撤退基準を数値だけで置くと、基準に届かなかった期に「来期には届く見込みである」という説明が出て、判断は次の期へ送られる。見込みの説明は、反証する材料がその場に無いので通りやすい。筆者は、数値と期限を併せて置き、期限の延長は一度だけと起案時に決めておくべきだと考えている。延長の回数に上限があれば、二度目の「もう一期」は議題に載らない。この記事では、撤退基準の意味、起案時に決める理由、指標と期限の置き方、赤字事業への当てはめ方、基準に触れたときの手続き、撤退後に残るコストの順に整理する。
- 撤退基準は起案時に決める。やめるかどうかを迫られた時点では、投じた費用と推進してきた人の立場が判断に入り込む。
- 数値と期限の両方を置く。数値だけの基準は達成見込みの説明で先送りされ、期限だけの基準は期限まで点検されない。延長は一度だけと決める。
- 基準に触れたときの手続きまで書く。誰が継続の根拠を示し、誰が判断し、いつまでに結論を出すかを、起案の文書に入れておく。
撤退基準とは
撤退基準とは、事業や投資をやめる条件を、あらかじめ文書で決めておくものである。対象は新規事業、設備投資、買収した会社、既存の赤字事業と幅がある。損切りの基準、撤退ルールと呼ばれることもあるが、指している内容は同じである。
決める中身は3つに分かれる。1つ目は条件で、どの指標がどの水準を下回ったら、あるいはいつまでに何が達成できなかったら撤退の検討に入るかである。2つ目は手続きで、条件に当たったときに誰が何を審査するかである。3つ目は畳み方で、縮小、売却、清算のどれを第一の候補にするかである。条件だけを決めて手続きを書いていない基準は、条件に当たっても何も始まらない。
基準や検討の手順が曖昧であることは、公的な指針でも課題として挙げられている。経済産業省が2020年7月に公表した事業再編実務指針のエグゼクティブ・サマリーは、経営者の現状と課題として、事業の売却等の基準や検討プロセスが明確でないことを仕組みに関する課題に挙げている。同じ章では、従業員利益の確保という観点からも、黒字であっても、例えば事業の資本収益性が資本コストを下回り、回復が難しいと見込まれる段階で、早期に切出しの決断を行うことが重要だとしている。
指針が扱うのは事業の切出しで、赤字事業の廃止に限った話ではない。ただ、基準と手順を先に決めておくという考え方は、撤退基準にもそのまま当てはまる。事業を並べて評価する枠組みは事業ポートフォリオの見直し方、ROICと成長性で事業を仕分ける手順で扱った。この記事は、その中の撤退基準を詳しく扱う。
なぜ起案時に決めるか
撤退が遅れる理由は、分析が足りないことだけでは説明できない。やめるかどうかを問われる時点で、判断する人がすでに中立でなくなっていることが大きい、と筆者は見ている。
サンクコストと、関与が深まっていく現象
サンクコスト(埋没費用)とは、すでに支出していて、今後どの選択をしても回収できない費用を指す。資金だけでなく、費やした時間と人員も含む。これから続けるかどうかは、今後得られる収入と今後かかる費用で決まるので、過去の支出は判断の材料にならない。それでも、ここまで投じたのだから今やめれば無駄になる、という考えは会議で出てくる。
組織行動の研究者バリー・ストウは、1976年の論文で、自分が選んだ行動方針への関与が深まっていく現象を取り上げた。この現象は、コミットメントのエスカレーションと呼ばれている。
会社の中では、ここに立場の問題が重なる。事業を起案した責任者にとって、撤退は自分の過去の判断を否定することになる。撤退を提案する側は、失敗を持ち込んだ人と見られることをおそれる。筆者は、撤退の遅れを個人の弱さと捉えるより、こうした構造から生まれるものと捉えたほうが、対策を立てやすいと考えている。
問う順番を入れ替える
対策は、問う順番を入れ替えることである。撤退が必要になってから「やめるべきか」を問うのをやめ、投資を決める場で「どうなったらやめるか」を先に問う。起案の時点では、まだ費用を投じておらず、守るべき立場も生まれていない。
起案時に行っておくとよい作業がもう1つある。プレモータムである。ゲイリー・クラインがハーバード・ビジネス・レビューで紹介した手法で、計画の段階で、このプロジェクトはすでに失敗したと仮定し、失敗の理由として考えられるものをメンバーに挙げてもらう。挙がった理由は、どの指標がどう動いたら失敗の兆しかを考える材料になる。基準に使う指標の候補は、ここから拾える。
基準に使う指標と期限
基準は、数値と期限の2つで組む。まず指標を選び、次に期限と延長の条件を決める。
指標は3種類を組み合わせる
指標は、累積の損失、先行指標、資本収益性の3種類から選ぶ。
