期末が近づくと、営業が値引きをしてでも受注を取ってくる。売上目標は達成し、報酬も満額出る。同じ月の損益計算書では、粗利率が前年から二ポイント落ちている。 営業本部長に確認すると、市況が厳しいという説明が返ってくる。市況は厳しいのだろう。ただし、この会社の報酬の計算式では、営業が値引きを一円する費用がゼロである。 費用がゼロのものは使われる。これは姿勢の問題ではなく、計算式が値引きを無料にしているという設計の問題である。
会計側では、値引きもリベートも既に売上から落ちている
報酬の設計に入る前に、会計側の定義を確認する。社内の管理数値を作り直す必要はなく、会計基準の定義をそのまま使えばよい場面が多い。
収益認識会計基準の適用指針は、変動対価が含まれる取引の例として、「値引き、リベート、返金、インセンティブ、業績に基づく割増金、ペナルティー等の形態により対価の額が変動する場合や、返品権付きの販売等」(第23項)を挙げる。営業が実務上「販促費」と呼んでいるものの大半が、ここに入る。 そして基準第63項は、顧客に支払われる対価を、別個の財又はサービスと交換に支払われるものである場合を除き取引価格から減額するとし、第64項は減額の時期について、関連する財又はサービスの移転に対する収益を認識する時と、企業が対価を支払うか又は支払を約束する時の いずれか遅い方が発生した時点で収益を減額するとしている。支払の約束には、将来の事象を条件とする場合や、取引慣行に基づくものも含まれる。
つまり、期末に「慣行として」支払っているリベートは、会計上は取引慣行に基づく約束として売上から落ちている。 一方で報酬の計算式は、多くの会社で総売上、よくても値引き後の売上までで止まっている。同じ取引について、会社の損益計算書と営業の成績表が別の数字を使っている状態である(値引き・リベート・販促費の管理:ネット売上で見ないと顧客別の採算は読めない)。
貢献利益をどこまで引くか
次に、貢献利益の範囲を決める。原則は一つで、営業が動かせる変数だけを引くことである。
入れてはならないものが二つある。 一つは、営業が動かせない費用である。本社の固定費配賦、為替、原材料市況、工場の操業度差異。これらを入れると、報酬が努力と無関係に動き、制度への信頼が失われる。もう一つは、確定が遅い費用である。詳細な物流実績や年度末に確定するリベートを入れると、報酬の確定が三か月遅れる。遅れた報酬は行動を変えない。
このため、実務では 標準原価と概算の販売費で貢献利益を作り、確定値との差は会社が持つ という割り切りをすることが多い。会計上の限界利益と一致しなくてよい(貢献利益と限界利益で考える採算管理:固定費の壁をどう越えるか)。制度の目的は原価の正確な把握ではなく、順位を変えることだからである。
本人が月次で見られなければ、行動は変わらない
制度が失敗する最も多い原因は、設計の粗さではなく 見えないこと である。
営業担当者が自分の貢献利益を見られるのは、いつか。多くの会社では、月次決算が締まり、部門別の配賦が終わり、翌月の半ばに部長の手元に一覧が届く。担当者本人には届かない。 届いても、案件単位ではなく担当者合計の一行である。この状態で「今期から貢献利益で評価する」と言われた営業は、見積書を書くときに何を見ればよいか分からない。
必要なのは、月次の一覧ではなく 見積時点の表示 である。見積書の作成画面か、営業が使っている表計算のひな型に、その条件で受注した場合の貢献利益と貢献利益率 が出るようにする。標準原価と概算の販売費を使えば、受注前に出せる。値引き欄に数字を入れた瞬間に貢献利益率が落ちるのが見えるかどうかで、値引きの意思決定は変わる。
そのうえで、月次の実績は速報値で確定させる。確定値との差を翌月に精算する運用は避ける。 精算を始めると、担当者は自分の数字を信じなくなり、制度への関心を失う。差額は会社が持ち、年度末に制度全体の水準を見直す材料にする。指標の定義そのものも、営業と経理で同じ辞書を持たないと運用中にずれていく(グループでKPIの定義がずれる|同じ名前の指標が別物を指したまま会議が進む状態を止める)。
返品と事後値引きの戻し方を、先に決める
貢献利益連動にすると、売上連動では顕在化しなかった論点が出てくる。支給した後で、対象の取引が変わる場合である。
