二月の下旬、監査法人からKAMの案が届く。経理部長が読み、いくつかの表現に赤を入れて返す。二往復、三往復。「この書き方だと、うちの見積りが恣意的に見える」「この数字は開示していない」。 最終的にはどこかで落ち着くのだが、落ち着いた文面を来期また同じように削ることになる。
この往復に費やす時間は、決算期のいちばん高い時間帯に発生している。しかも、削る作業そのものには何の生産性もない。問題は交渉が下手なことではなく、交渉が始まる時点で会社側に手札が残っていないことである。 手札は期中に置く。KAMという制度は、そのように設計されている。
候補は期首に読める
第8項は、特に注意を払った事項を決定する際に考慮しなければならない項目を三つ挙げる。(1)監査基準委員会報告書315に基づき決定された特別な検討を必要とするリスク又は重要な虚偽表示リスクが高いと評価された領域、(2)見積りの不確実性が高いと識別された会計上の見積りを含む、経営者の重要な判断を伴う財務諸表の領域に関連する監査人の重要な判断、(3)当年度に発生した重要な事象又は取引が監査に与える影響。
この三つは、会社側が期首の時点で自分で読める。(1)は監査計画の説明で監査人が示す。(2)は自社の重要な会計上の見積りの注記が何を挙げているかで分かる。(3)は当期に何をやったかである。大型の企業結合、新しい収益の型、事業の撤退、大きな設備投資。これらが起きた年に、その領域がKAMの候補にならないことはまずない。
適用指針も具体的に書いている。A24は、監査人が特別な検討を必要とするリスクと判断していない場合でも、監査基準委員会報告書540に従って見積りの不確実性が高いと識別した会計上の見積りに利用者が関心を示している場合があり、当該見積りは経営者の判断に依存する程度が高く、財務諸表上最も複雑な領域であることが多いとする。同項は、多くの同業他社の会計方針と異なる場合に利用者が高い関心を示すことがあるとも書く。自社だけ会計方針が違う領域は、それだけで候補になる。
A18は、財務諸表に明記されない事項も候補になり得るとし、当期において新しいITシステムが導入された場合又は既存のITシステムに重要な変更が行われた場合を例に挙げる。収益認識に影響するシステムの更新や変更は、特別な検討を必要とするリスクに関連することもある。基幹システムの入替年度に、その事実がKAMの候補として意識されている会社は多くない。
つまり候補の一覧は、期首に紙一枚で作れる。重要な会計上の見積りの注記に挙がっている項目、当期に発生した重要な取引、そして当期のシステム変更。この三本を並べれば、監査人が期末に持ってくるものとほぼ重なる。
期末の文面交渉の正体は、注記の薄さである
ここが本題になる。
第12項は、監査報告書のKAM区分に記載すべき内容として四つを挙げる。(1)関連する財務諸表における注記事項がある場合は、当該注記事項への参照、(2)個々のKAMの内容、(3)財務諸表監査において特に重要であるため当該事項をKAMに決定した理由、(4)当該事項に対する監査上の対応。
(1)に「注記事項がある場合は」と条件が付いていることに注意する。注記がなければ、参照できない。 参照できないと何が起きるか。適用指針A34は、監査人により提供される情報の内容及び範囲が経営者と監査人のそれぞれの責任、すなわち二重責任の原則を踏まえて決定されるとしたうえで、監査人は企業に関する未公表の情報を不適切に提供することを避け、簡潔かつ理解可能な様式で有用な情報を提供すると書く。A35は、企業に関する未公表の情報を「企業によって公にされていない当該企業に関する全ての情報」と定義し、当該情報の提供に関する責任は経営者にあるとする。
