要件定義の終盤で、通貨の話が唐突に出てくる。ベンダーの資料には「会社コード通貨は円、グループ通貨は円、必要に応じて追加通貨」とだけ書かれている。経理側は海外取引があることを知っているが、何を聞けばいいのか分からない。ここで「とりあえず二本で」と決めた会社が、稼働から二年後に「事業別の海外売上をドルで見たい」と言われて詰まる。通貨は、あとから足すのが最も高くつく設定の一つである。 しかも高くつく理由は、システムの改修費ではない。過去の取引に当てるべきレートと、その根拠が残っていないことのほうだ。
「何通貨持つか」という問いが、そもそも要件を発散させる
通貨の議論が長引く会社には共通点がある。持ちたい通貨のリストが、目的の違うものを一列に並べている。
海外子会社の帳簿を現地通貨で持ちたい。連結のために全社をグループ通貨で揃えたい。海外売上をドルで比較したい。為替の影響を除いた実力値を見たい。この四つは、必要な仕組みがそれぞれ違う。最初の二つは取引ごとに金額を持つ話で、三つ目はレポートで換算すれば足りる話、四つ目は社内レートの話である(社内為替レート(予算レート)の決め方|海外事業の実力と為替影響を切り分ける)。
分けるべきは通貨の種類ではなく、「残高を持つ」のか「換算して見せる」のかである。 残高を持つとは、その通貨で借方と貸方が一致し、勘定ごとの残高が積み上がり、決算のたびに換算差額の処理が走るということだ。維持の負荷はここから生まれる。一方、見せるだけなら、レポートの実行時に決めたレートで割り戻せばいい。
要件の一覧をこの二つに割り直すと、たいてい「残高を持つ必要がある通貨」は想像より少ない。
会計基準が決めているのは、タイミングだけである
外貨の議論を難しく感じさせているのは、会計基準が想像より少ししか決めていないことだ。決めているのは、どの時点の相場を使うかだけである。
外貨建取引等会計処理基準は、外貨建取引を取引発生時の為替相場による円換算額で記録するとし、決算時には外貨建金銭債権債務に決算時の為替相場による円換算額を付するとしている。在外子会社等の財務諸表項目については、資産及び負債に決算時の為替相場、収益及び費用に原則として期中平均相場(決算時の為替相場によることも妨げない)を用い、資本については親会社による株式取得時の項目に株式取得時の為替相場、取得後に生じた項目に発生時の為替相場を用いる。そして、この換算によって生じた差額を為替換算調整勘定とする。
ここから読み取るべきは、「取引発生時」「決算時」「期中平均」の三つの時点しか出てこないということだ。基準は、その相場をどこから取ってくるか、社内の誰が入力するか、日次か月次かまでは決めていない。システム設計で揉めるのは、この決められていない部分である。
だから設計書に書くべきは「決算時レートを使用する」ではない。「決算時レートは誰が、どのソースから、いつまでに、どの単位(会社コードか全社か)で登録するか」だ。この一行が欠けたまま稼働すると、月次のたびにレート登録の担当者が探される。換算の考え方そのものを財務部門の中で揃えておくと、この議論は速い(外貨建取引と在外子会社の換算|為替差損益と為替換算調整勘定を説明できる状態にする)。
税務は「通貨の種類ごと」に方法を選ばせ、変更に承認を要求する
会計より先に固まってしまうのが税務側の選択である。しかも、この選択はシステムの設定より前に存在している。
法人税法第61条の9第1項は、期末に有する外貨建資産等の換算方法を区分ごとに定め、外貨建債権債務については発生時換算法または期末時換算法から法人が選定した方法によるとする。選定の単位を定めているのが法人税法施行令第122条の4で、「その外国通貨の種類ごとに、かつ、次に掲げる外貨建資産等の区分ごとに選定しなければならない」としたうえで、短期外貨建債権債務、それ以外の外貨建債権債務、満期保有目的等の外貨建有価証券、それ以外の外貨建有価証券、満期一年以内の外貨預金、それ以外の外貨預金という六区分を置いている。
手続の期限も決まっている。同令第122条の5は、外貨建資産等を取得した日の属する事業年度の確定申告書の提出期限までに、よるべき方法を書面で所轄税務署長に届け出ることを求める。同令第122条の6第1項は、選定した方法を変更しようとするときは所轄税務署長の承認を受けなければならないとし、同条第2項は、新たな換算の方法を採用しようとする事業年度開始の日の前日までに申請書を提出することを求めている。同条第3項は、現によっている方法を採用してから相当期間を経過していないときなどに申請を却下できるとしている。
届出をしていない場合は、同令第122条の7の法定換算方法が当たる。短期外貨建債権債務と満期が一年以内の外貨預金は期末時換算法、それ以外は発生時換算法である。
つまり、新しい通貨で取引を始めるということは、税務上の選定と届出の単位が一組増えるということだ。 システム側で通貨タイプを一つ足す作業と、この手続は別物であり、しかも期限が先に来る。プロジェクトのタスク一覧に届出が載っていない会社は多い。
もう一つ、期末換算差額の扱いも設計に直結する。法人税法第61条の9第2項は、期末時換算法により換算する外貨建資産等について、換算後の金額と帳簿価額との差額を当該事業年度の益金または損金に算入するとし、法人税法施行令第122条の8第1項は、その金額に相当する金額を翌事業年度の損金または益金に算入するとしている。期末換算は翌期に洗い替える。 期末の換算処理を自動で戻す設定になっているかどうかは、稼働直後の四月にしか気づけない類の論点だ。
