投資委員会に、生産ラインの増設の案件がかかった。投資額は100億円、耐用年数は10年。事業部が作った計画では、年間の税引後のキャッシュフローは14.5億円で、10年間変わらない。 財務部は、今年の見直しで6パーセントから8パーセントに引き上げた資本コストで割り引いた。正味現在価値は、マイナス2.7億円になった。 去年の6パーセントなら、プラス6.7億円で通っていた案件である。事業部長は、金利が上がったから投資ができなくなるのはおかしい、と言った。CFOは、計画の表をもう一度見た。 販売単価も原材料の単価も人件費も、10年間、今年の値のまま置かれていた。
据え置きの単価と名目の割引率を組み合わせると、投資はどれも悪く見える
冒頭の案件で、前提をそろえてみる。14.5億円のキャッシュフローが、物価に合わせて毎年2パーセントずつ膨らむとして、8パーセントで割り引く。 正味現在価値は、マイナス2.7億円からプラス7.3億円に変わる。差は約10億円で、案件の可否が逆になる。
ゆがみは、投資の期間が長いほど大きくなる。 物価の効果は年数で複利になるので、10年目のキャッシュフローほど、据え置きの金額と名目の金額の差が開く。回収に時間のかかる設備投資や研究開発ほど、据え置きの計画で不利に評価される。 一方で、2年や3年で回収する案件は、ほとんど影響を受けない。
引き上げた理由も、分けて考える必要がある。金利の上昇には、物価の見込みが上がった分と、物価を除いた実質の金利が上がった分が混ざっている。 物価の見込みが上がった分だけなら、キャッシュフローも同じだけ膨らむので、名目にそろえた評価はあまり変わらない。案件を本当に厳しくするのは、実質の金利やリスクの対価が上がった分である。
この不整合が全社で起きると、投資の配分が短期の案件に偏る。 長期の案件ばかりが投資委員会で落ち、事業部は回収の早い案件だけを持ってくるようになる。資本コストを引き上げた効果として経営が期待したのは、収益性の低い案件を落とすことで、長期の案件を落とすことではなかったはずである(ハードルレート(要求収益率)の決め方、全社一律のWACCを使わない理由)。
伸び率は一律に置かず、価格転嫁できる費目とできない費目に分ける
直し方として、キャッシュフロー全体に一律の物価上昇率を掛ける方法は、実は危うい。売上と費用が同じ率で伸びるとは限らないからである。
費目ごとに、伸び率の根拠を分けて置く。 販売単価は、価格の改定をどこまで顧客に受け入れてもらえるかで決まる。業界の力関係が弱ければ、物価より低い率でしか上がらない。原材料は、市況に連動する部分と、長期の契約で固定されている部分を分ける。 人件費は、物価とは別の動きをする。2024年と2025年の春闘の賃上げ率は、連合の集計で2年続けて5パーセントを超えた。 労務費の比率が高い事業で、人件費を物価と同じ2パーセントで伸ばせば、費用を少なく見積もることになる。
こうして組むと、名目にそろえた結果が、据え置きの計画より悪くなる案件も出てくる。 販売単価が1パーセントしか上がらないのに、人件費が3パーセントで伸びる事業では、利益の幅が年ごとに削られていく。据え置きの計画は、この圧迫を見えなくしていた。 名目にそろえる目的は、案件を良く見せることより、利益の幅がどう動くかを計画に書かせることにある(原材料・エネルギー価格の変動対策、ヘッジと価格転嫁の違いと選び方)。人件費の伸びをどこで吸収するかは、投資の案件の外で決まっていることも多い(賃上げの原資をどこから出すか、人件費の上昇を価格・生産性・投資で吸収する)。
減価償却の節税効果と運転資本は、逆向きの誤りを生む
名目にそろえるときに、膨らませてはいけない項目がある。減価償却による税の軽減、つまり節税効果である。
減価償却費は、取得したときの価格をもとに計算するので、物価が上がっても増えない。 冒頭の案件で、100億円を10年で定額で償却し、税率を30パーセントとすると、節税効果は毎年3億円で固定される。14.5億円のうち3億円は、物価に合わせて膨らまない。 残りの11.5億円だけを2パーセントで伸ばし、3億円は据え置いて割り引くと、正味現在価値はプラス5.3億円になる。キャッシュフロー全体を一律に膨らませた7.3億円と比べて、約2億円の過大評価が消える。 実質で組む場合は逆で、名目で固定の節税効果を、物価の分だけ目減りさせて扱わなければならない。
