銅の建値が三か月で一割五分上がった。電線を作る工場の月次損益には、材料の価格差異9,000万円が不利差異として計上され、営業利益はその分だけ落ちている。 事業部長が経理課長に聞く。今月買った銅の一部は、まだ倉庫にある。製品になった分も、全部は出荷していない。それなのに、なぜ全額が今月の費用なのか。 課長の答えは、標準原価で在庫を持っている以上、差異は入庫した月の損益に入る、というものである。年度末には手作業で在庫に配分し直している、とも付け加える。 事業部長は納得しない。値上げ交渉に入る時期を毎月の粗利で決めているのに、その粗利が、仕入れのタイミングで振れているからである。
困るのは差異の大きさではなく、在庫に配賦される割合
冒頭の工場で計算してみる。当月に購入した銅は500トン、標準単価は1キログラム1,200円、実際の仕入単価は1,380円である。 価格差異は500,000キログラム×180円で9,000万円になる。
このうち80トンは、月末に原材料のまま倉庫にある。 原価計算基準四七(一)2の材料受入価格差異の処理にならって払出高と期末在高に配分すれば、80÷500で16パーセント、1,440万円が材料に残る。ここまでが原則の処理である。 払い出した420トンの分まで仕掛品と製品に配るのは、(一)3が定める、予定価格等が不適当なため比較的多額の原価差異が生ずる場合の処理になる。標準単価が実勢より15パーセント低い今の状態は、これに当たりうる。月末に仕掛品と製品として残っている割合が四分の一だとすると、 420,000キログラム×180円×25パーセントで、さらに1,890万円が在庫に配られる。二つを合わせれば3,330万円が在庫に配賦される計算で、当月の売上原価に入るのは5,670万円になる。
標準原価のままのSAPでは、9,000万円の全額が当月の損益に入っている。当月の営業利益は、この配賦の考え方に比べて3,330万円だけ悪く見える。 翌月にその在庫が出荷されると、標準原価で払い出されるので、今度は翌月の原価が実勢より軽くなる。仕入値が上がる局面では当月を悪く翌月以降を良く見せ、下がる局面ではその逆になる。
つまり、差異の総額が同じでも、困り方は会社によって違う。原材料をすぐに使い、製品もすぐに出荷する会社では、在庫に配賦される割合は小さい。 在庫を何か月も持ち、原材料から半製品、製品へと何段階も積み上がる会社ほど、割合は大きくなる。
年度末の手作業配分は、月次と製品別の数字を直さない
多くの会社は、この問題を年度末の手作業で処理している。一年分の価格差異を集計し、科目別の比率で年度末の在庫に配分し直す。 決算書の在庫の金額は、これで基準に沿った形に近づく。
だがこの処理が直すのは、年度末の残高だけである。 期中の月次の粗利は、仕入値が動いた月に振れたままで、経営会議の資料もその数字で作られている。さらに、科目別の比率で配分した差異は、どの製品のどの得意先に乗るべきだったかという情報を持っていない。 銅を多く使う製品と少ない製品が同じ比率で扱われ、製品別・得意先別の採算は標準原価の数字のまま残る(関税・輸入コストと為替影響の違い、両者を分けて製品別採算に載せる方法)。値上げ交渉で使いたい「実際の原価で見ると赤字の製品」は、この処理からは出てこない(製造業のSAP原価計算(製品原価管理)で、標準原価の差異を経営判断に返す方法)。
期中に標準を改訂する手もある。価格標準を実勢に合わせれば、差異の総額そのものが小さくなる(標準原価はいつ改訂すべきか、年1回の改訂が実勢とずれる局面での期中改訂)。ただし改訂は、価格が動いた後から追いかける処理であり、改訂するまでの差異は同じように損益に入る。購買の値下げの効果が標準単価の改訂で見えなくなる問題も残る(購買のコストダウン実績が粗利に出ない理由、購買価格差異と標準単価改訂のつなぎ方)。価格の動きが速く、改訂が追いつかない原材料を持つ会社で、実際原価を仕組みで持つかどうかが論点になる。
マテリアルレジャーの実際原価計算がやっていること
SAPの側の仕組みを確認する。
S/4HANAでは、マテリアルレジャーは標準で有効である。 在庫の評価はマテリアルレジャーの記録として持たれ、会社コード通貨に加えて、二つの追加の通貨や評価で在庫の金額を持つことができる。ただし、実際原価計算は別に有効化しなければ動かない。 マテリアルレジャーがあるだけでは、月末に差異を在庫と消費に配分し直す計算は行われない。