為替予約を使う場合はさらに一段ある。法人税法第61条の8第2項は、先物外国為替契約等により外貨建取引によって取得または発生する資産負債の円換算額を確定させた場合において、契約の締結の日にその旨を財務省令で定めるところにより帳簿書類に記載したときは、その確定させた円換算額をもって換算した金額とするとしている。記載の要件が付いている以上、これは経理の運用と帳簿の設計の問題になる(為替エクスポージャーの管理|ヘッジ会計を「使わない」という合理的な判断)。
為替差損益は四か所から出る。どこで出たかを言えるようにする
月次で「為替差損益がなぜこの金額なのか」を説明できない会社は多い。原因は計算ではなく、分類がないことだ。出どころは四つに分かれる。
第一に、決済差額。取引時のレートで記録した債権債務が、決済時のレートで精算されて差が出る。ここは実現した損益であり、営業の商流とも紐づく。
第二に、期末換算差額。期末時換算法を採る債権債務を決算時レートで洗い替えたときの差だ。前述のとおり、税務上は翌期に洗い替わる。
第三に、グループ内取引の相殺差額。売る側と買う側が別々のレートで記帳していると、相殺しても残る。取引通貨とレートの決め方をグループで揃えていないと、この差が毎月出て、連結担当者が手作業で潰すことになる(SAPでの連結決算|SAP Group Reporting(GR)の位置づけと向き不向き)。
第四に、在外子会社等の財務諸表項目の換算差額。これは損益に出ず、為替換算調整勘定になる。四つのうち、この一つだけが性質が違う。 ここを混ぜて「為替差損益が大きい」と報告すると、経営会議の議論が的を外す。
設計時にやることは単純だ。四つの差額が、それぞれ別の勘定または別の識別子で出るようにする。そして、それぞれを説明する担当を決める。第一は債権債務の担当、第二は決算担当、第三は連結担当、第四も連結担当である。この割り当てを設計書に一行入れておくと、稼働後の月次が静かになる。
レートタイプは設定ではなく、分担の設計である
レートタイプの割当は、要件定義では表の一行で済んでしまう。だが実務で効くのは、その表に書かれていないほうだ。
決めるべきは四つある。どのレートを使うか(対顧客電信売買相場の仲値か、社内で定めた月初レートか)。どのソースから取るか(取引銀行か情報ベンダーか)。誰がいつ登録するか(前月末日か当月第一営業日か)。そして、登録が漏れたときに何が起きるか。
最後の一つを詰めていない会社が多い。レートが未登録のまま伝票を起こそうとして止まる、あるいは古いレートで通ってしまう。どちらの挙動になるかは設定に依存するので、テストで実際に確かめる以外にない(SAPのマスタデータを稼働後に劣化させない|登録権限とオーナーシップの決め方)。
レートの登録を「情報システム部門の作業」にしている会社は、たいてい月次のどこかで止まる。レートは会計方針の一部であり、登録は経理の仕事である。 誰の名前で登録されるかを決めるところまでが設計だ。
あとから足せないのは、通貨ではなく過去のレートと根拠
「今から通貨を足せますか」という質問には、二段構えで答えることになる。
システムの側は、リリースと設定に依存する。S/4HANAの会計明細は複数の通貨額を並行して保持する構造を持ち、通貨タイプの構成や追加の可否、過去データの扱いは環境ごとに異なる。ここは自社の構成を現物で確認するしかなく、断定できる話ではない。
だが、システムが許しても復元できないものがある。追加した時点より前の取引について、その時点のレートと、そのレートを採った根拠だ。取引日ごとの相場を後から一括で当てれば数字は作れるが、それは当時の会計処理とは別物になる。決済済みの取引について当時の決済レートを再現できるかも、記録の残り方次第だ。
だから、通貨の設計を議論する前に確かめるべきものは三つに絞れる。取引通貨が明細に残っているか。取引日ごとのレートの履歴が、上書きではなく世代で残っているか。そして、社内レートを使っている取引について、そのレートの決定記録が残っているか。この三つが残っていれば、後から通貨を足す選択肢は生きる。残っていなければ、器を増やしても数字は出ない。
移行の局面なら、これはそのまま移行データの品質要件になる(SAP移行のデータ移行で失敗しない|マスタ品質を上げる進め方)。期首残高の確定と絡むので、カットオーバー計画の中で扱う論点でもある(SAPのカットオーバー計画|期首残高の確定と業務凍結期間をどう決めるか)。
決める順序を、器から根拠へ入れ替える
通貨設定の議論は、「何本持つか」から入ると必ず長引く。順序を入れ替えると、決めるべきことは四つに畳める。
第一に、その通貨で財務諸表を外に出すのか、その通貨建ての残高を実額で追うのかを、要件ごとに分ける。両方に該当するものだけが並行通貨の候補になる。第二に、税務の選定と届出の単位を確認する。外国通貨の種類ごと、区分ごとであり、変更には承認が要る。第三に、為替差損益の四つの出どころを別々に把握できる形にし、それぞれの説明責任者を決める。第四に、レートの取得元と登録の担当と期日を、設計書に書く。
この四つを決めれば、通貨の本数は結果として出てくる。 逆に、本数から入ると、四つのどれも決まらないまま器だけが増える。
組織構造の設計と同じで、通貨はアドオンで後から直せない領域に近い(SAPの組織構造設計(会社コード・管理領域・利益センタ)|アドオンで直せない唯一の領域)。だから、要件定義の最終盤ではなく、最初の一か月で決める。



