役員会で、開示体制について質問が出る。決算開示は誰が作っていますか。経理部長が答える。開示担当が一名、あとは補助が二名です。ここで会話が終わることもあれば、次の一問が来ることもある。 次の一問は、その一名が明日から来なくなったらどうなりますか、である。答えられる会社は少ない。そして答えられない状態を、社内では「属人化」と呼んでいる。この呼び方では、問題が実際より軽く扱われる。
「あの人が抜けたら」ではなく「あの人が二週間休んだら」で考える
事業継続リスクとして扱おうとすると、議論はすぐに退職の話になる。退職を想定すると、対策は採用の話に流れる。そして採用は半年かかるので、結論は先送りになる。
現実に起きるのは、退職より先に、もっと短い不在である。インフルエンザ、家族の入院、忌引、そして本人の疲弊。開示の担当者は、期末から45日と、その後の3か月に負荷が集中する。この期間に二週間抜けるだけで、期日は動かせない。 期日が動かないという点が、他の経理業務との大きな違いである。
期日を確認しておく。東京証券取引所は決算短信について、決算期末後30日以内(期末が月末である場合は翌月内)の開示が望ましく、遅くとも決算期末後45日以内に開示することが適当としたうえで、開示時期が決算期末後50日を超えることとなった場合には、その理由及び翌事業年度以降における開示時期に係る見込み又は計画を開示することを求めている。有価証券報告書は、金融商品取引法第24条第1項により事業年度経過後3月以内の提出である。半期報告書は、2024年4月1日以後に開始する四半期会計期間から第1・第3四半期の四半期報告書が廃止され、第2四半期報告書に代えて置かれたもので、当該期間経過後45日以内の提出となる(特定事業会社は60日以内)。
出典:東京証券取引所「決算短信・四半期決算短信作成要領等(2026年7月版)」の「決算短信の開示時期について」(日本取引所グループ、2026年10月1日確認)
これらの期限には、担当者の体調を織り込む余地がない。 決算が遅れれば会計監査人と協議して事情を説明する場面もあるが、短信の遅延は理由の開示という形で外部に残る。一人体制のリスクは、確率の低い退職ではなく、確率の高い短期不在で顕在化する。
二人目を入れる順番は、短信からではない
二重化に着手すると、たいていの会社は決算短信から手をつける。期末後に最初に来る書類だからである。この順番では、二人目が育ちにくい。
短信は、45日以内の開示が適当とされる最も短い日程と、数字が固まりきる前に作り始めるという二つの条件を同時に抱えている。日程が短い工程を練習台にすると、間に合わないという理由で結局は一人目が全部巻き取る。 そして翌期も同じことが起きる。二人目には「一度手伝ったが結局やらせてもらえなかった」という経験だけが残る。
入口として適しているのは、会社法の計算書類である。 会社法第435条第2項は、株式会社が各事業年度に係る計算書類及び事業報告並びにこれらの附属明細書を作成しなければならないと定め、同条第4項は計算書類を作成した時から十年間、当該計算書類及びその附属明細書を保存しなければならないとする。第440条は、定時株主総会の終結後遅滞なく貸借対照表(大会社にあっては貸借対照表及び損益計算書)を公告することを求める。
計算書類が入口に向くのは、二つの理由による。第一に、数字の出所が短信・有報と同じである。 新しく作る数字はほとんどなく、様式と表示区分が違うだけである。第二に、判断の量が少ない。 見積りの水準や注記の要否は、すでに短信の段階で決着している。同じ数字を別の様式に組み直す作業なので、判断の負荷に押されずに開示の全体像をつかめる。
計算書類を一期通したら、次は有価証券報告書の後半、記述情報以外の財務諸表部分に移す。ここも数字は短信と共通で、様式と注記の粒度が変わるだけである。短信は最後に渡す。 日程が最も短く、数字が動きながら作る工程だからである。順序を逆にすると、渡す側も渡される側も、毎期同じ場所でつまずく(決算短信の作成手順、45日開示から逆算する制作スケジュール)。
外注できる範囲には、法律側の壁がある
社内に二人目を置けないなら外に出す、という発想は自然である。ただし、最も相談しやすい相手には出せない。
公認会計士法は、大会社等について、監査証明業務と一定の非監査証明業務の同時提供を禁じている。金融庁の資料は、禁止される業務として 「会計帳簿の記帳の代行その他の財務書類の調製に関する業務」「財務又は会計に係る情報システムの整備・管理業務」「財産の証明又は鑑定評価業務」「保険数理業務」「内部監査の外部委託業務」 を挙げる。つまり、自社の会計監査人に開示書類の作成を代行してもらうという道は、制度上ふさがれている。 監査人に質問して見解を聞くことと、監査人に書かせることは別である。ここを曖昧にしたまま「監査法人に相談しているので大丈夫です」と説明している会社がある。相談は体制ではない。
