S/4HANA移行の検討に入ると、必ずこの問いにぶつかる。「RISE with SAPにすべきか、それとも自社でクラウド運用するか、オンプレを続けるか」。ベンダーからはRISEを、既存のインフラ部門からはオンプレ継続を勧められ、判断軸のないまま声の大きいほうに流れていく。だが選択の本質は、どれが新しいかでも、どれが安いように見えるかでもない。この3つは、自社が何を握り、何を手放すかが根本的に違う。本稿は、コスト構造・統制責任・カスタマイズ自由度の3軸で、自社の制約から選ぶための判断軸を書く。
まず「時間軸」と「方式」を分ける
議論が混乱する最大の原因は、「いつやるか(時間軸)」と「どの方式か(RISE/自社/オンプレ)」を混ぜてしまうことだ。この二つは別の問いである。
時間軸のほうは、外部要因でほぼ決まっている。SAPは従来型のBusiness Suite 7(ECC等)のメインストリーム保守を2027年末で終了し、有償の延長保守でも2030年末までとしている(SAP)。つまり遅くとも2027年までにはS/4HANAへ移る意思決定が要る。これは動かせない締切だ。
だが「2027年までに移る」ことと「RISEを選ぶ」ことは、まったく別の判断である。保守期限に追われた会社ほど、時間軸の切迫を方式選定の理由にすり替え、「時間がないからとりあえずRISE」を選ぶ。移行の緊急性は、方式を吟味しない言い訳にはならない。移行アプローチ(現行踏襲か再構築か)の論点は別稿に譲る(S/4HANA移行のアプローチ)。ここでは方式の選び方に絞る。
統制責任――「委ねる」か「握る」か
3方式の最も深い違いは、運用の責任と統制をどこまで自社が握るかにある。RISEはSAPが管理するマネージドサービスで、インフラ運用やアップデートの多くをSAPに委ねる。自社クラウド運用やオンプレは、その多くを自社(と協力会社)が握る。
内部統制の観点では、どちらを選んでも証跡・承認・モニタリングの設計責任は自社に残る点は変わらない(S/4HANAで内部統制を効かせる)。違うのは、その統制をSAPの枠組みの中で組むか、自社の裁量で組むかである。
コスト構造とカスタマイズ自由度
残る2軸も、方式選定を左右する。
コスト構造(CapEx対OpEx)。 RISEはサブスクリプション型で、初期投資(CapEx)を抑えて費用を運用コスト(OpEx)に平準化する。オンプレはハードウェアやライセンスの初期投資が重い。ここで注意すべきは、「OpExだから安い」わけではないことだ。サブスクは長期で累積するため、5年・7年の総所有コスト(TCO)で比べないと判断を誤る。安く見えるOpExが、期間を通せばオンプレを上回ることは珍しくない。財務としては、キャッシュフローの平準化に価値があるか、総額で有利かを分けて評価する。
カスタマイズ自由度(クリーンコア)。 S/4HANAではSAPが「クリーンコア」――標準のコアを改変せず、拡張はコアの外(SAP BTPなどの外部レイヤー)に出す――という方針を推している。RISEはこの思想と強く結びついており、コアへのアドオン(独自改造)に制約がかかる。長年アドオンを積み上げてきた会社ほど、この制約は移行の難所になる。どこまで自社の独自要件を諦め、標準に寄せられるかが、RISEの適合可能性を決める。アドオンをどこまで作るか・標準に合わせるかの判断は、移行スコープの中核論点だ(S/4HANA移行のスコープ設計)。
自社の制約から選ぶ――最終確認
方式は「一般にどれが優れているか」で決まらない。自社の制約――人材・統制要件・既存アドオン・キャッシュ――から選ぶ。意思決定の前に、CFOと情シスで次を確認する。
- SAPを自社で運用できる人材と体制があるか(無ければRISE寄り、あれば自社運用も選べる)
- 統制・監査対応で、アップデート時期や環境を自社の都合で握る必要がどれだけあるか
- 既存アドオンのうち、標準(クリーンコア)に寄せて捨てられるものと、どうしても残すものを仕分けたか
- OpEx平準化の価値か、5〜7年TCOの総額有利か――どちらの物差しで選ぶかを先に決めたか
- 2027年の保守期限までの移行スケジュールと、方式選定の吟味時間を分けて確保したか
「新しいから」「ベンダーが勧めるから」でRISEを選ぶのが最悪だ。RISEは運用負担を大きく下げる有力な選択肢だが、その代わりに統制の細部とカスタマイズの自由度を手放す。それが自社にとって痛くないなら合理的だし、痛いなら自社運用を選ぶ理由になる。この痛みの大小は、自社にしか判断できない。



