「来期、2名増やしたい」。この要求に対して、多くの会社が実際に使っている判断基準はひとつしかない。人件費が前年比で何パーセント増えるか、である。総額の枠に収まれば通り、外れれば削られる。そして枠の中では、稟議を書き慣れた部署と、会議で粘る部長のいる部署が先に取る。増員の判断が感覚になるのは、経営に判断力がないからではない。人件費を勘定科目としてしか持っていないからだ。 給与手当・賞与・法定福利費・派遣費という並びは、支払形態で切った軸である。誰が何人いて何をしているかという要員計画とは、一度も交わらない。

POINT
増員を数字で判断できるようにするには、三つを順に直す。第一に、人件費予算を総額でなく「要員数×フルコスト単価×稼働月」の三変数で持つ。どの変数がずれたのかが後から特定できない予算は、来期の判断材料にならない。第二に、単価を年収でなく会社が実際に負担する額で置く。法定福利費だけで会社負担は標準報酬のおよそ15.7パーセント(東京・協会けんぽ・40歳未満・その他の各種事業、令和8年度料率で試算)に達し、そこに採用費・教育・端末・席・通勤費が乗る。この係数を等級ごとに一度決めて固定し、稟議のたびに担当者へ計算させない。第三に、増員要求を欠員補充・業務量増・新規の打ち手の三つに仕分ける。三つは判定基準がまったく違う。欠員補充は「抜けた仕事が本当に要るか」の検証、業務量増は単位工数と見込み量の掛け算であり、新規の打ち手だけが投資判断の対象になる。そして人は設備と違い、期待外れでも簡単には戻せない。取り消しにくさの分だけ、回収期間のハードルは設備投資より厳しく置く。

総額で管理している限り、部署間の比較はできない

人件費を総額で持つ会社では、増員の議論が必ず同じ形になる。「うちは残業が多い」「他部署より一人当たりの売上が高い」。どれも本当かもしれないが、比較の土俵がない。総額は結果であって、原因の分解を持っていないからだ。

期末に「人件費が予算を8パーセント超過した」と分かったとして、原因は三つのどれかである。人を採りすぎたのか(要員数)、想定より高い人を採ったのか(単価)、それとも予定より早く入社したのか(稼働月)。総額しか持っていないと、この三つが混ざったまま「採用が想定を上回ったため」という一行で片付く。翌期も同じ精度で予算を組み、同じ理由で外す。

人件費予算は総額でなく、三つの変数に割って持つ。
要員数
等級別の頭数。増員・減員の意思決定はここでしか起きない
×
フルコスト単価
年収に法定福利費・採用費・教育・端末・席を載せた社内原価
×
稼働月
期中入社・退職・産育休・出向・時短を月単位で反映する
=
人件費予算
超過したとき、三つのどれがずれたのかが必ず特定できる
この分解を持たない予算は、翌期の精度を一切上げてくれない。

三変数に割ると、責任の置き場所も自然に分かれる。要員数は事業部門と経営、単価は人事、稼働月は採用の進捗管理。ひとつの箱に押し込んでいるうちは、誰も自分の変数として責任を持てない。

増員1人の値札を、稟議が上がる前に固定しておく

単価に年収を使ってはいけない。会社が実際に負担している額は、年収よりはるかに大きいからだ。

令和8年度の料率で組み立てると、東京の協会けんぽに加入する40歳未満の従業員の場合、標準報酬に対する会社負担は次のようになる。厚生年金保険料9.15パーセント(保険料率18.3パーセントの労使折半。この率は平成29年9月分から固定されている)。健康保険料4.925パーセント(協会けんぽ東京支部の令和8年度料率9.85パーセントの折半)。子ども・子育て支援金0.115パーセント(協会けんぽの令和8年度支援金率0.23パーセントの折半。令和8年4月分から徴収が始まった新しい負担で、前年の係数を使っている会社は取りこぼしている)。子ども・子育て拠出金0.36パーセント(全額が事業主負担)。雇用保険料0.85パーセント(一般の事業の料率13.5/1000のうち、事業主負担分8.5/1000)。労災保険料0.3パーセント(その他の各種事業の3/1000で、令和8年度は据え置き)。合計しておよそ15.7パーセントになる。介護保険の対象となる40歳以上なら、東京支部の介護保険料率1.62パーセントの折半でさらに0.81パーセントが乗る。

年収600万円の人を1人採れば、法定福利費だけで年間90万円台が別に出ていく計算になる。ここに、採用にかかった費用、初年度の教育と受入れ側の工数、PCとソフトウェアライセンス、席と通勤費、退職給付の当期負担が積み上がる。この積み上げを等級ごとに一度だけ計算し、「等級Cの1人年あたり社内原価はいくら」という形で固定しておく。 稟議のたびに担当者に計算させると、必ず年収だけの数字が出てくる。しかも部署によって積み方が違い、比較できない。

