保険の更新時期になると、総務から稟議が回ってくる。前年と同じ内容で、保険料が数パーセント上がっている。理由の欄には「料率改定のため」とだけ書かれている。決裁欄に判を押しながら、この契約がなぜ必要なのかを説明できる人が社内に一人もいないことに気づく。掛け過ぎと無防備は、同じ原因から同時に生まれる。 どちらも、耐えられる損失額を決めていないからだ。順序が「見積りを比べる」から始まっている限り、比べているのは保険料の多寡だけで、リスクの多寡ではない。
POINT
自家保有を選ぶということの意味を、会計と税務の側から確認しておく。企業会計原則注解18は「将来の特定の費用又は損失であつて、その発生が当期以前の事象に起因し、発生の可能性が高く、かつ、その金額を合理的に見積ることができる場合には、当期の負担に属する金額を当期の費用又は損失として引当金に繰入れ、当該引当金の残高を貸借対照表の負債の部又は資産の部に記載するものとする」としたうえで、「発生の可能性の低い偶発事象に係る費用又は損失については、引当金を計上することはできない」と明記している。火災も訴訟も、まだ起きていない以上は当期以前の事象に起因していない。だから備えを引当金として積むことはできない。 税務側にも逃げ道はない。異常危険準備金の損金算入を認める租税特別措置法第57条の5は、対象を保険業法第3条第1項に規定する免許を受けて損害保険業を行う法人などに限定しており、事業会社は使えない。同法第57条の6の原子力保険・地震保険に係る異常危険準備金も同様である。つまり自家保有とは、損失が出た期にその全額を一括で損益と自己資本にぶつけるという選択にほかならない。逆に、保険料は原則として期間の経過に応じて費用になる。法人税基本通達9-3-5は、定期保険または第三分野保険の保険料について、保険金または給付金の受取人が法人である場合も、被保険者またはその遺族である場合も、その支払った保険料の額は原則として期間の経過に応じて損金の額に算入するとしている。保険とは、一撃で来る損失を、平準化された費用に変換する装置である。 だから決めるべき数字は保険料ではなく、一撃で受け止められる金額のほうだ。そしてこの決定は、経理や総務の裁量ではない。会社法第362条第4項第6号は、企業集団の業務の適正を確保するために必要なものとして法務省令で定める体制の整備を取締役に委任できない事項とし、会社法施行規則第100条第1項第2号は、その体制の一つとして「当該株式会社の損失の危険の管理に関する規程その他の体制」を挙げている。リスクをどこまで自社で抱えるかは、この規程の中身そのものである。最後に、掛け過ぎの温床になってきた節税目的の保険は、令和元年の通達改正で経済性が大きく削られている。法人税基本通達9-3-5の2は、保険期間が3年以上の定期保険等で最高解約返戻率が50%を超えるものについて、資産計上を求める区分を置いた。
見積りを比べる前に、耐えられる金額を決める#
保険の議論が更新業務から抜け出せない理由は単純だ。比較の対象が保険料しかないからである。
同じ補償で保険料が安い提案が出れば、それが正解に見える。だが本当の論点は、その補償が必要かどうかだった。必要性を決める基準がないから、去年と同じ内容が今年も通る。契約は積み上がり、重複が生まれ、誰も解約を言い出せなくなる。
決め方を裏返す。先に決めるのは、自社が一撃で耐えられる損失額である。その金額までは自家保有し、超える部分だけを外に移す。 この順序に変えると、比較の対象が保険料から補償の必要性に移る。
耐えられる金額の決め方は、会社の性格で変わる。上場していて業績予想を出しているなら、修正の開示を要する水準が一つの目安になる。財務制限条項があるなら、抵触までの余裕が制約になる。手元流動性の水準そのものを制約に置く会社もある(資金繰りを止めない|手元流動性をいくら持つべきかの決め方)。どれを採るにせよ、決めるのはCFOであり、根拠を一枚の紙に書けることが条件になる。
書けない金額は、翌年の更新でまた動く。動く基準は基準ではない。
自家保有した分は、会計でも税務でも「積めない」#
自家保有を選んだとき、多くの会社が無意識に想定していることがある。その分を社内に積み立てておけばいい、という発想だ。だが、その積立ては制度上できない。
