経営会議で研究開発費の話になると、出てくる数字はたいてい二つしかない。今期の総額と、売上高に対する比率だ。前期比で少し増えた、業界平均と比べて低い、来期は微増で置く。三十分で終わる。この会議では、増やす判断も止める判断も原理的にできない。 総額と比率は結果の要約であって、意思決定の単位ではないからだ。意思決定の単位はテーマである。そしてテーマ単位の数字が出てこないのは、経理が怠けているからではない。会計基準が、そういう構造になっているからだ。
総額と比率でしか見ていない会社は、増やす判断もできない
止める判断ができないことより、増やす判断ができないことのほうが重い。
売上高研究開発費比率を業界平均と比べる議論は、平均に寄せる圧力しか生まない。低ければ増やせと言われ、高ければ絞れと言われる。どちらの結論も、自社のどのテーマにいくら足すのか、どのテーマから抜くのかを何も決めていない。予算だけが動いて、配分は前年踏襲で決まる。
配分が前年踏襲になる会社では、テーマの新陳代謝が止まる。新しいテーマを立てるには既存のテーマから原資を取るしかないが、既存のテーマを止める根拠が誰にも書けない。だから既存が残り、新規は「来期検討」になる。三年続けば、研究開発費は事業の意思ではなく組織の慣性を表す数字になる。
増やす判断も止める判断も、テーマという単位を持って初めて成立する。 総額はその合計であって、逆算はできない。
会計基準は、判定を降りたと明言している
管理会計でテーマ単位を持つべき理由は、実務の便宜ではない。制度会計の側が、判定を引き受けないと宣言しているからだ。
「研究開発費等に係る会計基準の設定に関する意見書」の理由づけは率直である。研究開発費は発生時には将来の収益を獲得できるか否か不明であり、計画が進行して期待が高まっても、その獲得が確実であるとはいえない。加えて、実務上客観的に判断可能な要件を規定することは困難であり、抽象的な要件のもとで資産計上を求めれば企業間の比較可能性が損なわれるおそれがある。
読み替えるとこうなる。**どのテーマが実るかは、外から検証できる形では書けない。だから全部費用にする。**これは会計として正しい判断だ。財務諸表の比較可能性を守るには、判定を諦めるほうが安全である。
だが、経営はそこで止まれない。実るかどうかを判定しないまま金を出し続けることはできないし、判定を外部の基準に委ねることもできない。**会計が「客観的には書けない」と言った領域こそ、自社の言葉で条件を書くしかない領域である。**ここを埋める作業が、研究開発の管理会計の本体になる。
定義は基準の側にある。研究開発費等に係る会計基準の一 定義は、研究を「新しい知識の発見を目的とした計画的な調査及び探究」、開発を「新しい製品・サービス・生産方法についての計画若しくは設計又は既存の製品等を著しく改良するための計画若しくは設計として、研究の成果その他の知識を具体化すること」としている。この線引きは、テーマの段階を分けるときの出発点として使える。
帳簿に累計が残らない。専用設備すら残らない
テーマ別の累計投下額が出てこない理由を、もう少し具体的に見ておく。
研究開発費に含まれる原価要素は、人件費、原材料費、固定資産の減価償却費及び間接費の配賦額等、研究開発のために費消されたすべての原価である。これらは費用として当期の損益に落ちる。翌期になれば、前期にいくら使ったかは総勘定元帳を遡らないと分からない。テーマ別に集計する仕組みを別に持っていない限り、遡っても分からない。
さらに効くのが注1だ。特定の研究開発目的にのみ使用され、他の目的に使用できない機械装置や特許権等を取得した場合の原価は、取得時の研究開発費になる。移管指針第8号「研究開発費及びソフトウェアの会計処理に関する実務指針」第5項は、この「特定の研究開発目的にのみ使用され、他の目的に使用できない」を、特定の研究開発プロジェクトの目的のみに使用され、他の研究開発プロジェクトには使用することが機能的・物理的にできないことをいう、と定義している。
**専用の試験設備を数億円で買っても、固定資産台帳には載らない。**通常の設備投資なら固定資産台帳がプロジェクト別の投下額を教えてくれるが、研究開発ではその足跡すら消える。設備投資の執行管理と同じ感覚でいると、この差に足をすくわれる(設備投資予算の執行管理|承認後に膨らむ工事費をどこで止めるか)。
つまり、テーマ別の累計を持ちたければ、会計の外に台帳を作るしかない。作らない限り、「このテーマにこれまでいくら入れたか」という問いに、会社は永遠に答えられない。