会計側は自動的に戻る。収益認識会計基準は、顧客から受け取った又は受け取る対価の一部あるいは全部を顧客に返金すると見込む場合、企業が権利を得ると見込まない額について返金負債を認識するとし、返金負債の額は各決算日に見直すと定める(第53項)。返品権付きの販売については、適用指針が、返品されると見込まれる商品又は製品については収益を認識せず、受け取った又は受け取る対価の額で返金負債を認識し、返金負債の決済時に顧客から商品又は製品を回収する権利について資産を認識するとし(第85項)、販売後、各決算日に、企業が権利を得ると見込む対価及び返金負債の額を見直し、認識した収益の額を変更する(第87項)としている。見積った取引価格そのものについても、各決算日に見直す(基準第55項)。
会計は各決算日に戻る。報酬は戻らない。 ここに設計上の穴が空く。返品率の高い商材、年度末に確定するリベート、検収が翌期にずれる案件では、支給済みの報酬と最終的な貢献利益がずれる。
戻し方は三つしかない。第一が 支給済みの報酬を返還させる。第二が 将来の支給から相殺する。第三が そもそも確定するまで支給を留保する。実務で最も安全なのは第三で、第一と第二には労働法上の制約が正面から当たる。
労務の制約を、制度設計の前に確認する
ここが、経営管理の側から見落とされやすい部分である。報酬の設計は、管理会計の論点であると同時に労務の論点である。
第一に、支給の周期が人件費の総額を動かす。 労働基準法第37条第5項は、割増賃金の基礎となる賃金に、家族手当、通勤手当その他厚生労働省令で定める賃金は算入しないと定める。その厚生労働省令が労働基準法施行規則第21条で、家族手当および通勤手当のほか、別居手当、子女教育手当、住宅手当、臨時に支払われた賃金、一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金を挙げている。この列挙は限定である。 したがって毎月支給するインセンティブは、原則としてこの除外に当たらず、割増賃金の基礎に入る。逆に、実態として一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金であれば、除外の対象になり得る。毎月払いにするか四半期払いにするかは、動機づけの速さの話であると同時に、割増賃金の単価の話である。 制度設計の初期にここを確認しないと、稼働後に人件費が想定を超える。
第二に、歩合の性格を持たせると割増賃金の計算方法が変わる。 労働基準法施行規則第19条第1項は、通常の労働時間の賃金の計算額の求め方を賃金の定め方ごとに規定しており、月によって定められた賃金については 月における所定労働時間数で除すと定める(第4号)のに対し、出来高払制その他の請負制によって定められた賃金については、その賃金算定期間において出来高払制その他の請負制によって計算された賃金の総額を、当該賃金算定期間における総労働時間数で除した金額とする(第6号)。分母が所定労働時間数ではなく総労働時間数である。 さらに労働基準法第27条は、出来高払制その他の請負制で使用する労働者について、労働時間に応じ一定額の賃金の保障をしなければならないと定める。固定給を薄くして歩合を厚くする設計には、この保障給の要請がかかる。
第三に、返還と相殺は賃金の全額払いに当たる。 労働基準法第24条は、賃金は通貨で直接労働者にその全額を支払わなければならないとし、控除ができるのは法令に別段の定めがある場合か、当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合、それがないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合に限られる。支給済みのインセンティブを翌月の給与から差し引く運用は、この協定の有無を確認せずには組めない。
第四に、返品時の戻しを「制裁」として組まない。 労働基準法第91条は、就業規則で減給の制裁を定める場合、その減給は、一回の額が平均賃金の一日分の半額を超え、総額が一賃金支払期における賃金の総額の十分の一を超えてはならないと定める。返品が発生したから報酬を減らす、という組み方をすると、この枠の中でしか動かせない可能性が出る。設計として筋がよいのは、減額の規定を置くことではなく、支給の要件そのものを「確定した貢献利益に対して支給する」と定めておくことである。 前者は成立した報酬を後から削る話になり、後者はそもそも支給要件を満たしていないという話になる。どちらに当たるかは支給要件の書き方で決まるため、就業規則および賃金規程の条文は、社会保険労務士または弁護士の確認を経てから確定させる。
