工場のボイラーの更新が、投資委員会にかかった。案は二つある。ガス焚きのボイラーに入れ替える案は4億円、電気式のヒートポンプに切り替える案は6.5億円。 ヒートポンプは運転費が年間1,000万円安く、二酸化炭素の排出は年間3,000トン少ない。会社は2年前、2030年度までに排出量を半分にすると公表している。それでも、稟議書の結論はガス焚きだった。 15年間の運転費の差を6パーセントで割り引いても約1億円にしかならず、初期費用の差の2.5億円を埋められない。委員の一人が、公表した目標との関係を尋ねた。起案した工場長は、稟議の様式に排出量を書く欄がないと答えた。
稟議の計算式が変わらなければ、安い案が通り続ける
冒頭の稟議は、計算としては正しい。年間1,000万円の運転費の差を、15年、6パーセントで現在価値に直すと約0.97億円になる。 初期費用の差は2.5億円なので、ヒートポンプの案は約1.5億円不利である。工場長は、与えられた様式で、正しく安い案を選んだ。
問題は、会社が外に約束した排出量の削減が、この計算のどこにも入っていないことである。 目標を公表した経営会議と、設備を選ぶ投資委員会が、別の物差しで動いている。ボイラーは一度入れると15年使う。2030年度の目標の年にも、このガス焚きのボイラーは動いている。
宣言と稟議をつなぐ方法として、排出を減らす案には投資の基準を緩める、という運用を取る会社がある。回収期間の基準を延ばしたり、割引率を下げたりする。この方法は勧めない。 割引率を下げると、排出と関係のない運転費の削減や増産の効果まで甘く評価される。どれだけ排出を減らす案なのかも、評価に反映されない。年間100トン減らす案と3,000トン減らす案が、同じ緩い基準で通る(ハードルレート(要求収益率)の決め方、全社一律のWACCを使わない理由)。
排出量に価格を掛けて、費用として載せる。 そうすれば、減らす量が多い案ほど評価が上がり、割引率はほかの案件と同じものを使える。
冒頭の案で試す。1トン1万円を置くと、3,000トンの差は年間3,000万円、15年の現在価値で約2.9億円になる。 運転費の差と合わせて約3.9億円で、初期費用の差を上回る。ヒートポンプの案が約1.4億円有利になり、結論は逆になる。
価格は理念で置かず、案が逆転する水準と規制の見通しから置く
次に問われるのは、1万円という価格の根拠である。高い価格を置けば、排出を減らす案はどれも通る。 根拠のない価格は、事業部から、本社が結論を先に決めていると見られる。
最初に出すのは、案の順位が入れ替わる価格である。 冒頭の案では、不利の幅の約1.5億円を、15年の年金現価係数の9.71で割ると、年間約1,575万円になる。3,000トンで割れば、1トンあたり約5,250円。これより高い炭素価格を15年間見込むならヒートポンプ、低いならガス焚きが有利になる。議論は、5,250円を超えると見るかどうかに絞られる(感度分析とシナリオ分析の違いと使い分け、投資の不確実性を稟議で示す)。
この問いに答える材料は、制度の側にある。排出量取引制度の上限価格と下限価格は、2027年度以降、前年度の価格に、3パーセントに物価上昇率を足した率を掛けて決める方針が示されている。物価上昇率を2パーセントと置けば、上限価格は年5パーセントずつ上がる。 4,300円から始めて年5パーセントで上がる価格で3,000トンの差を評価すると、15年の現在価値は約1.7億円になる。運転費の差と合わせて約2.7億円で、ヒートポンプの案がわずかに上回る。
4,300円のまま据え置くと、現在価値は約1.25億円で、ガス焚きの案が残る。つまり、この案件は、制度の価格が上がっていく前提を置くかどうかで結論が変わる。 投資委員会が判断すべきなのは、まさにこの点である。
制度の対象にならない会社にも、価格を置く根拠はある。化石燃料賦課金は燃料の仕入れの段階で課されるので、2028年度以降は、燃料の価格を通じてすべての使用者に及ぶ。 2033年度からは、発電事業者に排出枠を有償で割り当てる仕組みが始まり、電力の価格にも影響する。水準はまだ決まっていないので、稟議には幅で置く。取引先から排出量の報告や削減を求められている会社は、応えられなかった場合に失う取引の利益を、別の行で見積もる。
価格は、財務部が全社に一つ配る。 事業部ごとに置かせると、通したい案件に都合のよい価格が使われる。年ごとの単価の表として配り、資本コストの見直しと同じ時期に改める。
二重に数えないために、運転費の前提と突き合わせる
炭素の費用を稟議に足すとき、同じ費用を二度数える誤りが起きやすい。
