期初に組んだ予算は、第1四半期が終わるころには前提が崩れている。為替が動き、主力商品の受注が読みと違い、原材料が上がる。それでも多くの会社は、陳腐化した予算を年度末まで抱え続け、月次会議では「予算比マイナス」を毎回説明する儀式を繰り返す。ここでローリングフォーキャスト(常に数四半期先までを継続更新する予測)が処方箋として持ち出されるが、これを「予算の置き換え」として導入すると、たいてい頓挫する。予算と予測は、代替関係にあるのではない。役割がまったく違う。 本稿は、年度予算を捨てずに、その隣で予測を回す二層運用として、導入の順番と定着の勘所に絞って書く。
予算を全廃するのはなぜ間違いか
固定予算の弊害は、もう論じ尽くされている。前提が変われば数字は古くなり、達成・未達の評価軸としても歪む。だからといって予算を撤廃すると、別の穴が開く。予算は単なる目標値ではなく、部門に資源を配る根拠であり、期初に交わした約束だからだ。この約束を消すと、投資枠も採用計画も人件費の上限も、拠り所を失う。何を根拠に「この部門にいくらまで使わせるか」を決めるのか、が宙に浮く。
一方、固定予算だけで一年を走ると、着地見通しが立たない。予算比の説明はできても、「では最終的にどこへ着くのか」に答えられない。ここに予測が要る。予測は予算を否定する道具ではなく、予算という約束を守れそうか・守れないなら何が起きているかを、期中に可視化する道具だ。着地見込みそのものの立て方は別稿に譲る(着地見込みの精度を上げる:予測が当たらない本当の原因)。
導入は「予算に載せ替える」のではなく「隣に一本足す」
現場でよくある失敗は、既存の予算様式をそのまま流用し、それを毎月更新させることだ。予算は勘定科目が細かく、部門も細分化されている。これを毎月引き直せと言えば、現場は疲弊し、数字は「先月をコピーして少し触っただけ」に劣化する。予測は予算の複製ではない。粒度を粗く、更新を速くするのが設計思想だ。
導入は四段で進めるのが現実的だ。いきなり全社・全科目でやろうとせず、意思決定に効く少数のドライバーから始める。
第一に、予測対象をドライバーに絞る。全科目を積み上げるのではなく、売上と利益を実際に動かす少数の変数――受注件数、平均単価、稼働率、主要原材料価格――だけを継続更新する。細目は比率で従属させる。ここを絞れないと、毎回の更新が重すぎて続かない。
第二に、予測の地平(フォーキャスト・ホライズン)と頻度を決める。定番は「常に先5四半期」を四半期ごとに引き直す形だ。年度末が近づくほど見える範囲が短くなる固定予算と違い、常に一定の先まで視界が保たれる。事業が不安定なら月次で回す。
第三に、予算のレーンを触らない。開示は予算比・予測比・前回予測比を横並びにし、予算列は期初の数字のまま据え置く。予測列だけが毎回動く。前回予測との差分こそが、この一か月で何が変わったかを最も雄弁に語る。
第四に、月次会議の議題を差し替える。予算未達の弁明大会をやめ、「予測がなぜ動いたか、それに対して何を打つか」に主語を変える。これができて初めて、予測は資料から意思決定の道具になる。
予測が予算と食い違ったら、どちらを直すか
導入後に必ず訪れる分岐がこれだ。予測が予算を大きく下回ったとき、予算を下方修正して「達成」に見せたくなる。ここで予算を触ると、二層運用は崩壊する。約束を都合よく書き換える文化が定着し、予算の規律が消える。 原則はこうだ――予算は据え置く。動かすのは予測だけ。そして打ち手は予測を見て決める。
予測が悪化しているなら、それは予算が間違っていたのではなく、実行か外部環境に問題がある。手を打つべきはそこであって、目標の書き換えではない。逆に予測が予算を上回り続けるなら、それは翌期の予算編成に織り込む学びであって、期中に予算を吊り上げる話ではない。予実管理が形骸化する会社ほど、この境界を曖昧にしている(予実管理はなぜ形骸化するか:差異分析を「作業」で終わらせない)。
予算編成そのものを軽くする副作用
二層運用が回り始めると、予算編成にも波及する。期中ずっとドライバーで着地を見ているため、翌期予算をゼロから積み上げる必要が薄れ、直近の予測を出発点に微調整すれば足りるようになる。積み上げに費やしていた秋の数か月が軽くなり、その分を中期の資源配分の議論に回せる。予算編成の重さに悩む会社は、予測の定着を通じて予算プロセス自体を軽くできる(中期経営計画の数字はなぜ絵に描いた餅になるか)。
ローリング予測の価値は、予測精度そのものではない。期中に会社が「いま何が起きていて、どこへ着くのか」を共通言語で語れるようになることだ。予算という約束を据え置いたまま、その隣で見通しを更新し続ける。この二層をきちんと分けて回せるかどうかに、導入の成否は尽きる。



