取締役会で、社外取締役が聞く。当社が上場を続ける意味は何ですか。CFOは翌月、上場維持コストの一覧を持って戻る。監査報酬、株主総会と招集通知の費用、株主名簿管理人、開示支援システム、IR関連費、上場料。合計で年間いくら。そこまでは誰も反論しない。そして誰も何も決めない。 費用の一覧は、それ自体が判断材料に見えて、実は判断を先送りする道具になる。問われているのは費用ではなく、その費用で何を買っているかだからである。
維持コストの一覧は、取締役会で答えにならない
費用の一覧が判断材料にならないのは、比較の相手が置かれていないからである。年間3億円という数字は、それだけでは高くも安くもない。比較すべきは「上場していなければ払わなかった費用」ではなく、「上場していることで得ている調達力・信用・人材へのアクセス」の側である。 そして後者は、費用の一覧を作っても出てこない。
だから、最初に作るべき表は費用の一覧ではない。過去五年間、市場をどう使ったかの実績表である。 見る欄は三つでよい。
第一に、公募増資・第三者割当・転換社債による調達額。エクイティで実際に外から入れた金額を年別に並べる。ゼロの年が五年続いているなら、上場の第一の機能は使っていない。
第二に、株式を対価に使った実績。買収の対価に自社株を使ったか。株式報酬を役員・従業員に配ったか。株式を通貨として使っていない会社では、株式に市場価格がついていることの意味が薄い。
第三に、上場を条件にした取引・採用の実績。取引基本契約に上場会社であることが前提として書かれているか。採用の応募動機で「上場会社だから」がどの程度出ているか。 これは定量化しにくいが、人事に聞けば感触は出る。
三つの欄が全部ゼロに近く、それでも維持コストを払い続けているなら、上場は資金調達の手段ではなく、単なる状態になっている。 状態にコストを払い続ける理由は、取締役会で説明する必要がある。
説明できるのは「使う予定」の側だけである
維持を選ぶ場合、取締役会に出すべきものは費用対効果の計算ではない。今後三年から五年で市場をどう使うかの計画である。 これは資本政策そのものであり、費用の議論とは水準が違う(キャピタルアロケーション(資本配分)の決め方、原資と使い道の優先順位)。
書くべき内容は具体的である。いつ、いくら、何のためにエクイティで調達するのか。 設備投資なのか、買収の対価なのか、研究開発の先行投資なのか。借入で賄えない理由は何か。「必要になったときに機動的に調達できる」は計画ではない。 機動的に調達できるかどうかは、そのときの流通株式時価総額と売買代金で決まる。今その二つが基準ぎりぎりの会社は、必要になった日に調達するのが難しい。
もうひとつ書くべきは、流動性を厚くする施策とその期限である。 政策保有株式の解消を相手方に申し入れるのか、大株主に一部売却を求めるのか、自己株式を処分するのか。流通株式比率を上げる施策は、どれも既存株主との交渉であって、社内の決断だけでは進まない。 だから期限と担当を決める必要がある。
逆に言えば、この二つを書けない会社は、維持を選ぶ理由を書けていない。 そのときに残る選択肢が、非公開化である。
退く側の手続は、上場廃止では終わらない
非公開化を検討する際、実務で最も見落とされるのが上場廃止と開示義務の終了は別だという点である。
金融商品取引法第24条第1項は、有価証券報告書を事業年度経過後三月以内に内閣総理大臣に提出しなければならないとし、同項ただし書が一定の場合に承認を受けたときは提出を要しないとしている。その承認の要件を定めるのが同法施行令第4条第2項で、承認できる場合として、清算中の者、相当の期間事業を休止している者、そして「内閣府令で定めるところにより算定した当該有価証券の所有者の数が内閣府令で定める数未満である者」の三つを置く。 承認申請書には、同条第1項により定款・株主名簿の写しその他の内閣府令で定める書類を添えて金融庁長官に提出することが求められる。
