ROIC経営を掲げる会社は、この数年で一気に増えた。統合報告書にROICツリーが載り、中計に「ROIC ○%」が並ぶ。だが、掲げた会社の多くが、3年でそれを形骸化させる。数字は資料に載り続けるのに、現場は何も変わらない。やがて「ROICは経営企画が管理する指標」に格下げされ、号令だけが宙に浮く。
なぜか。たいていの説明は「ツリーの精度が足りない」「KPIの設定が甘い」に向かう。だが本当の原因はそこではない。資本効率という“財務の言葉”が、現場の“行動の言葉”に翻訳されないまま降りてくることだ。これをCFOが翻訳しきれるかどうかで、ROIC経営は道具にも、お題目にもなる。
「掲げる」と「効く」の間にある、深い谷
ROICそのものは難しくない。投下した資本が、税引後の利益(NOPAT)をどれだけ生んだか。これがWACC(資本コスト)を上回れば価値を創り、下回れば価値を壊す。ROICスプレッド(ROIC−WACC)が正であることが、資本効率の合格ラインだ。CFOにとっては常識の範囲だろう。
問題は、この常識が現場に降りた瞬間に意味を失うことにある。製造ラインの班長に「ROICを上げろ」と言っても、彼が明日変えられるものは何ひとつ指していない。営業に「資本効率を意識しろ」と言っても、受注の現場で何を判断基準にすればいいか分からない。全社のROICは、誰の具体的な行動にも直接は紐づいていない。 ここが谷だ。掲げた数字と、動かせる行動の間に、翻訳されない断絶がある。
形骸化の正体は「翻訳の断絶」だ
ROIC経営が形骸化する会社は、例外なくこの翻訳を飛ばしている。トップが号令をかけ、経営企画がツリーを作り、各部門に「ブレークダウンせよ」と投げる。だが現場には、財務の構造式を自分の業務に翻訳する力も時間もない。結果、ツリーは「正しいが、使われない図」になる。
逆に効かせている会社は、ROICを現場の行動レバーまで翻訳しきっている。たとえばオムロンは、ROICを現場の指標へ落とす「ROIC逆ツリー」で知られる。要は、ROICを利益率と投下資本回転率に分解し、さらに在庫・売上債権・固定資産の回し方や、付加価値・自動化率といった現場が手触りのある言葉まで下ろしていく発想だ。重要なのはツリーの形ではない。現場の人間が「自分のこれを変えればROICが動く」と分かる粒度まで翻訳されているか、その一点だ。
現場が動く条件は、たった2つ
翻訳の先に、現場を実際に動かす条件が2つある。両方そろわないと、翻訳も絵に描いた餅になる。
- 1部門あたり、行動レバーは1〜2個に絞る。 ツリーの末端には何十もの指標がぶら下がる。それを全部追わせた瞬間、現場は何も追わなくなる。その部門が最も効かせられるレバー(在庫部門なら在庫日数、債権管理なら回収サイト)を1〜2個に絞り、そこに集中させる。
- 評価と予算につなぐ。 どれだけ良いレバーも、評価にも予算にも反映されなければ「やってもやらなくても同じ」になる。ROICに効く行動を、目標設定と業績評価、そして翌期の予算配分に接続する。ここを切ると、ROICは“いい話”のまま終わる。
数字を追わせると、数字が壊れる──ゲーミングの罠
最後に、ROIC経営を“真面目にやる”ほど踏みやすい罠を一つ。ROICを評価に強く結びつけると、現場は分子(利益)を増やすより、分母(投下資本)を削るほうへ動きやすい。必要な設備投資を先送りし、在庫を絞りすぎて欠品を招き、R&Dを削る。短期のROICは上がるが、数年後の競争力を売っている。数字を追わせると、数字が壊れるのだ。
だからCFOは、ROICの“上げ方”まで設計に含めなければならない。分母を削る改善(運転資本の効率化)と、分子を伸ばす改善(採算・付加価値)のどちらを今期に求めているのか。成長投資をROICの計算からどう扱うのか。「ROICを上げろ」だけでは、最も安易な上げ方=未来の取り崩しを誘発する。
ROIC経営は、指標の導入プロジェクトではない。財務の言葉を、現場が動く言葉に翻訳し続けるプロジェクトだ。翻訳をやめた瞬間、それは壁に貼られたツリーに戻る。