自分で作ると消え、買ってくると残る
もう一つ、ポートフォリオを歪める非対称がある。企業会計基準第23号「『研究開発費等に係る会計基準』の一部改正」は、研究開発費等会計基準に適用範囲の定めを追加し、企業結合により被取得企業から受け入れた資産(受注制作、市場販売目的及び自社利用のソフトウェアを除く)については本基準を適用しないこととした。
結果として、同じ「開発途上のテーマ」でも、自社で立ち上げたものは全額費用になり、買収で受け入れたものは資産として貸借対照表に載る。帳簿の上では、外から買ってきた開発だけが姿を持つ。
この非対称は、社内の議論を静かに歪める。買収案件のときには「取得価額の配分」として開発途上のテーマの価値が真剣に見積もられ、経営会議で議論される。自社のテーマについては、同じ議論が一度も行われない。金額としては後者のほうが大きいことすらある。
管理会計でテーマ台帳を持つと、この二つを同じ土俵に乗せられる。買収で受け入れたテーマも、自社発のテーマも、累計投下額と次のゲート条件で並べる。**帳簿がやってくれないから、こちらで揃える。**ポートフォリオの棚卸しは、事業単位の前にテーマ単位で必要になることが多い(事業ポートフォリオ管理の実務:成長率×ROICで自社事業を棚卸しする)。
回すのは台帳であって、年に一度の棚卸しではない
テーマ管理を「年度末のレビュー」として設計すると、ほぼ必ず形骸化する。レビューの場では止める話が出にくく、担当者の説明を聞いて「もう一年」で終わるからだ。必要なのは、投下額の積み上げと次のゲート判定が同じ台帳の上で回り続ける状態である。
四つ目が要になる。撤退の議論が進まない最大の理由は、止めた後にその人員と予算がどこへ行くのか誰も言えないことだ。原資の受け皿を先に用意しておくと、止める提案は担当者側からも出るようになる。サンクコストに引きずられない設計の考え方は、事業の撤退基準と共通している(撤退・損切りの意思決定基準:サンクコストに引きずられない撤退ルールの設計)。
会計基準の中に、たった一つだけゲートの実例がある
「ゲート条件をどう書けばよいか分からない」という声には、基準そのものが手本を出している。市場販売目的のソフトウェアだ。
注3は、市場販売目的のソフトウェアについて、最初に製品化された製品マスターの完成までの費用及び製品マスター又は購入したソフトウェアに対する著しい改良に要した費用が研究開発費に該当するとしている。移管指針第8号第8項は、この完成時点を「製品番号を付すこと等により販売の意思が明らかにされた製品マスター」の完成時点と定め、判断を次の二点で行うとする。製品性を判断できる程度のプロトタイプが完成していること。プロトタイプを制作しない場合は、製品として販売するための重要な機能が完成しており、かつ重要な不具合を解消していること。
ここには、良いゲート条件の要素がすべて入っている。第一に、意思の表明が外形で確認できること(製品番号を付す)。第二に、技術的な完成度が二者択一で判定できること(プロトタイプの完成、または重要な機能の完成と重要な不具合の解消)。第三に、抜け道が塞がれていること。**同第9項は、著しい改良と認められる場合には、著しい改良が終了するまでは第8項の研究開発の終了時点に達していないとしている。**中身が変わり続けているのに「もう開発は終わった」と言い張ることを許さない構造である。
自社利用のソフトウェアの側も参考になる。第11項は、将来の収益獲得又は費用削減が確実であると認められる場合に無形固定資産へ計上し、確実であると認められない場合または確実であるかどうか不明な場合には費用処理するとしている。**確実でないものと、確実かどうか分からないものを、同じ扱いにしている。**さらに第12項は、資産計上の開始時点を、確実であると認められる状況になった時点であり、そのことを立証できる証憑に基づいて決定するとし、証憑の例として制作予算が承認された社内稟議書を挙げている。
条件の書き方は、この三つを借りればいい。外形で確認できること。二者択一で判定できること。証憑で立証できること。
| テーマの段階 | 通過条件に置くもの | 止める合図 |
|---|---|---|
| 探索(研究) | 検証すべき仮説が一文で書けている。検証に必要な期間と金額の上限が事前に決まっている | 期限内に仮説が検証も反証もされない。上限額に達しても次に問うべき問いが出てこない |