第五に、既存制度からの変更は不利益変更になり得る。 労働契約法第9条は、使用者は労働者と合意することなく就業規則を変更することにより労働者の不利益に労働条件を変更することはできないとし、同法第10条が例外として、変更後の就業規則を周知させ、かつ変更が 労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の事情 に照らして合理的である場合に、労働条件が変更後の就業規則によるとしている。売上連動から貢献利益連動への切替は、貢献利益率の低い商材を担当する営業にとって明確な不利益である。 移行の設計そのものが、この合理性の判断材料になる。
移行には、上限と下限を付けて二期かける
以上を踏まえると、切替の仕方はほぼ決まる。一期で全額を切り替えない。
初年度は、旧制度と新制度の両方で支給額を計算し、新制度の額が旧制度の額を下回る場合の下限と、上回る場合の上限を設ける。下限は不利益の程度を抑えるために、上限は制度の初年度に想定外の支給が出ないために置く。二年目に幅を広げ、三年目で完全移行する。この二期の間に、貢献利益の数字が実際に見積時点で見られているか、月次の速報値が担当者に届いているかを確認する。 届いていない状態で本格移行すると、営業は自分が評価される数字を知らないまま評価されることになる。
あわせて、貢献利益率の低い商材を担当する営業の扱いを決めておく。商材のミックスは営業が選んだものではない。 担当替えや新規開拓の割当が原因で貢献利益率が構造的に低い担当者には、料率を商材群ごとに変えるか、成長率など別の指標を組み合わせる。同じ料率を全社一律で当てると、儲かる商材の担当だけが報われる制度になり、二年目に人が動く。
決めるのは三つ
第一に、報酬の計算式の起点を、会計のネット売上に揃える。 収益認識会計基準第63項は、顧客に支払われる対価を、顧客から受領する別個の財又はサービスと交換に支払われるものである場合を除き取引価格から減額するとし、第64項は減額の時期を、関連する財又はサービスの移転に対する収益を認識する時と、企業が対価を支払うか又は支払を約束する時のいずれか遅い方としている。支払の約束には将来の事象を条件とする場合や取引慣行に基づくものも含まれる。適用指針第23項は、値引き、リベート、返金、インセンティブ、業績に基づく割増金、ペナルティー等や返品権付きの販売を変動対価の例として挙げる。会計側では既に売上から落ちているものが、報酬の計算式にだけ落ちていない。 貢献利益から引く範囲は、営業が交渉と設計で動かせるものに限り、本社費の配賦、為替、操業度差異は入れない。
第二に、見積時点で見えるようにする。 制度が失敗する最大の原因は設計の粗さではなく見えないことであり、月次の一覧が翌月半ばに部長へ届くだけでは行動は変わらない。見積書のひな型に標準原価と概算の販売費を組み込み、値引き欄に入力した瞬間に貢献利益率が動く状態を作る。月次の実績は速報値で確定させ、確定値との差は会社が持つ。翌月に精算を始めると、担当者は自分の数字を信じなくなる。
第三に、労務の制約を制度設計の前に確認する。 労働基準法施行規則第21条が割増賃金の基礎から除外するのは、家族手当、通勤手当、別居手当、子女教育手当、住宅手当、臨時に支払われた賃金、一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金の限定列挙であり、毎月支給のインセンティブは原則としてこの除外に当たらない。 出来高払制その他の請負制によって定められた賃金の割増賃金は、同規則第19条第1項第6号により賃金算定期間の総労働時間数で除して計算され、月給の所定労働時間数とは分母が違う。労働基準法第27条は出来高払制の保障給を求め、第24条の全額払いにより支給済み報酬の相殺には労使協定を要し、第91条は減給の制裁に上限を置く。返品時の戻しは、減額の規定ではなく支給要件の書き方で設計する。 そして労働契約法第9条および第10条により、既存制度からの切替は不利益変更の合理性を問われる。移行は上限と下限を付けて二期かける。