1つ目は累積の損失または累積の投資額である。当初の計画に対する上限を決めておくと、追加投資が際限なく続くことを防げる。単月の営業損益がいつ黒字になるかも、損失の累積がいつ止まるかを示すので、この種類に含める。2つ目は先行指標である。営業損益は結果が出るまでに時間がかかるので、顧客の獲得単価、継続率、受注件数のように、損益より先に動く指標に水準を置く。3つ目は資本収益性である。既存の事業では、ROICが資本コストを下回る状態が続いているかを見る。
どれを主に据えるかは、事業の段階で変える。立ち上げの段階にある事業を、成熟した事業と同じ利益率で判定すると、育つ前に止めることになる。筆者は、立ち上げ期は先行指標、成長期は累積の損失と黒字化の時期、成熟して収益性が下がった事業は資本収益性を主に据える組み方を勧める。段階に合った指標を起案時に選んでおけば、後から「この事業にその物差しは合わない」という議論が起きにくい。
期限と延長を決める
数値だけの基準と、期限だけの基準には、それぞれ弱点がある。数値だけを置くと、未達のたびに達成見込みが説明され、判断が次の期へ送られる。期限だけを置くと、期限が来るまで誰も点検しない。両方を置けば、期限の前は数値で途中経過を点検でき、期限が来れば見込みの説明だけでは続けられなくなる。
延長の扱いも起案時に決める。筆者が勧めるのは、延長は一度だけとし、延長の幅と、延長を認める条件を先に書いておく形である。たとえば、延長は最長で半年、先行指標が直近2四半期続けて改善していることを条件にする、と書く。延長の回数に上限が無い基準は、期限を置いていないのと変わらない。
累積の損失や投資額の上限は、扱いが異なる。期限を待たず、超えた時点で再審査にかける。この場合の延長に当たるのは追加の投資で、追加する金額と期間に上限を付けたうえで、一度だけ認める。
次の表は、基準の設例である。
| 対象 | 指標 | 水準 | 期限 | 判断者 |
|---|---|---|---|---|
| 新規事業(立ち上げ期) | 継続率 | 起案時の計画値の8割 | 開始から2年。延長は一度、最長半年 | 経営会議 |
| 新規事業(成長期) | 単月の営業損益 | 黒字化 | 開始から3年。延長は一度、最長半年 | 経営会議 |
| 設備投資・買収 | 累積の投資額 | 当初計画の1.5倍 | 期限は置かず、超えた時点で再審査。追加の投資は一度 | 取締役会 |
| 既存の赤字事業 | ROICと資本コストの差 | 資本コストを上回る水準への回復 | 基準を置いた期から2年。延長は一度、最長半年 | 取締役会 |
赤字事業に当てはめる手順
すでに赤字が続いている事業には、起案時に決めた基準が無いことがある。起案の時点には戻れないので、次の予算編成や中期経営計画の見直しを起点にして、今から基準を置く。筆者は、過去の経緯を問い直すより、今日を出発点として数値と期限を決めるほうが、合意を得やすいと考えている。手順は4つである。
点検の日を固定する
指標と期限を決めても、点検する日が決まっていなければ、基準に触れたことに気づくのが遅れる。四半期ごとの経営会議で点検する、というように、会議と日付を年間の予定に入れておく。点検の資料は、基準に置いた指標の実績と水準を並べるだけでよい。資料の様式を先に決めておくと、未達の期だけ指標が差し替わることを防げる。
投資案件の事後検証を定例にしている会社は、同じ場で撤退基準も点検できる。事後検証の進め方は投資後のレビュー(ポストオーディット)が行われない原因と、事後検証を仕組みにする方法にまとめた。
畳み方を先に選んでおく
撤退は、事業を廃止する一択ではない。畳み方は縮小、売却、清算の3つに分かれる。第一の候補を起案時に決めておくと、基準に触れたあとに、どうやめるかを一から検討する時間を省ける。
| 畳み方 | 内容 | 向いている場合 | 先に確かめること |
|---|---|---|---|
| 縮小 | 不採算の製品、顧客、拠点を閉じ、採算の合う部分を残す | 事業の一部に利益が出ている | 残す部分だけで固定費をまかなえるか |
| 売却 | 事業譲渡や会社分割で、他社に引き継ぐ | 他社のもとでなら価値が出る | 事業単独の損益を示せるか |
| 清算 | 事業を廃止し、顧客対応、人員の配置転換、在庫と契約の整理を行う | 買い手が見込めず、残す部分も無い | 契約の解約条件と、整理にかかる費用 |
売却を選ぶ場合は、本社費を配賦した損益のままでは買い手に事業の実力を示せない。準備の進め方はカーブアウトの進め方、売却前に単独損益と共通費をそろえる手順で扱った。対象が子会社のときは、清算、売却、吸収合併で税務と期間が変わる。違いは赤字子会社の畳み方、清算・売却・吸収合併の違いと税務・期間の比較にまとめた。
基準に触れたときの手続き