一つ目は、燃料と電力の単価の前提である。 運転費の見積もりに使う将来の燃料の単価に、賦課金による値上がりをすでに見込んでいれば、同じ排出に社内価格を掛けると二重になる。運転費の単価の前提に炭素の費用を含めるのか、別の行に出すのかを、様式で決めておく。別の行に出すほうが、価格の前提を変えたときの影響が見やすい。
二つ目は、電力の排出量である。 電気に切り替える案は、自社の燃焼による排出を減らす代わりに、買う電力に伴う排出を増やす。電力の排出係数を掛けて、増える分を差し引く。冒頭の3,000トンは、この差し引きの後の数字でなければならない。排出係数は、契約する電力のメニューで変わる。
三つ目は、補助金である。 省エネルギーや電化の設備には補助金が出ることが多い。補助金を初期費用から引き、さらに炭素の費用も載せること自体は二重ではない。ただし、採択の前の補助金を確定の金額として入れると、評価が甘くなる(補助金・税額控除を投資判断にどこまで織り込むか、採択前の金額の扱い)。
排出量取引制度の対象の会社では、もう一つ確かめることがある。排出枠は当面、無償で割り当てられる。 割当の範囲に収まっている会社は、排出枠を買っていないので、炭素の費用は発生していないように見える。だが、排出を減らして余った枠は売れるし、翌年度に持ち越してもよい。1トンの排出には、売れたはずの枠の価格という費用がかかっている。 割当の範囲内かどうかにかかわらず、稟議には市場の価格の見通しで載せる。
載せた価格は、開示と事後の検証で外から見える
社内炭素価格は、社内の計算で終わらない。サステナビリティ基準委員会が2025年3月に公表した気候関連開示基準は、内部炭素価格を意思決定に使っているか、使っている場合はその方法と1トンあたりの価格を開示するよう求めている。 有価証券報告書での適用は、時価総額3兆円以上のプライム市場の上場会社で2027年3月期から始まり、段階的に広がる。
開示する価格と、稟議で使う価格が違っていれば、説明がつかない。 開示には1万円と書き、投資委員会では価格を参考の情報として添えるだけ、という運用は、外から見ればすぐにわかる。設備投資の実績と排出量の推移が、毎年並んで開示されるからである(ESG・非財務情報の開示をCFOはどう財務に接続するか)。
事後の検証にも、同じ式を使う。 投資の後に確かめるのは、稟議で見込んだ排出量の差が実際に出たかである。ヒートポンプは外気の温度や負荷で効率が変わり、見込みの排出量に届かないことがある。エネルギーの使用量の実績から排出量を出し、稟議の数字と比べる(投資後のレビュー(ポストオーディット)が行われない原因と、事後検証を仕組みにする方法)。
化学品のメーカー(3月決算、連結売上高1,400億円、排出量取引制度の対象)。排出量を2030年度までに4割減らす目標を公表していたが、公表の後の2年間に承認した燃焼設備の更新7件は、すべて従来と同じ燃料の設備だった。 財務部が稟議を調べると、7件のうち5件で、排出の少ない代替案が初期費用の差を理由に落ちていた。CFOは、設備投資の稟議の様式に、案ごとの年間の排出量と炭素の費用の欄を足した。価格は財務部が年ごとの表で配り、初年度は排出量取引制度の上限価格、以後は年5パーセントの上昇とした。 割引率と回収期間の基準は変えなかった。併せて、案の順位が入れ替わる損益分岐の価格を、稟議書に必ず書かせた。翌年度に出た燃焼設備の更新4件のうち、2件は排出の少ない案が選ばれた。1件は損益分岐の価格が1トン2万円を超え、従来の燃料の案が通った。 残る1件は、損益分岐の価格が配った価格とほぼ同じで、投資委員会は補助金の採択を待って判断することにした。財務部は、配った価格の表と適用の方法を、翌年の有価証券報告書の開示の原稿に使った。
※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。
決めるのは三つ
第一に、炭素の費用を、稟議の計算式に1行として載せる。 排出量に社内の価格を掛け、運転費と同じ行に並べる。割引率や回収期間の基準を緩める方法は取らない。
第二に、価格は財務部が年ごとの表で配り、根拠を制度と調達の条件に置く。 排出量取引制度の上限価格と下限価格、その引き上げの方針、化石燃料賦課金の開始の時期を出発点にする。案の順位が入れ替わる損益分岐の価格を、稟議書に書かせる。
第三に、二重計上を様式で防ぎ、事後に排出量の実績を確かめる。 燃料と電力の単価の前提、買う電力の排出、補助金の扱いを決めておく。開示する価格と稟議の価格を同じにする。