含意はひとつである。上場廃止だけでは、有価証券報告書も内部統制報告書も止まらない。 金融商品取引法第24条の4の2は、有価証券報告書を提出しなければならない会社のうち政令で定めるものに対して、記載内容が金融商品取引法令に基づき適正であることを確認した旨を記載した確認書を有価証券報告書と併せて提出することを求め、同法第24条の4の4は内部統制報告書の提出を求めている。株主が散らばったまま上場だけをやめた会社は、開示コストを払い続けながら市場の便益だけを失う。 最も悪い着地である。
だから、非公開化の設計は株主数の集約とセットで組む。会社法第179条は、株式会社の総株主の議決権の十分の九(定款でこれを上回る割合を定めた場合はその割合)以上を有する特別支配株主に、他の株主に対する株式等売渡請求を認めている。 公開買付けの結果として9割に届かなければ、この経路は使えない。届かない場合は株式併合による方法を検討することになるが、こちらは株主総会の特別決議を要し、反対株主の株式買取請求と価格決定の申立てが付いてくる。 どちらの経路を取るにせよ、「買付けに応じない株主が一定数残る」ことを前提に日程と資金を組む。
そして、非公開化の資金は買付価格だけではない。買付資金を借入で賄うなら、その返済原資は買収後の会社のキャッシュフローである。 上場をやめた会社は、株式による調達の選択肢を失った状態で、その借入を返す。上場していたころより財務の自由度は下がる。 銀行が見る指標も変わる(有利子負債はどこまで増やしてよいか、ネット有利子負債/EBITDAによる上限の置き方)。この点を検討の初期に置かないと、価格の議論だけが先に進む。
開示の負担は、実は軽くなる方向に動いている
維持コストの一覧を作るとき、開示の負担を過去の実感で見積もっていることがある。ここは制度が動いた。2023年11月に成立した金融商品取引法等の一部を改正する法律(令和5年法律第79号)により、四半期報告書が廃止され、上場会社等には半期報告書の提出が求められることになった。 施行は2024年4月1日で、施行日以後に開始する四半期会計期間に係るものから四半期報告書の提出が不要になる。 四半期開示は取引所規則に基づく四半期決算短信に一本化された。
これは、上場維持コストの見積もりを一段下げる要因である。「開示が重いから非公開化」という論法は、この改正の後では以前ほど強くない。 逆に言えば、非公開化を選ぶ理由は開示の重さではなく、経営判断の時間軸を市場から切り離すことの側に置くしかない。四半期ごとに業績の説明責任を負う状態では取れない投資、たとえば数年間の利益を落として構造を作り替える類の意思決定を取りたいのか。そこが論点の核心である。 費用の一覧では、この論点に届かない。
売上高310億円の産業用部材メーカー。プライム市場に上場して18年になる。創業家の持株比率が合計41%、取引先である素材メーカー二社が合わせて19%を政策保有として持ち、金融機関の持分を含めると、動かない株が7割を超えていた。 流通株式時価総額も売買代金も基準は上回っていたが、余裕は小さい。売買代金は1日平均で0.24億円前後の月が続いていた。取締役会で社外取締役から上場継続の意義を問われ、CFOが最初に出したのは年間の維持コスト2.4億円という数字である。議論は「では非公開化しますか」で止まり、次の月も同じ場所から始まった。 二回目でCFOは資料を差し替えている。出したのは過去五年の実績表だった。エクイティによる調達額は五年間ゼロ。株式を対価とした買収はゼロ。株式報酬は役員賞与の一部として導入されているが、金額は年間2,800万円で、上場の維持コストとは桁が違う。唯一意味があったのは採用で、人事の集計では新卒応募者のアンケートで「上場企業であること」を志望理由に挙げた割合が34%だった。 ここから議論の形が変わっている。取締役会は二つの宿題を置いた。第一に、今後三年でエクイティを使う計画があるかを事業側に確認すること。第二に、政策保有株式を持つ素材メーカー二社に解消を申し入れられるかを検討すること。一つ目の答えは、海外の同業を買う構想があり、対価に自社株を使える可能性があるというものだった。 