二次面接まで進んだ候補者がいる。連結も開示も一人で回せる。現職の年収は780万円で、動かすには800万円台の提示が要る。人事と相談すると、話は五分で止まる。同じ範囲の仕事を任せている経理課長が、740万円だからである。 結論はたいてい「では750万円で打診してみましょう」になり、候補者は辞退する。半年後、同じ会話をもう一度する。この会議の議題は候補者の年収に見えるが、決めなければならないのは既存メンバーの等級のほうである。
逆転は見つかるのではない。もう起きている
中途採用の提示額は、その時点の市場で決まる。既存メンバーの年収は、入社時の水準に毎年の昇給を積み上げた履歴で決まる。この二つは、別の市場で別のルールによって決まった値である。一致するほうが偶然である。
だから逆転は、採用のたびに新しく発生するトラブルではない。すでに社内に何組か存在していて、採用がそれを可視化するだけである。 経理は特にこれが起きやすい。人数が少なく、昇進のポストが限られ、担当業務の難易度が上がっても等級が動かないまま数年が過ぎる構造だからである。連結を任され、開示を任され、監査対応の窓口も任されているのに、等級は五年前と同じ。難易度は上がったが、格付けは上がっていない。この状態が、逆転の予備軍である。
逆転を伏せるという判断は、本人が知らないという前提に立っている。その前提は、本人が一度でも転職市場に出た瞬間に崩れる。 そして経理は、崩れやすい職種である。監査法人の担当者、税理士、他社の経理と接点があり、人材紹介会社からの接触も多い。自分の市場価格を確認するのに、転職する必要すらない。 逆転を伏せた結果として起きるのは、その場の穏便な決着と、一年後の退職である。しかも辞めるのは、市場で最も高く売れる人、つまり連結と開示ができる人からになる。
相場表ではなく、自社の等級表を業務で書き直す
打つ手は、外部の水準を持ち込むことではない。社内の等級表を、業務の難易度で書き直すことである。 経理の等級が「主任・係長・課長」のような役職の階段でしかできていない会社では、担当業務が上がっても格付けが動かない。役職には定員があるからである。
書き直す軸は四つで足りる。単体の月次を回せるか。連結を組めるか。開示書類を作れるか。税務申告と税効果を扱えるか。 それぞれについて、指示を受けて作業できる、一人で完結できる、判断して決められる、の三段で見る。この十二の升目に既存メンバーを置くと、逆転がどこにあるかが数字を出す前に見える。そして多くの場合、逆転しているのは年収ではなく格付けのほうである。 年収は格付けの結果にすぎない。
書き直した等級表は、そのまま求人票の言葉になる。ここは制度の側からも要請がある。2024年4月から、労働条件の明示ルールが変わった。労働基準法施行規則第5条の改正により、すべての労働者に対する明示事項に「就業場所・業務の変更の範囲」が追加されている。 厚生労働省の説明によれば、「変更の範囲」とは雇入れ直後だけでなく、将来の配置転換など今後の見込みも含めた、締結する労働契約期間中での変更の範囲を指す。 募集の段階についても、職業安定法施行規則の改正により、令和6年4月1日から、労働者の募集や職業紹介事業者への求人の申込みの際に、従事すべき業務の変更の範囲、就業の場所の変更の範囲、有期労働契約を更新する場合の基準に関する事項(通算契約期間又は更新回数の上限を含む)を明示することが必要になった。
求人票に「連結決算」と書くなら、その業務が将来どこまで変わりうるかまで書くことになる。 これは面倒な追加作業に見えて、実際には等級表の整備を強制する仕掛けとして働く。業務の範囲と変更の範囲を書けない会社は、そもそも等級を業務で切れていない。
是正は上げる方向にしか進まない、という制約を先に飲む
順序を変えると、多くの場合この問題に当たる。既存メンバーの格付けを直すと人件費が増える。では逆転している側を下げればよいか。制度上、その道はほぼない。
