稟議の投資効果欄に、NPV、IRR、回収期間の3つが並んでいる。3つとも「Go」を指していれば誰も困らない。困るのは、IRRは案件Aが上だと言い、NPVは案件Bが上だと言い、回収期間はまた別の答えを出すときだ。このとき「どれを信じるか」を場の空気で決めてしまうと、会社のお金の配り方そのものが狂う。本稿では、3指標がそれぞれ「どんなときに嘘をつくか」を具体ケースで並べ、最後に現場で迷わないための意思決定の順序を置く。教科書の定義の引き写しではなく、稟議の机の上で実際にどう動かすかを書く。
まず3指標が「測っているもの」を1行で言い切る
混乱の半分は、3つが別々のものを測っているのに同じ土俵で比べようとすることから来る。NPV(正味現在価値)が測るのは、会社の価値がいくら増えるか、という金額そのものだ。単位は「円」。プラスなら株主価値が増える、それだけのことだ。IRR(内部収益率)が測るのは、その投資の利回り、効率で、単位は「%」。資本コスト(ハードルレート)を上回るかどうかで判定する。回収期間(ペイバック)が測るのは、お金が戻ってくるまでの速さ、流動性とリスクの目安で、単位は「年」だ。
ここで決定的なのは、金額(NPV)と利回り(IRR)と速さ(回収期間)は本質的に別の質問への答えだということ。同じ案件で3つが食い違うのは異常ではなく、むしろ自然だ。だから「どれが正しいか」ではなく「いまの意思決定はどの質問に答えるべきか」を先に決める。これが出発点になる。
ケースで見る、各指標が誤った結論を出す瞬間
各指標は、特定の条件下で「良い案件を殺す」か「悪い案件を勝者に祭り上げる」。代表的な3つの誤作動を並べる。
ケース1:規模が違う2案件——IRRが小粒案件を勝者にする
案件A:投資100万円、IRR30%。案件B:投資1億円、IRR20%。IRRだけ見ればAの圧勝だ。だが会社の価値をいくら増やすか(NPV)で見れば、Bが生む絶対額のほうがはるかに大きいことは珍しくない。IRRは「率」なので規模を捨象する。
投じられる資金が潤沢で、AとBが排他でない(両方やれる)なら問題は起きない。問題が起きるのは予算が限られ、AかBか一方しか選べないときだ。ここでIRRを優先すると、利回りは高いが会社をほとんど太らせない小粒案件を選び、大きな価値創造を取り逃がす。排他案件の優劣はIRRの単純比較では決められない——これがIRRの最も実害の大きい落とし穴である。
ケース2:期間が長い案件——回収期間が「儲かる投資」を切り捨てる
回収期間は、設定したカットオフ(基準年数)より後のキャッシュフローを一切見ない。3年で回収する案件と、回収は4年かかるが5年目以降に大きく稼ぐ案件があったとき、カットオフを3年に置くと後者は問答無用で落ちる。設備やシステムのように、立ち上がりが遅く後半に効いてくる投資ほどこの罠にはまる。
- カットオフ後を見ない:基準年数より後のキャッシュフローを一切無視する。後半に稼ぐ良案件を体系的に殺す。
- 時間価値を無視する:1年後の100万円と5年後の100万円を同じ100万円として数える(割引回収期間法で部分的に直せる)。
回収期間は速さの目安としては優秀だが、収益性の指標として単独で使うと、長く稼ぐ良案件を体系的に殺す。
ケース3:IRRそのものが信用できない2つの状況
ひとつは再投資の仮定。IRRは、途中で得たキャッシュをそのIRRと同じ利回りで再投資できる、と暗黙に仮定する。IRRが30%なら、毎年戻る現金を常に30%で回し続けられる前提だ。現実にそんな運用先はそうない。だからIRRは高利回り案件の魅力を過大評価しがちだ(この歪みは、現実的な再投資利回りを別途置くMIRR=修正内部収益率で補正できる)。もうひとつは複数IRR問題。途中で大きな追加投資が入るなどしてキャッシュフローの符号がプラス・マイナスと複数回入れ替わると、IRRの解が数学的に複数出てしまう。どれが正しいIRRなのか決められず、%の比較が無意味になる。プラントの大規模改修や、終盤に撤去・原状回復費がかさむ案件で実際に起こる。
- 割引回収期間法:現在価値に割り引いてから回収年数を測り、回収期間の時間価値無視を部分的に直す。
- MIRR(修正内部収益率):現実的な再投資利回りを別途置き、IRRの過大評価を補正する。
- 増分IRR:2案件の差分キャッシュフローのIRRを見て、規模の罠を回避する。
現場での意思決定の順序——稟議でこう動かす
矛盾したときに迷わないために、優先順位を固定する。主役はNPV、IRRと回収期間は脇役。これを社内ルールとして言語化しておくと、稟議の議論が空中戦にならない。
第1ゲート(Yes/No):NPVがプラスか。 プラスでなければ、IRRがいくら高かろうと原則として通さない。会社の価値を増やさない投資だからだ。ここはNPVに一票だけ持たせる。
第2ゲート(どれを選ぶか):排他案件・予算制約があるなら、NPVの大きい順に並べる。 ケース1の通り、IRRの順位は規模を無視するので、どれかひとつを選ぶ局面では使わない。どうしてもIRRで比べたいなら、2案件の差分キャッシュフローに対するIRR(増分IRR)を見る——これなら規模の罠を回避できる。
第3ゲート(リスクと資金繰りの最終チェック):回収期間で足切りする。 NPVが正でも、回収に7年8年かかる案件は、その間の事業環境激変リスクと資金の固定化リスクを背負う。会社の体力や資金繰りに照らして「これ以上は寝かせられない」という年数を超えるなら、NPVが正でも見送る、あるいは条件を付ける。回収期間はここで初めて、しかし強く効かせる。
IRRの位置づけ: IRRは「ハードルレートを超えているか」のYes/No判定と、経営層への説明(「この投資はざっくり何%回る」という直感的な物差し)に使う。順位付けの主役には据えない。符号が複数回変わる案件ではIRRを表に出さず、NPVとMIRRで語る。
CFOzine編集部として最後に言い切っておく。3指標が一致したら、それは幸運なだけだ。指標は意思決定を代行しない。代行させた瞬間に、規模を見落とし、長く稼ぐ案件を捨て、ありもしない利回りを信じることになる。 3つは別々の質問への答えであり、答えを束ねて結論を出すのは人間の仕事だ。
- NPV=金額。第1ゲート(プラスか)と第2ゲート(大きい順)の主役。最終決定権を持つ。
- IRR=効率。ハードルレート超えのYes/No判定と経営層への説明に使う。順位付けの主役にはしない。符号が複数回変わる案件はNPVとMIRRで語る。
- 回収期間=速さ。第3ゲートでリスクと資金繰りを足切り。ここで初めて、しかし強く効かせる。
- この順序を稟議フォーマットに埋め込めば、次に3つが食い違っても、もう空気で決めずに済む。