| 実証 | 技術的な成立条件が定量で書かれ、達成/未達が二者択一で判定できる | 未達の理由が毎回「もう少し」であり、達成条件そのものが下方修正されている |
| 製品化 | 販売の意思が外形で確認できる(型番、価格、販路、初回生産計画のいずれか) | 発売時期が二期連続で後ろ倒しになる。仕様の追加が続き、著しい改良が終わらない |
| 上市後の改良 | 追加投下額に対する増分の売上または原価低減が見積もられ、承認されている | 改良の目的が競合追随だけで、増分の説明ができない |
段階ごとに条件が違うことに意味がある。探索の段階に定量の収益条件を置くと、探索は死ぬ。逆に製品化の段階で「技術的に面白い」を通過条件にすると、何も止まらない。
全社一律のハードルレートを、研究開発に当てない
投資判断のルールを整えた会社ほど、研究開発でつまずく。全社のハードルレートをそのまま当ててしまうからだ。
設備投資と研究開発では、回収までの期間が桁で違う。探索段階のテーマに五年回収の基準を当てれば、すべて不合格になる。かといって基準を緩めれば、設備投資との整合が崩れる。同じ物差しに乗せようとすること自体が誤りである。
現実的な形は、段階ごとに問う指標を変えることだ。探索と実証の段階では、収益性ではなく「次のゲートまでにいくら使うか」の上限だけを決める。製品化の段階に入って初めて、投下額に対する回収を問う。上市後の改良では、増分の効果を問う。ハードルレートを使うのは三段目からでいい。
割引率をどう置くかという議論そのものは避けられないが、事業リスクの違いを反映させる設計は別途必要になる(ハードルレート(要求収益率)の決め方:WACCをそのまま使ってはいけない理由)。そして投じた後に振り返る仕組みがなければ、条件は毎回甘くなる(投資後のレビュー(ポストオーディット)を仕組みにする:やりっぱなし投資を止める)。
税額控除は、止める判断と逆向きに効く
もう一点、経営会議で必ず出る論点を先に片づけておく。研究開発税制である。
租税特別措置法第42条の4第1項は、青色申告書を提出する法人の各事業年度において試験研究費の額がある場合に、控除対象試験研究費の額に各号に定める割合を乗じた金額(税額控除限度額)を調整前法人税額から控除するとし、各号に定める割合が百分の十を超えるときは百分の十とすると定めている。そして税額控除限度額が控除上限額を超えるときは、その控除を受ける金額は控除上限額を限度とし、この控除上限額は当該事業年度の所得に対する調整前法人税額の百分の二十五に相当する金額とされている(中小企業者等については同条の別の項に異なる定めが置かれている)。
構造を読むと二つのことが分かる。第一に、**控除は試験研究費の総額に効く。**テーマの筋の良し悪しは一切見ない。使えば使うほど控除が増えるので、止める判断に対しては逆向きの力が働く。第二に、控除上限が調整前法人税額を基準にしている以上、**業績が落ちた期ほど控除は効かない。**苦しい年に「税額控除があるから続けよう」という理屈は、実際には成立しにくい。
税制を軽視しろという話ではない。控除は取りにいくべきだ。ただし、控除の存在をテーマ継続の理由にしてはいけない。ここを混ぜると、税務メリットのために筋の悪いテーマを抱え続けることになる。
会計が降りた判断を、どこで拾うか
研究開発費が固定費のように積み上がる会社に共通しているのは、投じる金額の大きさではない。投じた先を単位として持っていないことである。
会計基準はこの点で何も助けてくれない。全額を発生時に費用処理し、専用設備の取得原価まで費用に落とし、外部に出す研究開発費の情報は総額だけ。しかもそれは基準の欠陥ではなく、意図した選択である。どの開発が実るかを客観的に判定できる要件は書けないと認めたうえで、比較可能性を優先した結果だ。
だから、判定は経営が引き受ける。引き受けるために必要なものは三つしかない。テーマごとの累計投下額。テーマごとの投資段階。次のゲートを通過する条件。この三つを一枚の台帳に載せ、月次で更新する。
条件の書き方に迷ったら、基準の中の実例を借りればいい。外形で確認できること。二者択一で判定できること。証憑で立証できること。そして著しい改良が終わるまで終了とは認めない、という抜け道の塞ぎ方まで含めて借りる。
最後に一つ。**止めた原資の行き先を先に決めていない撤退基準は、必ず空文になる。**行き先のない撤退は、誰も提案しない。