労働契約法第9条は、「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない」 と定める。同法第10条は例外として、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ変更が 労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の事情に照らして合理的なものであるとき に効力を認めるが、「新しく採る人が高いので既存の人を下げる」という理由が、この合理性の枠に収まることは考えにくい。 実務上、逆転の是正は上げる方向にしか進まない。
手続も先に見ておく。労働基準法第89条第2号は、常時十人以上の労働者を使用する使用者が就業規則に定めるべき事項として「賃金(臨時の賃金等を除く。)の決定、計算及び支払の方法、賃金の締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項」を挙げている。 等級と賃金の対応を変えるなら、賃金規程の改定である。そして同法第90条第1項は、就業規則の作成又は変更について、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合はその労働組合、ない場合は労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならないとする。 意見聴取と届出の時間を、採用スケジュールに先に組み込んでおく。候補者に内定を出してから賃金規程を直そうとすると、間に合わない。
原資の話も、この順序で考えると形が変わる。是正を先に通す前提に立つと、採用予算の一部が既存社員の是正に回ることになる。 三人採る予定を二人に減らし、浮いた原資で是正を通すという判断が現実的な着地になることが多い。採用人数を守って逆転を放置するのは、一年後に採り直しの費用を払う選択と同じである。 経理の中途採用は、決まるまでに三か月から半年かかる。採り直しの費用は、提示額の差より確実に大きい。
有期や派遣が混じっているなら、別の規律が効く
ここまでは正社員どうしの話で、実は法律が直接の答えを持っていない領域である。短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律の第8条と第9条は、短時間・有期雇用労働者と「通常の労働者」との間の待遇差を規律するものであって、正社員どうしの逆転を規律してはいない。
ただし経理の現場では、有期契約の決算補助や派遣の入力担当が混じっていることが多い。その場合、規律は別に効く。 同法第8条は、基本給や賞与その他の待遇のそれぞれについて、職務の内容、職務の内容及び配置の変更の範囲、その他の事情のうち、当該待遇の性質及び目的に照らして適切と認められるものを考慮して、不合理と認められる相違を設けてはならないとする。同法第9条は、職務の内容が通常の労働者と同一で、かつ雇用関係が終了するまでの全期間において職務の内容及び配置の変更の範囲も同一と見込まれる短時間・有期雇用労働者について、短時間・有期であることを理由とした差別的取扱いを禁じる。
ここで効いてくるのが、先に書き直した等級表である。「職務の内容」と「配置の変更の範囲」を説明する材料が、そのまま等級表になっている。 正社員間の逆転を直すために作った表が、有期・短時間の待遇差を説明する材料としても使える。逆に、等級を役職の階段でしか持っていない会社は、どちらの説明にも詰まる。
決めるのは三つ
第一に、議題を候補者の年収から自社の等級に移す。 中途採用の提示額はその時点の市場で決まり、既存メンバーの年収は入社時の水準に昇給を積み上げた履歴で決まる。別々のルールで決まった二つの数字なので、一致するほうが偶然である。 逆転は採用が生む事故ではなく、すでにある状態を採用が可視化しているだけである。そして経理は、監査法人や税理士や人材紹介会社との接点が多く、自分の市場価格を確認するのに転職する必要がない職種である。伏せて通すという選択肢は、実際には存在しない。
第二に、等級を業務の難易度で書き直し、既存社員の是正を採用の前に通す。 単体の月次、連結、開示、税務の四つについて、指示を受けて作業できる・一人で完結できる・判断して決められるの三段で格付ける。外部の相場表がこの粒度を持っていないことは、分類の側で確認できる。日本標準職業分類は経理を小分類263「経理事務員」までしか割らず、その中に伝票整理事務員と決算係事務員が同居し、原価計算事務員は269として外に置かれている。 相場表に自社の順序を決めさせない。決めるのは自社の等級表である。