基準に触れた事業は、撤退の候補として登録し、再審査にかける。再審査については、誰が根拠を示すか、誰が判断するか、いつまでに結論を出すかの3つを先に決めておく。
継続を望む側が根拠を示す
再審査では、継続を望む側が、延長の条件を満たしていることを数値で示す。撤退を提案する側が、やめるべき理由を立証する形にはしない。基準に触れた時点で、初期の扱いは「継続」から「撤退の候補」に変わっているからである。筆者は、この立証の向きを起案時に文書で決めておくことが、基準を機能させるうえで最も効くと見ている。
判断する人と推進する人を分ける
再審査の結論は、基準の表で判断者とした会議体が出す。経営会議で決裁した案件は経営会議、取締役会で決裁した案件は取締役会である。ただし、議事の進行と論点の整理を、その事業を推進してきた責任者や直属の上司に任せない。投じた費用と自分の立場に最も影響を受ける人だからである。議事の進行と論点の整理は、事業から距離のある投資委員会の委員長、CFO、経営企画の責任者が担う。取締役会に諮る案件では、社外取締役の関与も助けになる。先に挙げた事業再編実務指針のエグゼクティブ・サマリーは、事業の切出しに関して経営陣に「現状維持バイアス」がかかりやすいとの指摘があるとし、社外取締役には事業ポートフォリオに関する検討への積極的な関与が期待されるとしている。
結論を出す期日を決める
結論を出す期日も、起案時に書いておく。たとえば、撤退の候補として登録した会議の、次の回までに結論を出すと決める。四半期ごとに点検する会社なら、登録から3か月以内である。期日が無いと、再審査そのものが継続審議になり、基準に触れた事業が候補のまま残る。
撤退後に残るコスト
撤退を決めるときの効果の試算にも、注意が要る。事業別の損益に出ている営業損失が、撤退でそのまま消えるわけではない。
設例で確かめる。売上30億円、変動費24億円、直接固定費6億円、本社から配賦された共通費4億円の事業を考える。事業別の損益では、営業損失は4億円である。この事業をやめると、限界利益の6億円を失う。直接固定費の6億円は、契約と雇用の整理が済めば全額が止まるとする。配賦されていた共通費4億円のうち、実際に社外への支払が止まるのは1億円とする。撤退の効果は、マイナス6億円に6億円と1億円を足した1億円である。営業損失の4億円が消えるという試算とは、3億円の差が出る。差の3億円は、支払が止まらない共通費で、残った事業が負担する。
残る共通費を配り直すと、残った事業の損益が悪くなり、次の事業が基準に触れることがある。基準に使う損益は、配賦後の営業損益だけにせず、限界利益と直接固定費までの利益を併せて見る。どの費用がいつ止められるかの測り方は事業撤退で消えないコスト、本社費やシステム費が残った事業に乗り移る前に測るで扱った。
よくある質問
撤退基準の例は
新規事業なら「開始から3年以内に単月の営業損益が黒字にならなければ、撤退の候補として再審査する。延長は一度、最長半年」という形がある。設備投資や買収なら、累積の投資額が当初計画の1.5倍を超えた時点で再審査する、という置き方がある。どちらも設例で、水準と期限は業種と事業の段階に応じて自社で決める。指標、水準、期限、判断者の4つをそろえて書くと、基準として使える。
誰が決めるか
基準そのものは、投資を決裁する会議体が、決裁と同時に決める。経営会議で決裁する案件は経営会議、取締役会で決裁する案件は取締役会である。基準に触れたあとの再審査も、同じ会議体が結論を出す。議事の進行と論点の整理は、事業を推進してきた責任者から離れた立場の人が担う。投資委員会の委員長、CFO、経営企画の責任者が候補になる。
基準に触れたら、そのまま撤退になるのか
そのまま撤退にはならない。基準に触れると、撤退の候補として再審査にかかる。継続を望む側が、延長の条件を満たす根拠を数値で示せれば、一度に限って延長する。示せなければ撤退を決める。延長した事業が次の期限でも未達の場合は、再審査を行わずに畳み方の実行へ移る。
- 撤退基準は起案時に決める。撤退が必要になってからでは、サンクコストと推進してきた人の立場が判断に入る。
- 基準は数値と期限の両方で置き、延長は一度だけとする。延長の幅と条件も起案時に書く。
- 基準に触れたときの手続きまで書く。継続を望む側が根拠を示し、決裁した会議体が、事業から離れた立場の人の進行のもとで、期日までに結論を出す。効果の試算では、撤退後に残るコストを分けて見積もる。
次に読むなら、撤退後に残る費用の測り方を扱った事業撤退で消えないコスト、本社費やシステム費が残った事業に乗り移る前に測ると、事業を並べて評価する枠組みを扱った事業ポートフォリオの見直し方、ROICと成長性で事業を仕分ける手順を勧める。