一点補足しておく。厚生年金の標準報酬月額には上限が設けられているため、高年収層になるほど実効の負担率は下がる。全社平均の係数を一律に当てると、高年収の増員では負担を過大に見積もることになる。等級別に持つべき理由はここにもある。

稼働月を無視した稟議は、当期の枠で通って翌期に効く

三つ目の変数、稼働月が最も軽く扱われる。10月入社の1人は当期のP/Lには6か月分しか乗らない。だから当期の枠には収まる。だが翌期はフルで乗る。増員の稟議は、実質的に翌期の固定費を決めているのに、判断は当期の枠に収まるかどうかで行われている。

この非対称は、期の途中から採用を積み増す会社ほど効く。当期は各月の枠に収まり続け、翌期の期首でいきなり人件費が跳ねる。そして翌期の予算編成では「前年並みに抑える」という指示が出て、採ったばかりの人がいる状態で採用が止まる。人員構成が年ごとに波打ち、育成の計画も崩れる。

対策は単純で、増員稟議に通期換算額を必ず併記させることだ。当期影響額と、翌期にフルで乗ったときの年額。この二つを並べただけで、通る稟議の数は目に見えて減る。

増員要求を三つに仕分ける

すべての増員要求を同じ物差しで測ろうとするから、基準が決まらない。要求には性質の違う三種類が混ざっている。

欠員補充。 退職・休職で空いた席を埋める要求。ここでいちばんやってはいけないのが、無条件で承認することだ。人が抜けた月に何が落ちたかは、平時には絶対に手に入らないデータである。落として困らなかった作業は、平時から要らなかった可能性が高い(属人化した決算を組織知に変える 担当者が辞めても締まる引き継ぎ設計)。補充の稟議には「この2か月で止めた作業と、その影響」を書かせる。それでも要るなら補充する。

業務量増。 売上や取引件数の増加に伴う要求。これは生産性の議論に落とせる唯一の型で、単位あたり工数×見込み量で語れる。ここで問うべきは「何人要るか」ではなく「1件あたりの工数は去年と同じでよいのか」だ。同じ工数を前提にした増員要求を通し続けると、業務量に比例して人が増える構造がそのまま固定する(経理業務のBPR:付加価値を生まない作業を見つけて止める業務再設計)。

新規の打ち手。 新規事業、新しい機能、体制の強化。ここだけが本来の投資判断の対象になる。そして三種のうち、稟議の書き方がいちばん上手いのもここだ。

増員稟議に書かせる6項目(欠けたら差し戻す)
  • ① 三区分のどれか(欠員補充/業務量増/新規の打ち手)。混ぜて書かない
  • ② 等級と、その等級のフルコスト単価。社内で固定した係数をそのまま使う
  • ③ 入社見込月と、当期影響額・通期換算額の両方
  • ④ 増員後に何が変わるか。売上増なら金額と時期、工数削減なら「止める作業の名前」
  • ⑤ 増員しなかった場合に起きること(残業増、納期遅延、失注の見込み額)
  • ⑥ 見直しの時期と、そのときに見る数字

④の書き方が判定を分ける。「業務効率が向上する」で通してはいけない。工数削減で回収すると書かれた稟議は、ほとんど回収されない。空いた工数が別の作業で埋まるからだ。回収を主張するなら、止める作業を名指しさせる。名指しできないなら、それは回収ではなく余力の話であり、投資としては測れない。

増員は、取り消せない投資として測る

新規の打ち手としての増員は、設備投資と同じ型で測れる。増分の粗利または削減コストを分子、フルコスト単価を分母に置いて回収期間を出す。指標そのものの使い分けは投資判断の議論と変わらない(投資判断でNPV・IRR・回収期間をどう使い分けるか:3指標の落とし穴と併用ルール)。

違うのは、ハードルの置き方だ。設備は期待外れなら止められる。稼働を落とし、除却し、最悪でも償却が終われば消える。人はそうならない。採用した瞬間から毎月の固定費になり、期待した成果が出なくても半年や1年では戻せない。取り消しにくさの分だけ、回収期間のハードルは設備投資より厳しく置く。 設備で3年を許容している会社なら、増員は1年から1年半で見る。これは人を軽く扱う話ではなく、逆である。回収の見込みが薄いまま採られた人ほど、入社後に居場所を失う。

もうひとつ、増員と同じ土俵に載せるべき選択肢がある。既存メンバーの処遇改善、外注、業務そのものの削減、自動化。どれも「フルコストで年いくらか」に換算すれば横並びで比較できる。増員だけが単独で稟議に上がる会社では、この比較が一度も行われない。処遇改善で1人の離職を止めるほうが、採用して育てるより安いことは珍しくない。賃上げの原資をどこから捻出するかという議論も、この土俵の上でしか噛み合わない。

