する品目を多段階で見たとき、移動平均は半製品や製品に非現実的な価格をもたらすことがあるとして、限界を認めている。製造指図の実際の原価は、期末に指図を決済するまで確定しない。それより前に入庫した製品は、確定していない原価で在庫に入り、後から決済の差額が単価を動かす。その時点で在庫が残っていなければ、差額は在庫に入れず、差異として残る。月によって製品の単価が大きく振れ、原因を追うのが難しくなる。
移動平均には、運用上の弱点もある。入庫の単価や数量の単位を誤って入力すると、誤った金額が平均に混ざる。後で取り消しても、その間に払い出した分の原価は、誤った単価のまま残る。 在庫が少ない時期に起きると、単価は大きく飛ぶ。この区分を選ぶ品目には、発注の単価と入庫の単位の入力を、標準原価の品目より厳しく点検する運用が要る。
品目の種類ごとに決め、種類の中に例外を残さない
区分は、品目の一件ごとに決めない。品目タイプや評価クラスといった品目の種類ごとに一つに決め、新しい品目は種類の既定値を引き継ぐようにする。 一件ごとに選べるようにすると、登録する担当者の判断や、旧システムの名残で、同じ種類の中に二つの区分が混ざる。
混ざると、まず差異の表が読めなくなる。同じ仕入先から同じように買っている二つの材料の片方だけに差異が出て、もう片方は出ない。購買の差異の合計は、区分がSの品目の分だけの数字になり、全体の成績を表さない。次に、在庫の評価方法を外部に説明しにくくなる。法人税法施行令は棚卸資産の評価の方法を、事業の種類ごと、かつ製品、半製品、主要原材料といった資産の区分ごとに選ぶことを求めている。区分の中で品目によって扱いが違う状態は、この届出と合っているかを確かめる対象になる。
原材料の中に、相場で動く材料と、交渉で値段が決まる材料の両方がある会社は多い。その場合は、原材料を二つの種類に分け、それぞれの中では例外を作らない。 相場で動く材料は移動平均、交渉で決まる包装材や部品は標準原価、という分け方である。分ける線は、購買が価格に責任を持てるかどうかで引く。分けた種類は評価クラスにも対応させ、在庫の勘定と差異の勘定が種類ごとに決まるようにしておく(SAPの自動仕訳(勘定決定)を経理が説明できない原因と、読めるようにする方法)。
決めた既定値は、品目の登録の手順に組み込む。登録の申請の様式に区分の欄を設けず、品目の種類を選べば決まるようにする。例外を認める場合は、経理の責任者の承認を条件にする(SAPのマスタデータが稼働後に劣化する原因と、登録権限と責任部門の決め方)。
後から変えられるが、変えた日より前の数字とは比べられない
冒頭の二つ目の問いに答える。区分は、稼働した後でも品目マスタで変えられる。SAPのライブラリの説明では、標準原価から移動平均への変更はいつでもでき、それまで参考として更新されていた移動平均の単価が、評価に使う単価になる。 移動平均から標準原価への変更には条件があり、分割評価の品目の評価ヘッダである場合と、原価見積に由来する標準原価が移動平均の単価と一致しない場合は、変更できない。変更できる場合は、その時点の移動平均の単価が標準原価になる。どちらの向きでも、変更によって在庫の金額は変わらない。なお、この説明は旧リリースのライブラリの記述で、自社のリリースと、マテリアルレジャーの価格決定の設定のもとでの手順は、導入のベンダーに確かめてほしい。
仕組みの上で変えられることと、変えてよいことは別である。変えた日を境に、その品目の差異と原価の数字はつながらなくなる。 標準原価から移動平均に変えれば、購買の差異は翌月から出なくなり、過去の差異と比べる対象がなくなる。逆に変えれば、標準を置く根拠と、改訂の運用を新しく作ることになる。会計の面でも、棚卸資産の評価の方法を変えることに当たるかどうかを、監査人と税務の担当に先に確かめる必要がある。税務上の評価の方法を変えるには、新しい方法を使う事業年度が始まる前に、承認の申請が要る。
したがって、稼働の前に決める価値がある。後から変えられるという説明は、設計の会議を早く終わらせる理由にはならない。
工業用塗料のメーカー(売上高420億円、3月決算)。旧システムは全品目を移動平均で評価しており、S/4HANAへの移行にあたって、ベンダーから製品と半製品は標準原価、原材料と商品は移動平均とする案を受けた。 経理部は、原材料の年間の購入額150億円の中身を調べた。ナフサの価格に連動して仕入値が決まる溶剤と樹脂が96億円、仕入先との交渉で値段が決まる顔料、添加剤、容器が54億円だった。購買部が毎年報告していたコストダウンの実績は、ほとんどが後者についてのものだったが、移動平均のもとでは、その効果は在庫の単価に溶けていて、損益のどこにも表れていなかった。会社は、原材料を二つの品目タイプに分けた。溶剤と樹脂は移動平均のままとし、顔料、添加剤、容器は標準原価に切り替えた。 製品と半製品は、ベンダーの案どおり標準原価にした。品目の登録の申請では、区分を選ぶ欄をなくし、品目タイプで決まるようにした。溶剤と樹脂については、ナフサの指標と仕入値の差を、購買部が在庫の評価とは別に毎月集計することにした。稼働して1年、標準原価に切り替えた54億円の材料からは、年間で2,300万円の不利な価格差異が出た。内訳を見ると、容器の値上げの受け入れが3,100万円の不利、顔料の仕入先の切り替えが800万円の有利だった。容器の値上げは、移動平均の時代には購買の報告に一度も載ったことがなかった。 翌期の標準の改訂では、容器の単価を見直すとともに、値上げを受け入れるときの決裁の基準を新しく設けた。
※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。
価格管理区分で決める三つ
第一に、区分を選ぶ基準を、差異を誰に見せたいかに置く。 移動平均は仕入値の変動を在庫の単価に吸収し、標準原価は購買の差異として出す。購買が価格に責任を持てる品目は標準原価に、相場で決まる品目は移動平均にする。 半製品と製品は標準原価にする。
第二に、区分を品目の種類ごとに決め、種類の中に例外を残さない。 原材料に性質の違う品目が混ざっているなら、種類を分ける。登録の申請では、区分を担当者に選ばせない。
第三に、稼働の前に決める。 区分は後から変えられるが、変えた日より前の差異や原価とは比べられなくなり、評価の方法の変更として外部への確認も要る。