企業会計原則注解18の四要件を並べてみる。将来の特定の費用または損失であること。その発生が当期以前の事象に起因すること。発生の可能性が高いこと。金額を合理的に見積ることができること。まだ起きていない火災や事故は、二つ目の要件で落ちる。そして注解18は「発生の可能性の低い偶発事象に係る費用又は損失については、引当金を計上することはできない」と明記している。
税務側も同じだ。異常危険準備金の損金算入を定める租税特別措置法第57条の5は、青色申告書を提出する法人のうち、保険業法第3条第1項に規定する免許を受けて損害保険業を行う法人などに対象を限っている。事業会社が「将来の大災害に備えて」積み立てても、損金にはならない。
結論として、自家保有とは自己資本で受けるということである。 積立金の名目で内部留保を区分表示することはできても、それは資本の中の付け替えにすぎず、損失が出た期の損益は一切平準化されない。
この事実は、決算への影響を通じて経営に返ってくる。一撃の損失が出た期は、利益が飛ぶだけでなく、繰延税金資産の回収可能性の判断にも影響しうる。見積りの水準を誰が決めるかという社内ルールが弱い会社では、その期の会計処理そのものが揉める(引当金の見積りは誰が決めるか|数字を作る人と水準を決める人を分ける社内ルール)。
頻度と規模で四つに分けると、保険の出番は狭い#
リスクの一覧を作ると、たいていの会社で数十行になる。全部に保険を検討すると、議論は終わらない。頻度と一件あたりの規模で四象限に置くと、保険を使うべき場所は思ったより狭いことが分かる。
リスクは頻度と規模で四つに分かれる。保険が本当に効くのは、一つの象限だけである。一件あたりの損失の大きさ →
保険で移す
めったに起きないが、起きたら会社が傾く。工場の全焼、大規模なリコール、重大な製造物責任。自家保有の余地がないので、耐えられる金額を超える部分を丸ごと外へ出す
事業のやり方を変える
頻発して規模も大きい。この状態が続くなら保険料は損失の期待値を上回り、引き受け手も限られる。移転ではなく、工程・立地・取引条件そのものを変える判断になる
何もしない
めったに起きず、起きても小さい。保険を掛ける手間と保険料のほうが高い。発生時に費用処理すれば足りる。ここに契約が残っている会社は多い
自家保有して予算に載せる
頻繁に起きるが一件は小さい。輸送中の小破損、少額の品質クレーム。統計的に読めるのでコストとして予算に織り込み、免責を上げて保険料を下げる
発生の頻度 →
保険料の削減余地は、たいてい左下に眠っている。増やすべき補償は左上にしかない。この二つを同時に動かすのが、線引きの実務である。
四象限に置くと、議論の順番も決まる。まず左下を洗い出して落とす。付き合いで続いている契約、過去に発生したことのないリスクへの少額の補償、他の契約と重複している部分。ここは説明のつく削減になる。
次に右下を予算に載せ替える。免責金額を引き上げれば保険料は下がる。下がった分と、自家保有することになる損失の見込みを並べて比べる。この比較は数字で書ける。
そのうえで、左上に資源を集中する。削って浮いた保険料を、耐えられない損失の補償に回す。 全体の保険料が変わらなくても、会社の耐性は上がる。この組み替えができると、保険の稟議は経費の話から資本の話に変わる(資本配分(キャピタルアロケーション)をどう決めるか:CFOの意思決定フレーム)。
掛け過ぎが生まれる三つの経路#
削減の議論に入ると、必ず抵抗が出る。抵抗の中身を分解すると、掛け過ぎの経路は三つに集約される。
一つ目は、取引関係に紐づいた契約だ。金融機関や取引先の紹介で始まり、解約が関係の毀損に見える。これは経済合理性の問題ではないので、経済合理性では動かない。だからCFOが方針として決め、担当者に個別交渉を負わせない。
二つ目は、重複である。施設の火災保険と、包括賠償責任保険と、製造物責任の特約。それぞれ別の時期に別の担当者が契約しているので、重なりが見えない。契約の一覧を補償の対象別に並べ替えるだけで出てくる。