そしてA36が、実務でいちばん効く。KAMの記載において監査人が未公表の情報を不適切に提供することは想定されていないが、「当該事項を監査上の主要な検討事項として決定した理由及び監査上の対応について説明するために、法令等によって禁止されない限り、監査人は企業に関する未公表の情報を含む追加的な情報を記載することが必要であると考えることがある」 とし、その場合、「監査報告書において企業に関する未公表の情報を提供することを決定する前に、監査人は経営者に追加の情報開示を促すとともに、必要に応じて監査役等と協議を行うことが適切である」 としている。同項は、経営者には監査人からの要請に積極的に対応することが期待され、監査役等には経営者に追加の開示を促す役割を果たすことが期待される、とも書く。
期末の文面交渉は、この構造が期末まで持ち越された姿である。 監査人はKAMを説明するために具体的な情報が要る。会社はそれを開示していない。だから監査人が書こうとし、会社が削れと言う。A37はもう一つの出口を示していて、経営者がKAMの報告を考慮して、財務諸表又はその他の記載内容に関連する追加的な情報を開示することを決定することがあるとする。注記を先に厚くした会社は、交渉すべき対象を持たない。 監査人は自社の注記を参照すればよく、KAMは注記の要約に近づく(注記情報の収集設計:開示に必要なデータを期中から取りに行く仕組み)。
数は増えない。増えるのは前年からの流用である
会社側の警戒として「論点を増やすとKAMが増える」という誤解がある。数字を見ると、その心配は現実になっていない。
金融庁「監査上の主要な検討事項(KAM)の特徴的な事例と記載のポイント2022」(2023年2月17日)によれば、2022年3月期におけるKAMの1社当たりの平均個数(連結)は約1.3個で、2021年3月期とほぼ同じである。同資料が日本公認会計士協会の事例分析を基に作成した表では、対象2,098社のうち1個が1,569社、2個が466社、3個が52社、4個が10社、0個が1社となっている。業種による大きな差異は見られず、売上規模が大きくなるにつれて平均個数が多くなる傾向がある。会計基準別では日本基準が平均約1.3個、US-GAAPが約2.0個で差が出ている。
適用指針A30が、この結果を裏側から説明している。KAMの数は職業的専門家としての判断によるとしたうえで、「一般的には、監査上の主要な検討事項として当初決定された事項の数が多いほど、監査上の主要な検討事項の定義に照らして、当該事項の各々について監査上の主要な検討事項に該当するかどうかをより慎重に再度検討する必要性が高い」、選定した項目が多い場合は監査において特に重要ではない事項が含まれている可能性があるためである、と。数を絞る力が制度の側に働いている。
一方で、同じ金融庁資料の類似度分析が別の問題を出している。2022年3月期から2022年6月期に有価証券報告書を提出した強制適用の上場会社2,634社から、当期・前期2期分を提出し監査法人等が交代しておらず見出しが一致している等の絞り込みを行った1,390社について、前期との文字列類似度を分析したところ、類似度は6.3%から100%まで幅があるものの、半数以上が類似度75%以上だった。文字数と類似度の相関は見られなかったとされる。
毎期同じ文面が回っているという事実が、監督官庁の側で数値になっている。 これは監査法人だけの問題ではない。前年と同じ文面が通ってしまうのは、会社の側も前年と同じ注記しか出していないからである。
金融庁が挙げた「検討が必要と考えられる事例」は、会社側のチェックリストになる
同資料の第5章は、検討が必要と考えられる事例を六つ挙げている。監査人向けの指摘だが、会社側が期末前に自分で潰せるものばかりである。
事業環境の変化を踏まえたKAMの見直しが行われていない例として挙がっているのは、有価証券報告書で中期経営計画の見直し(下方修正)を記載している一方、同期ののれんの評価に関するKAMが前期と同一の記載になっているというものである。中計を下方修正した年に、のれんや繰延税金資産のKAMが前年と同じ文面で出てきたら、それは会社側から指摘してよい。 見積りの前提が変わったのに、その説明が変わっていない。
