営業本部長が稟議を持ってくる。表題は「戦略的受注について」。定価4億8,000万円の案件を3億6,000万円で受けたい、という内容である。 稟議書には、今期の受注残が薄いこと、この顧客が業界の主要プレイヤーであること、次期の追加案件が見込めることが書かれている。採算の欄には「限界利益は確保」とだけある。 決裁欄には社長印を押す枠がある。この稟議を承認するか否かを議論している時点で、設計が一つ間違っている。 個別の案件を一件ずつ判断する仕組みでは、何件承認したのか、累計でいくら削ったのかを誰も見ていない。

POINT
値引きには、社内の採算とは別に、外側の枠がある。公正取引委員会の「不当廉売に関する独占禁止法上の考え方」は、独占禁止法第2条第9項第3号の「供給に要する費用」を、廉売対象商品の供給に要するすべての費用を合計した総販売原価としたうえで、その費用を「著しく下回る」かどうかは、可変的性質を持つ費用(廉売対象商品を供給しなければ発生しない費用)を下回るかどうかで判断するとしている。 ここで押さえるべきは、条文の要件に 「継続して供給」 と 「他の事業者の事業活動を困難にさせるおそれ」 が入っていることである。単発の一件が直ちに問題になるという話ではない。逆に言えば、問題になる形は常に累積でしか現れない。 そして稟議は一件ごとの判断である。同一の顧客、同一の商品に対して、この二年で何件、いくら削ったのかは、稟議書の束のどこにも書かれていない。 社内の採算判断と法令上の外枠の両方が、同じ一点で崩れている。見るべき単位が案件ではなく母集団であるということを、承認の仕組みが表現できていない。

「限界利益は確保している」は、条件付きの命題である

赤字受注の稟議で最も多く書かれるのが、限界利益は出ているという一文である。これは間違いではない。ただし、成立する条件が限定されている。

限界利益さえ出ていれば受けるべきだという判断が正しいのは、その受注を断ったときに空く能力が、他の何にも使われない場合である。 遊休している設備、埋まらない技術者の稼働、期末に空く生産枠。この局面では、限界利益がゼロより大きいなら受けたほうが固定費の回収は進む。

問題は、多くの会社でこの前提が確かめられていないことにある。その案件が占有する能力が、同じ期の別の案件に振り向けられる可能性があるかどうか。 振り向けられるなら、比較すべきは限界利益の絶対額であって、ゼロではない(限界利益率の高い順に売ると全社利益が下がる理由、制約工程1時間あたりの採算で受注を選ぶ)。

そして、この命題には時間の問題がある。遊休能力を前提にした判断は、その期限りの判断である。 ところが値引いた単価は次の見積りの基準になる。同じ顧客からの次の引合いで、前回の単価より高い見積りを出せる営業はいない。 一回の例外として承認したものが、その顧客の標準価格に変わる。限界利益基準の受注が二期、三期と続いている会社は、遊休能力の話をしているのではなく、値崩れの話をしている。

したがって、承認のルールに書くべきは「限界利益が出ていれば可」ではない。遊休能力を前提にした例外承認は、期間と数量を区切って与える。 対象の生産枠、有効期限、そして同一顧客への次回適用を認めないことまでを、承認の条件として文書に残す。

閾値を割引率で置くと、大口ほど審査が甘くなる

もう一つ、決裁権限規程の側に構造的な欠陥がある。値引きの閾値が、ほとんどの会社で率になっていることである。

定価からの割引率10パーセントまでは部長、20パーセントまでは本部長、それを超えると社長。一見すると整っている。実際に起きるのは、金額の桁が違う案件が同じ決裁者に集まることである。 1,200万円の案件の25パーセント引きは300万円、4億8,000万円の案件の25パーセント引きは1億2,000万円。規程の上では、どちらも同じ承認者である。

さらに悪いのは、率の分母が定価であることだ。定価が実勢から離れている商品では、割引率が大きく見えるだけで実質は標準的な取引ということが起きる。 逆に、定価を実勢に近づけている商品では、わずかな割引率でも原価を割る。同じ規程の下で、片方は過剰に審査され、もう片方は素通りする。

閾値は、率ではなく二つの実額で置く。第一に、その案件から出る限界利益の絶対額。第二に、総販売原価に対する回収率である。 前者が決裁者の階層を決め、後者が承認の可否を分ける線になる。