実際原価計算を有効にすると、月中は標準価格で入出庫を記録し、月末(期間末)に原価計算の実行(トランザクションCKMLCP)をかける。対象品目の選択、原材料から製品へ向かう計算順序の決定、その期間に集めた入庫と消費の値からの期間単位価格の計算、在庫と消費の再評価の転記という流れである。期間単位価格を計算しても、月中に使う標準価格そのものは変わらない。差異は、原材料から半製品、製品へと、品目の構成に沿って上の段階へ積み上げられる。 手作業の科目別配分との違いは、この品目単位の積み上げにある。ただし、実際原価を製品別・得意先別の収益性分析の数字にまで反映させるには、追加の設定が要る。
なお、実際原価計算を使う場合のマテリアルレジャーのデータモデルは、S/4HANA 1610で大きく変わっている(SAP Note 2354768)。ECCで実際原価計算を使っていた会社も、移行のときに前提を確認し直すことになる。
実際原価を持つと、締めの工程に待ちが一つ増える
実際原価計算の結果は、その期間の数字が揃ってからでないと出ない。当月の入庫と出庫、請求書照合、製造指図の差異計算と決済が済んでから、原価計算を実行できる。 そして計算できなかった品目が出れば、原因を直して再実行する。
この待ちが締めに何日乗るかは、会社によって大きく違う。だから導入を決める前に、実際に測る。 測るのは三つである。
| 測るもの | 測り方 | 判断への使い方 |
|---|---|---|
| 前工程が揃う時点 | 直近6か月で、入出庫の締切、請求書照合、製造指図の決済が終わった営業日と時刻 | 原価計算の実行を始められる最も早い時点。遅ければ先にここを縮める |
| 計算そのものの所要時間 | テスト環境か並行稼働で、本番と同じ工場数・品目数を対象に実行した時間 | 夜間に収まるか、日中の締めの作業と重なるか |
| 計算できなかった品目の解消時間 | 並行稼働の3か月で、未計算やエラーになった品目の数と、原因を直して再実行し終えるまでの時間 | 締めに乗る日数の本体。マスタの整備で縮む部分と縮まない部分を分ける |
読み違えやすいのは三つ目である。 計算の時間は導入の見積りに載るが、計算できなかった品目を一件ずつ直す人の時間は載らない。夜間の処理が止まった朝の判断を誰がするかも、先に決めておく(決算の夜間バッチが失敗した朝の対応手順、SAPのジョブ運用を経理が把握する)。
締めの工程表の中で、この待ちをどこに置くかも決める。月次決算の確定を実際原価の計算の後に置くのか、経営会議向けの速報は標準原価で先に出し、実際原価の結果は確定値として後から出すのか。 後者を選ぶなら、速報と確定の差を毎月説明する作業が一つ増える(決算タスクの進捗管理をSAPに移すかは、締めの工程表の入れ替わり率で見極める)。
入れるかどうかは、三つの数字を並べて決める
判断に使う数字は三つである。
一つ目は、在庫に配賦される差異の月額を、月次の営業利益と比べた大きさ。 冒頭の例の3,330万円が、月次の営業利益の数パーセントにとどまるなら、年度末の配分と期中の標準改訂で足りる。一割を超える月が続くなら、月次の粗利で値決めを判断している会社にとって、その数字は判断に使えない状態である。
二つ目は、在庫月数と工程の段数。 在庫が一か月以内に回転し、原材料から製品までの段数が少なければ、在庫に残る割合は小さい。何か月も在庫を持ち、半製品を何段階も経る会社ほど、品目の構成に沿って積み上げる価値が大きい。
三つ目は、先に測った締めに乗る日数。 一つ目と二つ目で必要性が高くても、締めが二日延びるなら、前工程を縮める手当てと一緒に入れる。原価計算の確定を待たずに締める線引きをすでに持っている会社は、その線とも突き合わせる(製造原価の確定を待たずに月次決算を締める方法、標準原価と原価差異の扱い)。実際原価の正しさと締めの速さのどちらを取るかを、数字を並べて決める。
この三つは、工場や原材料の群ごとに答えが分かれることが多い。価格の動きが大きい原材料を多く使う工場だけを、実際原価計算の対象にする切り方がある。 実際原価計算はプラント(評価エリア)単位で有効化でき、品目の価格決定区分3が前提になる。そのうえで、対象プラントと対象外プラントの間の在庫転送をどう評価し、差異をどちらに残すかを確認する。
