S/4HANAへの移行の要件定義で、経営企画から要望が七つ届いた。ブランド、用途、販売チャネル、地域、キャンペーン、担当営業、新規事業の区分を、すべての伝票に持たせたいという。 経営会議の資料をExcelで組み替える作業をなくしたい、というのが理由である。導入ベンダーの回答は、コーディングブロックを拡張すれば七つとも仕訳の明細に足せる、というものだった。技術的には正しい。 ただ、経理部長は一つ気になった。七つの項目を、誰が、どの画面で、何を見て入れるのか。回答書には、その答えが書かれていなかった。
足した項目は、仕訳を起こすすべての経路に入力を求める
コーディングブロックの拡張は、設定の作業としては軽い。重いのは、足した後の運用である。 項目を一つ足すと、その値を誰かが入れなければならない。仕訳が生まれる経路は、会社によって数十ある。
販売の請求、購買の請求書の照合、在庫の移動、固定資産の取得と償却、給与の連携、経費精算、手入力の仕訳、Excelからのアップロード。拡張した項目に値を入れるには、この経路ごとに、値の出どころを決めなければならない。 販売の請求なら受注の画面に項目を出すか、得意先や品目から代入する。購買なら発注の画面に出すか、代入する。
外部のシステムから仕訳を取り込む連携は、さらに手間がかかる。BAPIで会計の伝票を連携している場合は、拡張した項目を渡すための受け口を、BAdIの実装として別に作る必要がある。 給与や経費精算のサブシステムの側でも、項目の値を持たせて送る改修が要る(SAPとサブシステムの数字が合わない原因、販売・購買・経費・給与の連携設計)。
入力の経路を決めないまま項目だけを足すと、値の入らない明細が大量に残る。 空欄の明細を「その他」に寄せたレポートは、最初の数か月で誰も見なくなる。そして、一度データの入った項目は、後から外すのが難しい。
見落とされやすい負担が、もう二つある。一つは、過去の仕訳に値が入っていないことである。 稼働の後に足した項目は、稼働の前の明細を持たない。前年と比べる資料を作るには、移行のときに過去の明細を埋め直すか、比較をあきらめるかを選ぶことになる。もう一つは、見る側の手当てである。 項目を足しても、使うレポートやFioriのアプリの側で表示の対象にする作業が別に要る。経営企画が期待する「すべての帳票で切れる」状態には、足しただけではならない。
足すかどうかの判断は、分析の要望よりも、入力の経路の数で決まる。 要望が七つなら、経路の数を掛けた数だけ、値の出どころを決める仕事が生まれる。
損益だけで切れば足りる軸は、特性値で持つ
七つの要望を一つずつ見ると、多くは損益で切れば足りる。ブランド別の売上総利益、用途別の売上、チャネル別の貢献利益。 どれも、売上と売上原価と、そこへ配賦した費用があれば作れる。
こうした軸は、マージン分析の特性値で持つ。 特性値の利点は、派生のルールで値を導ける点にある。品目のマスタからブランドを、得意先のマスタから販売チャネルと地域を、品目と得意先の組み合わせから用途を導く。請求の時点で自動的に付くので、仕訳を起こす担当者は何も入れなくてよい。 特性値の粒度と派生の設計は、使う目的から逆算して絞る(CO-PA(収益性分析)で、どの製品・どの顧客が儲かっているかをどう出すか)。
ただし、特性値には限界が二つある。 一つ目は、貸借対照表の明細に付かないことである。ブランド別の売上総利益は出せても、ブランド別の在庫や売掛金は、特性値だけでは出ない。二つ目は、原価センタに付いた販管費には、配賦するまで特性値が付かないことである。 ブランド別の営業利益を見たいなら、販管費をブランドへ配賦する規則を別に決める必要がある(SAPの配賦(アロケーション)設計の実務と、共通費を納得感のある基準で割る考え方)。
この二つの限界に当たらない軸は、拡張する理由がない。冒頭の七つのうち、用途、販売チャネル、地域、キャンペーン、担当営業の五つは、損益で切れば足り、得意先や品目や受注の情報から導ける。
拡張を検討するのは、貸借対照表まで切りたい軸だけである
拡張の候補になるのは、特性値の限界に当たる軸である。典型は、資本効率を軸ごとに測りたい場合で、ブランド別や事業別のROICを出すには、在庫と売掛金と固定資産の残高が軸ごとに要る。
それでも、拡張の前に、既にある項目で足りないかを確かめる。 S/4HANAの仕訳の明細には、利益センタとセグメントの項目が最初からあり、伝票分割を使えば、売掛金や買掛金のような貸借対照表の明細にも値を付けられる。事業別のROICなら、利益センタの体系を事業に合わせて組めば、拡張しなくても出せることが多い。 利益センタとセグメントの体系は、損益の責任単位として組むのが基本である(SAPの利益センタ会計で部門別の儲けを損益責任の単位で見る設計と判断基準)。