三つ目が、節税目的で入った生命保険だ。ここは制度が変わっている。法人税基本通達9-3-5の2は、保険期間が3年以上の定期保険または第三分野保険で最高解約返戻率が50%を超えるものについて、資産計上する区分を置いた。最高解約返戻率が50%超70%以下なら当期分支払保険料の額の40%、70%超85%以下なら60%を、保険期間の当初40%相当期間まで資産計上する。85%超の場合は、当期分支払保険料の額に最高解約返戻率の70%(保険期間の開始の日から10年を経過する日までは90%)を乗じた金額を、最高解約返戻率となる期間の終了の日まで資産計上する。
ただし例外もある。9-3-5の2のただし書は、最高解約返戻率が70%以下で、かつ年換算保険料相当額が30万円以下の保険について9-3-5の例によるとしている。また9-3-5の(注)2は、保険期間を通じて解約返戻金相当額のない短期払の定期保険等について、当該事業年度に支払った保険料の額が30万円以下であるものを支払時の損金算入として認めている。
この改正で、節税を主目的にした保険の経済性はほぼ消えた。 残っているのは、事業承継や役員退職金の原資といった、保険でなければ組めない目的だけである。目的を書けない契約は、そこで切れる。
決めた線を、取締役会の言葉に置き換える#
線引きが決まったら、置き場所を決める。総務の保険台帳に書いても、翌年の担当者は読まない。
会社法第362条第4項第6号は、企業集団の業務の適正を確保するために必要なものとして法務省令で定める体制の整備を、取締役会が決定し取締役に委任できない事項としている。会社法施行規則第100条第1項第2号は、その体制の一つとして「当該株式会社の損失の危険の管理に関する規程その他の体制」を挙げる。リスクをどこまで自社で抱えるかの線は、この規程の中身そのものである。
だから、決めた内容は次の形にして取締役会に上げる。一撃で耐えられる損失額と、その根拠。その水準を超えるリスクの一覧と、移転しているかどうか。移転していないものについて、なぜ移転しないのか。そして、次の見直しの時期である。
この一枚があると、翌年の更新は数分で終わる。前提が変わっていなければ更新し、変わっていれば線を引き直す。保険料が上がった理由の説明を、担当者に求める必要もなくなる。全社のリスクを財務の言葉に翻訳する取り組みの一部として位置づけると、この作業は保険の枠を超えて効いてくる(全社リスクを財務の言葉に翻訳する|CFOが主導するERMの始め方)。取締役会への出し方そのものも、決議を取る形に直しておきたい(取締役会に出す財務資料|説明のための資料から、決議を取るための資料へ)。
現場では
売上二百億円規模の食品加工会社で、保険料が三年続けて増えていた。総務が持っていた契約は十数本。CFOが最初にやったのは、値下げ交渉ではなく一覧の作り直しだった。契約単位で並んでいた表を、補償の対象別に並べ替えた。出てきたのは三つの事実である。第一に、二つの工場のうち古いほうの火災保険が、建て替え後の再調達価額に対して不足していた。第二に、包括賠償責任保険と製造物責任の特約が一部重なっていた。第三に、役員向けの生命保険が四本あり、うち二本は目的を説明できる人が社内にいなかった。次に、一撃で耐えられる金額を決めた。この会社は業績予想を開示しており、修正の開示を要する水準と、借入契約の財務制限条項までの余裕の、小さいほうを採った。基準ができると、判断は速かった。重複部分は次の更新で整理し、少額の輸送中損害は免責を引き上げて自家保有に移した。目的を説明できない生命保険二本は、解約返戻金の推移と法人税基本通達9-3-5の2の資産計上区分を確認したうえで、税理士と相談して整理の時期を決めた。浮いた保険料は、火災保険の補償額の引き上げに回した。全体の保険料は前年並みで着地している。変わったのは金額ではなく、取締役会に出した一枚の紙だ。耐えられる損失額と、それを超えるリスクの一覧と、移転していない理由が書いてある。翌年の更新の稟議は、その紙の前提が変わっていないことを確認するだけで終わった。
保険料はコストではなく、資本の代替である#
保険を経費として扱っている限り、議論は毎年の値上げ幅に収束する。資本の代替として扱うと、問いが変わる。