二つ目については、片方の一社が保有比率の引き下げに応じる意向を示し、もう一社は取引関係を理由に難色を示している。この時点で、上場維持は「使う予定がある」側の説明が成り立つようになった。 ただし条件付きである。取締役会は、三年以内に株式を対価とする案件が具体化しない場合、および流通株式比率の改善が進まない場合には、非公開化の検討に戻ることを議事録に残した。あわせて、非公開化を選ぶ場合の下調べも並行して行っている。 創業家の41%を軸に公開買付けを行っても、9割に届くかは読み切れない。会社法第179条の売渡請求が使えない場合には株式併合の経路になり、反対株主の買取請求と価格決定の申立てを織り込む必要がある。さらに、上場廃止をしても有価証券報告書の提出義務は自動では消えず、金融商品取引法第24条第1項ただし書の承認を得るまで続くことを法務部門が確認している。 CFOの総括はこうだった。一回目の会議で出した2.4億円という数字は、正確だったが役に立たなかった。取締役会が知りたかったのは、その2.4億円で何を買い続けるつもりなのか、だった。
※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。
上場維持か非公開化かで決める三つ
第一に、費用の一覧ではなく、市場を使った実績表から議論を始める。 過去五年のエクイティによる調達額、株式を対価に使った実績、上場を条件とした取引・採用の実績。三つがゼロに近いなら、上場は資金調達の手段ではなく状態になっている。 状態にコストを払う理由は、取締役会に対して別途説明が要る。
第二に、維持を選ぶなら、今後三年から五年で市場をどう使うかを書く。 いつ・いくら・何のためにエクイティで調達し、借入で賄えない理由は何か。あわせて流通株式比率を上げる施策と期限を置く。制度が見ているのは会社の大きさではなく市場で動く株の厚みで、東京証券取引所は上場維持基準に時価総額の基準を設けず、流通株式時価総額の基準は新規上場基準と上場維持基準の両方に置いていると明示している。 売買代金の基準も、機関投資家の注文が円滑に執行されるだけの取引量を最低限の流動性として置いたものであり、算定は12月末日以前1年間の売買立会での金額の日次平均による。今その二つが基準ぎりぎりなら、必要になった日の調達は難しい。
第三に、退くなら、上場廃止の先まで設計する。 上場廃止と開示義務の終了は別で、金融商品取引法第24条第1項ただし書の承認を受けるまで有価証券報告書の提出義務は残る。承認の要件は同法施行令第4条第2項が三つに限っており、そのひとつが所有者の数が内閣府令で定める数未満であることである。株主が散らばったまま上場だけをやめると、開示コストを払い続けながら市場の便益だけを失う。 株主数の集約まで含めて設計する。会社法第179条の株式等売渡請求には総株主の議決権の十分の九以上が必要で、届かない場合は株式併合の経路になり、反対株主の買取請求と価格決定の申立てが付く。そして買付資金を借入で賄うなら、返済原資は株式による調達手段を失った後の会社のキャッシュフローである。
なお、開示負担を理由に非公開化を語るなら、制度の変化を織り込む。令和5年法律第79号により四半期報告書は廃止され、2024年4月1日以後に開始する四半期会計期間から半期報告書に一本化された。開示の重さは、以前より非公開化の理由になりにくい。 残る理由は、四半期ごとの説明責任の下では取れない投資を取りたいかどうかである。
上場を続けるかどうかは、維持コストの額では決まらない。取締役会に最初に出すのは、過去五年に調達・株式対価・上場を条件にした取引と採用で市場をどう使ったかの実績表である。三つともゼロに近ければ、上場は資金調達の手段ではなく、単なる状態になっている。
維持を選ぶなら、エクイティで調達する時期・金額・用途と、流通株式比率を上げる施策の期限を書く。書けなければ非公開化が選択肢に残るが、上場廃止だけでは有価証券報告書の提出義務は消えない。株主数の集約と買付資金の返済原資まで設計してから選ぶ。