同一監査法人内の別業種2社のKAMが内容・決定理由とも同一である例、同一事業年度の同一企業内で異なる事業に関するKAMの内容が同一である例も挙がっている。後者は、事業や帳簿価額等の要素のみを変更し、個々の事業における固有の内容の記載がなく、記載内容の使いまわしが起きている可能性があると指摘されている。自社の中で複数のKAMが並ぶ会社は、この観点で自分の監査報告書を読める。
もう二つは、より単純で、より恥ずかしい。KAMの記載内容と注記の不一致として挙がっているのは、KAMに記載された帳簿残高が前年度の残高のままで、注記情報と一致していない例である。そして内部統制報告書との整合性として挙がっているのは、開示すべき重要な不備を識別して訂正内部統制報告書を提出しているのに、当年度のKAMに当該内部統制の不備に関連した項目が記載されていない例である。数字の突合と、内部統制報告書との突合。この二つは経理が三十分でできる。
KAMにならない論点がある
期中の対話で監査人と揉めている論点があるとき、「これはKAMになりますか」と聞きたくなる。答えが「ならない」であっても、安心してよいとは限らない。
第14項は、除外事項付意見を表明する原因となる事項、または継続企業の前提に関する重要な不確実性は、その性質上KAMに該当するとしたうえで、監査人はこれらの事項をKAM区分に記載してはならず、第12項および第13項の要求事項は適用されないと定める。この場合、KAM区分には「『[除外事項付意見]の根拠』に記載されている事項を除き」または「『継続企業の前提に関する重要な不確実性』に記載されている事項を除き」と記載する。KAMに書かれないのは、それより重い区分に移るからである。
逆方向の期待も通らない。第13項は、法令等により公表が禁止されている場合と、報告により生じる不利益が公共の利益を上回ると合理的に見込まれる極めて限定的な場合を除き、KAMを記載しなければならないとする。そして後者について、「企業が当該事項に関する情報を財務諸表以外の何らかの方法により公表している場合は、報告すべきでないと判断する状況には該当しない」 と明記している。一度でも自分で公表したものは、書かないでほしいと言えない。
決めるのは三つ
第一に、候補一覧を期首に作り、監査役等の議題に載せる。 監査基準報告書701第7項の定義と第8項は、KAMの母集団を監査役等とコミュニケーションを行った事項に限定している。候補は第8項の三項目、すなわち特別な検討を必要とするリスク等の領域、見積りの不確実性が高い会計上の見積りを含む経営者の重要な判断を伴う領域、当年度に発生した重要な事象又は取引から読める。A18が新しいITシステムの導入や重要な変更を例示していることも押さえる。期首に作った紙が、期末に交渉しないための唯一の準備である。
第二に、注記を先に厚くする。 第12項(1)は注記事項がある場合の参照を求め、A36は未公表の情報を含む追加的な情報を記載する必要があると監査人が考えた場合、記載を決定する前に経営者に追加の情報開示を促し、必要に応じて監査役等と協議することが適切であるとする。A37は経営者が自ら追加的な情報を開示することを決定する場合を示す。削る交渉ではなく、先に書く。 書いてあるものは未公表情報ではなくなり、監査人は参照で足りる。
第三に、金融庁が挙げた検討が必要な事例で、自社の監査報告書を毎期点検する。 KAMの帳簿残高が注記と一致しているか、内部統制報告書で識別した開示すべき重要な不備がKAMに反映されているか、中期経営計画や事業環境の変更が見積りのKAMに反映されているか、複数のKAMが事業名と金額だけ差し替えた同一文面になっていないか。この四点は経理が自分で確認できる。
そのうえで、期待を制度に合わせる。第14項により、除外事項付意見の原因となる事項と継続企業の前提に関する重要な不確実性は性質上KAMに該当するがKAM区分には書かれない。第13項(2)により、企業が財務諸表以外の方法で公表している事項は、報告すべきでないと判断する状況に当たらない。書かれないことは軽いことを意味せず、公表済みのものを引っ込めることもできない。