利益センタに載らない軸、たとえば事業をまたいで横に走るブランドや、補助金の対象の区分のようなものが、拡張の本当の候補になる。その場合も、足すのは一つか二つにとどめ、入力の経路を先に決める。
足す前に、入力元と既定値の決め方をそろえる
拡張すると決めた軸は、三つを決めてから足す。
一つ目は、値の出どころである。 品目のマスタからブランドを代入できるなら、在庫の移動や売上原価の明細には自動で付く。代入は、FIの代入(トランザクションGGB1とOBBH)や、Fioriの代入と検証のルールの管理アプリで組める。 問題は品目を持たない明細で、売掛金の明細には品目がない。請求の伝票から引き継ぐのか、得意先に主たるブランドを持たせるのかを決める。
二つ目は、値が決まらない明細の既定値である。 本社の賃料や借入金のように、どのブランドにも属さない明細は必ずある。空欄のまま残すのでなく、「全社共通」のような値を既定で入れ、後の配賦の対象として扱う。 空欄と全社共通を区別できないと、入力漏れを見つけられない。
三つ目は、検証のルールである。 在庫や売掛金の勘定には、値の入力を必須にする。手入力やアップロードの仕訳は、値がなければ転記できないようにする。ここを決めずに稼働すると、手入力の仕訳が抜け道になる。 手入力の経路を絞る設計と合わせて考える(SAPの手入力仕訳は件数でなく、アップロードと直接起票の経路を絞って統制する)。
移行の前に、既定値で埋まる明細の割合を、過去1年の仕訳で試算しておく。 代入で値が付く明細が9割を超えれば、運用は回る。半分しか付かないなら、残りを人が入れることになり、その軸は拡張に向いていない。
医療機器のメーカー(売上高1,100億円、3月決算)。ECCからS/4HANAへの移行の要件定義で、経営企画から、七つの分析軸をすべての仕訳に持たせたいという要望が出た。 導入ベンダーは、コーディングブロックの拡張で七つとも対応できると回答した。経理部は、七つの軸それぞれについて、損益だけで切れば足りるか、値をマスタから導けるかを整理した。用途、販売チャネル、地域、キャンペーン、担当営業の五つは、損益で切れば足り、品目と得意先と受注の情報から導けたので、マージン分析の特性値にした。 新規事業の区分は、利益センタを一つ立てれば足りた。残ったのはブランドで、経営企画は中期経営計画でブランド別の投下資本利益率を目標に掲げる予定だった。 ブランドは事業部をまたいで展開されていて、利益センタの体系には載らない。経理部はブランドだけを拡張の候補にし、過去1年の仕訳で試算した。品目のマスタからの代入と、請求の伝票からの引継ぎで、在庫と売掛金と売上原価の明細の94パーセントに値が付いた。 残りの明細は「全社共通」を既定値とし、在庫と売掛金の勘定には入力を必須にした。拡張は一項目になり、改修が要った連携は、外部の販売管理システムからの仕訳の取込み一本だけだった。
※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。
決めるのは三つ
第一に、拡張の要望を、入力の経路の数で評価する。 仕訳の明細に項目を足すと、請求、購買、在庫、資産、給与、経費、手入力、アップロードの経路ごとに値の出どころが要る。BAPIで仕訳を取り込む連携には、受け口の改修も要る。
第二に、損益だけで切れば足りる軸は、特性値で持つ。 得意先や品目から派生のルールで導けば、仕訳の担当者は何も入れなくてよい。拡張の候補にするのは、在庫や売掛金まで含めて切りたい軸だけで、それも利益センタとセグメントで足りないことを確かめてからにする。
第三に、足す前に、値の出どころ、既定値、検証のルールを決める。 過去1年の仕訳で、代入だけで値が付く明細の割合を試算し、人が入れる割合が大きい軸は足さない。
コーディングブロックの拡張は設定としては軽いが、足した項目に値を入れる責任が、仕訳を起こすすべての経路に広がる。損益で切れば足りる軸は、マージン分析の特性値にして派生で導く。
拡張を検討するのは、貸借対照表まで切りたい軸で、利益センタにも載らないものに限る。足す前に値の出どころと既定値と検証のルールを決め、過去の仕訳で代入の効く割合を試算してから判断する。
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