値引き案件は「削った率」でなく「何を割ったか」と「占有するか」で仕分ける。
自社の能力を占有する度合い 高 →
比較で決める層
総販売原価は割るが可変費は上回る。能力を占有するため、断った場合に入る他案件との限界利益額の比較が判断軸になる。ゼロとの比較ではない
原則として受けない層
可変的性質を持つ費用まで割り込み、かつ能力を占有する。受けるほど現金が減る。承認するなら期間・数量・次回不適用を条件として明記する
ルールで通してよい層
原価は回収できている通常の値引き。決裁は限界利益の絶対額で階層を決め、案件ごとの稟議に上げない
累積で見る層
可変費を割るが能力は空いている。単発なら影響は限定的だが、同一顧客・同一商品での継続は不当廉売の要件に近づく。件数と累計額の管理が要る
価格が割り込んだ深さ(総販売原価→可変費)→
率で切ると全部が同じ箱に入る。深さと占有の二軸で分ければ、個別に審議する案件と、ルールや累積の管理に回す案件を切り分けられる。

工事を伴う赤字受注は、承認した期に工事損失引当金が立つ

稟議で見落とされる最大の論点が、会計処理である。赤字で受けると決めた時点で、損失は将来ではなく当期に立つ。

企業会計基準適用指針第30号(収益認識に関する会計基準の適用指針)第90項は、工事契約について、工事原価総額等が工事収益総額を超過する可能性が高く、かつ、その金額を合理的に見積ることができる場合には、その超過すると見込まれる額(工事損失)のうち、当該工事契約に関して既に計上された損益の額を控除した残額を、工事損失が見込まれた期の損失として処理し、工事損失引当金を計上すると定めている。 進行基準か完成基準かを問わず適用される。

つまり、据付や工事を伴う案件で赤字受注を承認したなら、その承認は次期の話ではなく、承認した期の営業利益を削る意思決定である。 稟議書に「今期の受注残が薄いから」と書いてある案件が、今期の利益をさらに削るという逆転が起きる。

この逆転に気づくのは、たいてい期末の監査である。受注時点で赤字が見込まれていた案件を監査法人が拾い、引当金の計上を求める。 経理は稟議の存在を知らず、営業は会計処理を知らない。両方が悪いのではなく、稟議の様式に決算影響の欄がないことが原因である(経理のミスはなぜ繰り返すのか、原因の4分類とフールプルーフ設計)。

対処は単純で、承認の様式に一行足す。この案件を承認した場合に当期に計上される引当金の額。 見積れないなら承認しない。見積れる案件については、その金額が承認者の目に入る。

一件では見えないものを、母集団で見る

そして、稟議という仕組みが構造的に扱えないのが累積である。一件ごとに決裁が下りていくので、同じ顧客に対して何件目なのかを誰も数えていない。

必要なのは、承認の仕組みではなく報告の仕組みである。四半期に一度、承認済みの例外案件を一覧で出す。 列は、顧客、商品、承認日、承認者、限界利益額、総販売原価に対する回収率、そして同一顧客への累計件数と累計削減額。この一覧を取締役会に出すことが、外枠の管理そのものになる。

会社法の建て付けから見ても、順序は同じになる。会社法第362条第4項は、取締役会が重要な業務執行の決定を取締役に委任することができないと定めている。 個別の赤字受注が重要な業務執行に当たるかどうかは金額次第だが、採算の下限をどこに置くかは、個別案件の可否より上位の方針であり、取締役会が先に決めておくべき事項である。 下限が決まっていない状態で個別案件だけが取締役会に上がってくるのは、順序が逆になっている(グループ会社の決裁権限規程、親会社が承認する事項の切り分け方)。

一覧を作ると、たいてい二つのことが分かる。一つは、承認された例外の大半が、特定の数社に集中していること。 もう一つは、当初「一回限り」として承認した条件が、その顧客の標準になっていることである。

注意
値引きの管理を売上総利益率で行っている会社は、リベートと販促費の位置に注意が要る。販売時点の値引きは売上高から引かれるが、後から支払うリベートや販促協賛金は販売費として下に落ちることがある。 同じ顧客への実質的な値引きが、損益計算書の二か所に分かれて表示される。この状態で「粗利率は確保している」と報告されると、承認者は実際より高い採算を見て判断することになる(値引き・リベート・販促費はネット売上で管理する、総額売上では顧客別の採算が読めない)。

赤字受注の承認ルールで決める三つ

第一に、限界利益基準の承認を、期間と数量を区切った例外としてのみ与える。 限界利益さえ出ていれば受けるという判断が正しいのは、断ったときに空く能力が他の何にも使われない場合に限られる。その能力が同じ期の別案件に振り向けられるなら、比較すべきはゼロではなく他案件の限界利益額である。 そして値引いた単価は次の見積りの基準になるため、遊休能力を前提にした例外は、対象の生産枠、有効期限、同一顧客への次回不適用までを条件として文書に残す。