売上高640億円の電線・ケーブルメーカー(3月決算)。ECCからS/4HANAへの移行で、マテリアルレジャーが標準で有効になった。 移行プロジェクトの中で、実際原価計算まで有効にするかが論点になった。経理部はまず金額を測った。直近12か月の材料の価格差異は月平均1億1,000万円で、在庫に配賦される分を品目群ごとの在庫の比率で試算すると月平均3,900万円、月次の営業利益の平均2億6,000万円に対して15パーセントだった。 銅の建値が上がった三か月には、この比率が最大28パーセントに達していた。在庫月数は原材料が0.8か月、製品が1.9か月で、銅線から被覆線、ケーブルへと三段階を経る。次に、並行稼働の3か月で締めに乗る日数を測った。 製造指図の決済が揃うのは第2営業日の夕方、原価計算の実行は対象の工場で約5時間かかり夜間に収まった。問題は計算できなかった品目で、月平均64品目あり、原因を調べて再実行を終えるまでに1.5営業日かかった。 このままでは月次の確定が第4営業日から第5営業日に延びる。未計算の品目を分解すると、主な原因は二つだった。期中に新設した品目の原価計算に必要なマスタの設定漏れと、工場の作業実績の報告の遅れである。 経理部と生産管理部は、新しい品目の登録手順に原価計算の担当者の確認を入れ、作業実績の報告の締切を第1営業日の正午に前倒しした。稼働から6か月で、未計算の品目は月平均11品目になり、解消は半日で終わるようになった。 実際原価計算は、銅を主原料とする二つの工場のプラント単位で有効にし、加工部品の工場との間の在庫転送の評価を事前にテストした。加工部品の工場は、価格差異が月次の営業利益の2パーセント前後にとどまっていたため、標準原価のままとしている。経営会議向けの速報は第3営業日に標準原価で出し、実際原価を反映した確定は第4営業日に出す運用に落ち着いた。 銅系の2工場分について、年度末に使っていた手作業の配分表を廃止した。標準原価のまま残した加工部品の工場分は、年度末の配分を続けている。製品別の実際原価を並べたところ、標準原価では黒字に見えていた被覆線のうち12品目が赤字で、翌期の値上げ交渉はこの12品目から始めている。
※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。
実際原価計算の導入で決める三つのこと
第一に、標準原価のままで困るかどうかを、差異の総額ではなく、在庫に配賦される割合で測る。 原価計算基準四七は、材料受入価格差異を当年度の材料の払出高と期末在高に配賦するとし、標準原価計算制度も異常な差異を除いて実際原価計算制度の処理に準じる。基準が求めているのは年度の決算での配賦で、月次で全額を損益に入れること自体は基準違反ではない。標準価格で在庫を持つSAPでは、仕入値と標準の差は入庫や請求書照合の時点で損益に入り、月次の粗利は仕入値が上がる局面で当月に悪く、翌月以降に良く振れる。 問題は、その月次の粗利で値決めを判断している場合の歪みである。年度末の手作業配分は残高を直すが、月次の数字と製品別・得意先別の採算は直さない。
第二に、マテリアルレジャーがあることと、実際原価を持つことを分けて考える。 S/4HANAではマテリアルレジャーは標準で有効だが、実際原価計算は別に有効化が要る。有効にすれば、月末に原価計算の実行で期間単位価格を計算し、差異を品目の構成に沿って上の段階へ積み上げ、在庫と消費を再評価できる。その代わり、当月の入出庫、請求書照合、製造指図の決済が揃うまで計算は始められず、計算できなかった品目を直す時間が締めに乗る。 実際原価計算を使う場合のデータモデルはS/4HANA 1610で変わっており(SAP Note 2354768)、ECCで使っていた会社も前提を確認し直す。
第三に、導入の前に三つの数字を測って並べる。 在庫に配賦される差異の月額を月次の営業利益と比べた大きさ、在庫月数と工程の段数、並行稼働で測った締めに乗る日数である。締めに乗る日数の本体は計算の時間ではなく、未計算の品目の解消時間であり、マスタの登録手順と実績報告の締切で縮む部分がある。 答えは工場や原材料の群ごとに分かれることが多く、対象を絞るならプラント単位で有効化し、対象外プラントとの在庫転送の扱いを確認する。