現場では
社員二百名ほどのサービス業で、毎年の予算編成が「各部門の増員要求を合計すると人件費が前年比15パーセント増になり、経営が一律で削る」という運びを繰り返していた。削られた部署は翌年さらに多めに要求し、水増しが常態化していた。最初にやったのは、等級ごとのフルコスト単価を人事と経理で作ることだった。年収に法定福利費、採用費の3年償却、端末とライセンス、通勤費、受入れ側の教育工数を積んだ結果、等級によっては年収の1.3倍を超えた。この係数を全部門に配り、要求フォーマットを三区分と通期換算額つきに変えた。翌年の要求は、合計で前年比7パーセント増まで下がった。要求が通りにくくなったからではない。区分を書く欄で、欠員補充として出そうとしていた要求のうち何件かが、部門の中で自主的に取り下げられたためだ。抜けた2か月で何が落ちたかを書く段になって、落ちていなかったことに部門長自身が気づいた。もうひとつ変わったのは、承認された増員に「6か月後に何の数字を見るか」が必ず書かれるようになったことだった。半年後、そのうち2件が見直しの対象になり、1件は配置転換で決着した。

「認める/認めない」でなく「いつ見直すか」を決める

増員の稟議を承認か却下かの二択にしている限り、判断は重くなりすぎる。重い判断は先送りされるか、政治で決まる。

代わりに置くべき第三の選択肢が、期限付きの承認である。「12か月後に、この数字がここに届いていなければ体制を見直す」。何を見るかを稟議の時点で書かせておけば、見直しは人事評価ではなく計画の検証になる。やりっぱなしを止めるという意味で、投資の事後レビューと発想はまったく同じだ(投資後のレビュー(ポストオーディット)を仕組みにする:やりっぱなし投資を止める)。

人件費の管理会計というと、部門別に配賦してP/Lを作る話だと受け取られやすい。だが配賦の精度をいくら上げても、増員の判断は一ミリも良くならない。効くのは、要員数と単価と稼働月を別々に持つこと、単価に本当の値札を付けること、要求を三つに仕分けること。どれも来期の予算編成に間に合う。

まとめ
増員が感覚で決まるのは、人件費を勘定科目としてしか持っていないためである。給与手当・賞与・法定福利費という区分は支払形態の軸で、要員計画と交わらない。人件費予算は「要員数×フルコスト単価×稼働月」の三変数で持ち、超過したときにどの変数がずれたのかを特定できる形にする。単価は年収でなく会社が実際に負担する額で置く。令和8年度の料率では、東京の協会けんぽに加入する40歳未満・その他の各種事業の従業員で、標準報酬に対する会社負担は厚生年金9.15パーセント(保険料率18.3パーセントの労使折半、平成29年9月分から固定)、健康保険4.925パーセント(協会けんぽ東京支部の令和8年度料率9.85パーセントの折半)、子ども・子育て支援金0.115パーセント(令和8年度支援金率0.23パーセントの折半。令和8年4月分から徴収開始)、子ども・子育て拠出金0.36パーセント(全額事業主)、雇用保険0.85パーセント(一般の事業13.5/1000のうち事業主負担8.5/1000)、労災保険0.3パーセント(その他の各種事業)で、合計およそ15.7パーセントになる。40歳以上なら介護保険料率1.62パーセントの折半でさらに0.81パーセントが加わる。ここに採用費・教育・端末・席・通勤費・退職給付を積み、等級ごとの社内原価として固定する。厚生年金の標準報酬月額には上限があるため高年収層ほど実効負担率は下がり、この点も等級別に持つ理由になる。稼働月の扱いも要注意で、期中入社の増員は当期の枠に収まっても翌期にフルで乗る。稟議には当期影響額と通期換算額を必ず併記させる。要求の仕分けは三区分で行う。欠員補充は「抜けた期間に何が落ちたか」を書かせてから判断し、業務量増は単位工数と見込み量で語らせ、1件あたりの工数を据え置いた要求は通さない。新規の打ち手だけが投資判断の対象になる。回収の主張が工数削減なら、止める作業を名指しさせる。名指しできないものは回収ではない。回収期間のハードルは設備投資より厳しく置く。設備は止められるが、人は採用した瞬間から固定費になり、期待外れでも短期では戻せないからだ。増員は単独で審議せず、処遇改善・外注・業務削減・自動化と同じフルコスト年額の土俵に並べる。そして承認・却下の二択でなく、見直しの時期と見る数字を稟議に書かせる期限付き承認を第三の選択肢として持つ。

関連記事