第二に、決裁の閾値を割引率から実額に置き換える。 率で切ると、1,200万円の案件の25パーセント引き(300万円)と4億8,000万円の案件の25パーセント引き(1億2,000万円)が同じ承認者に集まる。定価が実勢から離れている商品では割引率が大きく見えるだけで実質は標準取引になり、定価が実勢に近い商品ではわずかな率でも原価を割る。 限界利益の絶対額で決裁者の階層を決め、総販売原価に対する回収率で可否の線を引く。あわせて、承認の様式に当期計上される引当金の額を書く欄を設ける。 企業会計基準適用指針第30号第90項により、受注時点で損失が見込まれる工事契約は、損失が見込まれた期に工事損失引当金を計上する。受注残を埋めるための承認が、承認した期の利益を削る。

第三に、承認済みの例外を四半期ごとに母集団で見る。 顧客、商品、承認日、承認者、限界利益額、総販売原価に対する回収率、同一顧客への累計件数と累計削減額を並べる。公正取引委員会の考え方が示す不当廉売の枠組みは、供給に要する費用を著しく下回る対価での「継続」した供給を要件としており、その形は一件の稟議では見えない。 会社法第362条第4項は重要な業務執行の決定を取締役に委任できないとしているが、取締役会が先に決めるべきは個別案件の可否ではなく、採算の下限をどこに置くかである。下限が決まっていない状態で例外だけが上がってくる会議体は、判断しているように見えて何も決めていない。

設例

売上高178億円の産業機械メーカー。標準機と、顧客仕様に合わせた特注機、そして据付工事を持つ。値引きの決裁権限規程は十年以上変わっておらず、定価からの割引率10パーセントまで営業部長、20パーセントまで営業本部長、それを超える場合は社長決裁という三段構えだった。 見直しのきっかけは監査法人の指摘である。期末監査で、受注時点で赤字が見込まれていた据付案件2件について工事損失引当金の計上を求められ、金額は合計1億1,400万円だった。 どちらも前期に社長決裁で承認されていた案件で、稟議書には「戦略的受注」と書かれていた。経理部長はこの二件の存在を知らず、営業本部は引当金という言葉を稟議の過程で一度も聞いていない。 CFOがまず指示したのは、過去三期の割引率20パーセント超の案件をすべて一覧にすることだった。件数は187件、値引き総額は9億2,000万円だった。 総額そのものより、分布のほうが問題だった。187件のうち上位11件で値引き総額の62パーセントを占めており、この11件はすべて社長決裁だが、稟議書に添付された採算表の様式が11件とも違っていた。 そして顧客別に並べ直すと、上位3社への案件が74件、値引き累計は5億1,000万円である。うち1社については、直近三期で受けた23件のうち17件が総販売原価を割っていた。 一件ずつの稟議では、いずれも「今回に限り」という記載がある。改めたのは三点である。第一に、閾値を率から実額に置き換えた。 限界利益額3,000万円未満は営業本部長、それ以上は経営会議、総販売原価の回収率が100パーセントを下回る案件は金額にかかわらず経営会議とし、可変的性質を持つ費用を下回る案件は原則として受けないことにした。原則の例外は、対象の生産枠と有効期限と数量を明記した場合に限り、同一顧客への次回適用は認めない。 第二に、稟議の様式を一枚に統一し、当期に計上される引当金の見込額を必須欄にした。見積れない場合は承認できない。 第三に、四半期ごとに承認済み例外の一覧を取締役会に出す運用を始めた。列は顧客、商品、承認日、承認者、限界利益額、総販売原価回収率、同一顧客への累計件数と累計削減額である。 導入から四期後、割引率20パーセント超の案件数は年間62件から38件に減り、値引き総額は年間3億1,000万円から1億8,000万円になった。受注高は減っていない。 営業本部長の説明が実務を言い当てている。率で決裁を通していた頃は、値引きの交渉が社内向けの交渉だった。実額と回収率が出るようになってから、交渉相手が顧客に戻った。

※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。

まとめ

稟議を一件ずつ通す仕組みのままでは、何件目の例外なのか、累計でいくら削ったのかが見えない。決めるのは個別の可否より先に、採算の下限と決裁の実額である。据付や工事を伴う案件なら、赤字と分かって承認した時点で、その期に工事損失引当金が立つ。

手始めに、過去三期の割引率20パーセント超の案件を顧客別に並べ直すことだ。特定の数社に例外が集まっていれば、その一覧が取締役会に出す最初の資料になる。

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