一撃の損失に自己資本で耐えるのか、保険料を払って外に出すのか。前者は資本を厚く持つことを意味し、後者は資本を薄くしても事業を回せることを意味する。保険料は、その分の資本を持たなくてよいことに対する対価である。 この見方に立つと、資本構成の議論とつながる(有利子負債はどこまで増やしてよいか|ネット有利子負債/EBITDAで決める資本構成)。
順序を確認しておく。耐えられる損失額を決める。リスクを頻度と規模で四象限に置く。左下を落とし、右下を予算に載せ替え、左上に集中する。目的を書けない契約は切る。決めた線を取締役会の規程に置く。
削るために始めた作業が、結果として補償を厚くすることがある。 それは失敗ではない。掛け過ぎと無防備が同時に消えた、ということだ。
まとめ
企業保険の線引きは、見積りの比較からではなく、自社が一撃で耐えられる損失額の決定から始める。その金額までは自家保有し、超える部分だけを移転する。自家保有の意味は制度の側で確定している。企業会計原則注解18は、引当金の要件として、将来の特定の費用または損失であること、その発生が当期以前の事象に起因すること、発生の可能性が高いこと、金額を合理的に見積ることができることの四つを置き、「発生の可能性の低い偶発事象に係る費用又は損失については、引当金を計上することはできない」と明記している。まだ起きていない火災や事故は第二の要件で落ちるため、備えを引当金として積むことはできない。税務側も同じで、異常危険準備金の損金算入を認める租税特別措置法第57条の5は、対象を保険業法第3条第1項の免許を受けて損害保険業を行う法人などに限定しており、事業会社は使えない。したがって自家保有とは、損失が出た期に全額を一括で損益と自己資本にぶつけるという選択である。対して保険料は、法人税基本通達9-3-5により、定期保険や第三分野保険について受取人が法人である場合も被保険者またはその遺族である場合も、原則として期間の経過に応じて損金の額に算入される。保険は一撃の損失を平準化された費用に変換する装置であり、その意味で資本の代替である。リスクは頻度と規模で四象限に置く。低頻度かつ大規模なものは保険で移す。高頻度かつ大規模なものは移転ではなく事業のやり方を変える。低頻度かつ小規模なものは何もしない。高頻度かつ小規模なものは免責を上げて自家保有し、予算に織り込む。保険料の削減余地は低頻度・小規模の象限に眠っており、増やすべき補償は低頻度・大規模の象限にしかない。掛け過ぎの経路は三つある。取引関係に紐づいた契約、補償対象の重複、そして節税目的の生命保険である。三つ目については、法人税基本通達9-3-5の2が、保険期間3年以上の定期保険等で最高解約返戻率が50%を超えるものに資産計上の区分を置いた。最高解約返戻率が50%超70%以下は当期分支払保険料の額の40%、70%超85%以下は60%を保険期間の当初40%相当期間まで資産計上し、85%超は当期分支払保険料の額に最高解約返戻率の70%(保険期間の開始の日から10年を経過する日までは90%)を乗じた金額を、最高解約返戻率となる期間の終了の日まで資産計上する。ただし同通達のただし書は、最高解約返戻率70%以下かつ年換算保険料相当額30万円以下の保険について9-3-5の例によるとし、9-3-5の(注)2は、解約返戻金相当額のない短期払の定期保険等で当該事業年度の支払保険料が30万円以下のものを支払時損金として認めている。決めた線の置き場所も重要である。会社法第362条第4項第6号は、企業集団の業務の適正を確保するために必要なものとして法務省令で定める体制の整備を取締役に委任できない取締役会の決定事項とし、会社法施行規則第100条第1項第2号はその一つとして「当該株式会社の損失の危険の管理に関する規程その他の体制」を挙げる。したがって、一撃で耐えられる損失額とその根拠、水準を超えるリスクの一覧、移転していないものについての理由、次の見直し時期を一枚にまとめ、取締役会に上げる。この一枚があれば、翌年の更新は前提の変化を確認するだけで終わる。削るために始めた作業の結果として補償が厚くなることもあるが、それは掛け過ぎと無防備が同時に消えたということである。
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