第三に、是正が上げる方向にしか進まないことを前提に、原資と手続を先に確保する。 労働契約法第9条は、労働者と合意することなく就業規則の変更により不利益に労働条件を変更することはできないとしており、同法第10条の合理性の枠に「新規採用者が高いから」という理由が収まるとは考えにくい。手続としては、労働基準法第89条第2号により賃金の決定・計算・支払の方法と昇給に関する事項が就業規則の記載事項であり、同法第90条第1項により作成又は変更には過半数組合または過半数代表者からの意見聴取が必要になる。採用スケジュールの前に、賃金規程の改定と意見聴取の時間を置く。 原資が足りないなら、採用人数を減らして是正に回す。逆転を放置して採用人数を守るのは、一年後に採り直しの費用を払う選択と同じである。
売上高420億円の食品メーカーで、経理は九名。CFOが中途採用の提示を三回連続で失注したところから見直しが始まった。三回とも同じ経緯で、最終面接まで進んだ候補者に対して市場水準より80万円から120万円低い提示を出し、辞退されている。 提示額を上げられなかった理由は明快で、連結と開示を一人で担当している主任の年収が712万円であり、これを超える提示を人事が承認しなかったからである。この主任は連結パッケージの回収から精算表、注記の下書きまで実質的に一人で担っており、社内で最も代替が難しい人材だった。等級は係長で、五年間動いていない。 着手は等級表の書き直しからである。従来の等級は主任・係長・課長補佐・課長の四段で、役職の定員に縛られていた。これを、単体月次・連結・開示・税務の四業務それぞれについて、指示を受けて作業できる・一人で完結できる・判断して決められるの三段で格付ける形に変えた。九名を置いてみると、逆転が二組見つかった。連結と開示の両方で最上段にいるのは前述の主任だけで、その主任が九名中五番目の年収だった。 是正は二段階で通している。まず賃金規程を改定し、業務難易度に基づく等級と号俸の対応表を新設した。労働基準法第90条第1項に従って過半数代表者からの意見聴取を行い、届け出るまでに六週間かかっている。この六週間を採用の前に置いたことが、後の交渉を楽にした。 次に、既存九名の格付けを新しい等級表に当てはめた。引き上げは三名で、年間の人件費増は合計218万円。うち168万円が連結・開示担当の主任分で、712万円から880万円になっている。 原資は採用計画から出した。当初の計画は二名採用だったが、一名に絞り、浮いた予算を是正に充てている。CFOの説明はこうだった。一人採るのを諦めた代わりに、いま連結を担っている人が辞めない状態を買った。 求人票も書き直した。2024年4月からの明示ルールに合わせ、従事すべき業務とその変更の範囲、就業の場所とその変更の範囲を記載している。書き直しの過程で分かったのは、従来の求人票が「経理業務全般」としか書いていなかったことである。 新しい求人票では、入社直後は連結の精算表作成と子会社との照会対応、将来的には開示書類の作成と監査法人対応まで、という形で範囲を明示した。四回目の採用は、提示額840万円で決まっている。既存の等級表の中に収まる数字で、例外承認は不要だった。 あわせて、決算期に入っている有期契約の補助二名についても、職務の内容と配置の変更の範囲を等級表の言葉で整理し直している。CFOの総括はこうである。三回失注している間、こちらは候補者の希望額の話をしていた。相手が見ていたのは、この会社では連結ができる人がどう扱われるか、のほうだった。
※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。
提示額が既存メンバーを逆転するのは、採用の失敗ではなく、自社の等級が業務の難易度を映していないことの表れである。経理は自分の市場価格を確かめやすい職種で、伏せて通す道はない。
まず単体の月次、連結、開示、税務の四つを三段で格付ける等級表に書き直し、既存社員の是正を採用の前に通す。是正は上げる方向にしか進まないので、賃金規程の改定と意見聴取の時間を採用スケジュールの前に置き、原資が足りなければ採用人数を減らして回す。