運転資本も、同じ種類の誤りを生む。 売上が名目で膨らめば、売掛金と在庫も同じように膨らみ、毎年その増えた分の資金が寝る。据え置きの計画は、この追加の投資を見落とす。運転資本の回転の日数を置き、名目の売上から残高を出して、毎年の増減をキャッシュフローから引く。
計画の最終年度の後の価値、いわゆる継続価値を置く案件では、永久の成長率も名目にそろえる。名目の割引率を使いながら、成長率を実質の感覚で0パーセントと置くと、継続価値は小さく出すぎる。 投資の評価の指標の使い分けと合わせて見直す(投資判断でNPV・IRR・回収期間をどう使い分けるか、3指標の落とし穴と優先順位)。
物価上昇率の前提は、財務部が一本で配る
名目で組むと決めたら、次に問題になるのは、何パーセントの物価上昇を置くかである。冒頭の案件で、期待インフレ率を1パーセントにすると正味現在価値はプラス1.2億円、3パーセントにするとプラス9.6億円になる。 前提を1ポイント動かすだけで、評価は4億円ずつ動く。
この数字を事業部ごとに置かせると、評価の比べ合いが成り立たない。 通したい案件を持つ事業部は、高めの物価上昇率を置きたくなる。そこで、全社の共通の前提は財務部が一本で決めて配り、事業部が置くのは、そこからの費目ごとの上乗せと差し引きだけにする。
共通の前提は、資本コストの計算と矛盾しない値にする。資本コストの出発点になる国債の利回りには、市場が見込む物価の上昇がすでに含まれている。 2020年ごろはゼロ近辺だった10年国債の利回りは、2025年には1パーセント台半ばを超えた。割引率には今の市場の物価の見込みを入れ、キャッシュフローには物価が上がらない前提を置く、という組み合わせは、同じ計算の中で二つの経済を仮定していることになる。 参照する値としては、日本銀行の物価安定の目標である2パーセントや、展望レポートの政策委員の見通しが使いやすい。どれを使ったかを計画の様式に書かせ、毎年の資本コストの見直しと同じ時期に改める(資本コストの出し方と使い方、WACCを自社の数字で説明する)。
食品のメーカー(売上高900億円、3月決算)。資本コストを6パーセントから8パーセントに引き上げた年、投資委員会にかかった設備投資の案件のうち、回収期間が7年を超える4件がすべて否決された。 経営企画部が計画を調べると、4件とも販売単価と費用を今年の値で据え置いていた。財務部は、計画の様式を改めた。販売単価、原材料、エネルギー、人件費、その他の費用の五つに分けて伸び率の欄を作り、それぞれに根拠を書かせた。 販売単価は過去3年の改定の実績から、人件費は賃金の改定の方針から置き、減価償却の節税効果は取得の価格で固定した。運転資本は回転の日数から名目で計算した。作り直すと、4件のうち2件は正味現在価値がプラスに転じた。 1件は、人件費の伸びが販売単価の伸びを上回り、据え置きの計画より評価が悪くなった。残る1件は、名目にそろえてもマイナスのままだった。 投資委員会は2件を承認し、評価が悪化した1件は、省人化の設備を組み込んだ計画に作り直すよう差し戻した。
※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。
決めるのは三つ
第一に、割引率とキャッシュフローの物価の扱いをそろえる。 資本コストは名目の率なので、キャッシュフローも名目で組む。計画の様式に「名目か実質か」を明記させ、実質で組むなら割引率を実質に直す。 物価上昇率の共通の前提は財務部が一本で配り、資本コストの見直しと同じ時期に改める。
第二に、伸び率は費目ごとに根拠を分けて置く。 販売単価は価格転嫁の実績から、原材料は市況と契約から、人件費は賃金の改定の方針から置く。一律の物価上昇率を掛けると、利益の幅の圧迫が見えなくなる。
第三に、膨らませない項目と、膨らむのに見落とされる項目を確かめる。 減価償却の節税効果は取得の価格で固定し、運転資本は名目の売上から残高を出して増加分を差し引く。継続価値の成長率も名目にそろえる。
据え置きの単価で作った計画を、金利上昇を反映した名目の資本コストで割り引くと、長期の投資ほど実際より悪く評価される。割引率とキャッシュフローは名目か実質のどちらかにそろえる。
名目にそろえるときは、費目ごとに伸び率の根拠を分け、減価償却の節税効果は膨らませず、運転資本の増加は差し引く。そろえた結果、良くなる案件も悪くなる案件もある。それが本来の評価である。