では外に出せるのは何か。様式と体裁の作業である。 開示支援ベンダーが提供する編集・組版・XBRLタグ付け・法定様式への当てはめ、前期からの差分チェック、他社事例の収集。ここは外部の能力のほうが高い場合すらある。
出してはいけないのは、数字と文言の内容を決める判断である。 具体的には四つある。会計上の見積りの水準(引当金、減損の兆候判定と認識、税効果の回収可能性)。注記の要否と記載範囲の決定。後発事象の該当性の評価。そして、監査上の主要な検討事項について監査人と交わす論点の合意(KAM(監査上の主要な検討事項)への備えは期末の文面交渉より期中の論点整理)。この四つを外部に出すと、社内に説明できる人がいなくなる。 開示の担当が一人という状態より、判断できる人が社外にしかいないという状態のほうが、事業継続の観点では悪い(経理業務の委託先管理、記帳代行とBPOの品質を指標で確かめる方法)。
引き継ぐのは手順ではなく、数字の出所である
二重化を「引き継ぎ書を作る」と読み替えると、たいてい失敗する。開示の実務で失われるのは操作手順ではなく、数字がどこから来ているかという地図だからである。
作るべきものは一枚しかない。開示書類に載る主要な数字について、どのシステムのどの帳票から取り、誰に確認し、どの資料と一致していなければならないかを並べた表である。 売上高、セグメント別の数字、従業員数、設備投資額、研究開発費、契約残高、リース、金融商品の時価、税効果の内訳。これらは総勘定元帳から素直に落ちてくるものと、人事や法務や事業部から取りに行くものが混在している(注記情報の収集設計、開示に必要なデータを期中の入口で取る仕組み)。
一人でやっている限り、この表は要らない。頭の中にあるからである。 そして頭の中にある限り、二人目は毎回聞きに行くことになり、聞かれる側は自分でやったほうが早いと判断する。表がないことが、二重化を止めている。
表ができたら、その表を使って一度だけ検証する。一人目が関与しない状態で、二人目が計算書類を一式作る。 質問は書面でのみ受け付け、口頭での補足をしない。ここで詰まった行が、そのまま引き継げていない箇所である。 手順書の網羅性を議論するより、この一回のほうが早い(経理の属人化を解消する手順、担当者が替わっても締まる標準化)。
開示の一人体制を解消するために決める三つのこと
第一に、開示の一人体制を、人事の課題ではなく内部統制の課題として役員会の議題に上げる。 財務報告に係る内部統制の実施基準は、主として経理部門が担当する決算・財務報告に係る業務プロセスのうち全社的な観点で評価することが適切と考えられるものを、全社的な内部統制に準じて全ての事業拠点について評価するとし、その例として総勘定元帳から財務諸表を作成する手続、連結財務諸表作成のための仕訳とその内容を記録する手続、そして財務諸表に関連する開示事項を記載するための手続を挙げている。全社統制に準じるものとして評価される手続が、一人の中でしか再現できない。 想定すべきは退職ではなく、確率の高い二週間の不在である。決算短信は決算期末後45日以内が適当で30日以内が望ましく、50日を超える場合は理由と翌事業年度以降の見込みを開示することになる。有価証券報告書は事業年度経過後3月以内、半期報告書は当該期間経過後45日以内。期日の側に、体調を織り込む余地はない。
第二に、渡す順番を、期末後に来る順ではなく判断の少ない順に変える。 入口は会社法の計算書類である。会社法第435条第2項が各事業年度に係る計算書類及び事業報告並びにこれらの附属明細書の作成を求め、同条第4項が計算書類を作成した時から十年間の保存を求め、第440条が定時株主総会の終結後遅滞なく貸借対照表の公告を求めている。この書類は、数字の出所が短信と同じで、見積りの水準はすでに決着している。 次に有価証券報告書の財務諸表部分、最後に決算短信。最も日程の短い工程を練習台にすると、間に合わないという理由で毎期一人目が巻き取る。
第三に、外注の範囲を、作業と判断の境目で区切る。 公認会計士法は大会社等について監査証明業務と一定の非監査証明業務の同時提供を禁じており、金融庁の資料は禁止業務として会計帳簿の記帳の代行その他の財務書類の調製に関する業務などを挙げている。自社の会計監査人に開示書類を作らせる道はない。 出せるのは編集・組版・XBRLタグ付け・様式当てはめ・差分チェックまで。出してはいけないのは、見積りの水準、注記の要否、後発事象の評価、監査上の主要な検討事項の論点である。 そして引き継ぐ実体は手順ではなく、開示に載る主要な数字がどこから来て誰に確認し何と一致すべきかを並べた一枚の表である。表ができたら、一人目が関与しない状態で二人目に計算書類を一式作らせる。詰まった行が、引き継げていない箇所である。
売上高680億円、従業員1,100名の産業機械メーカー。東証プライム上場で、開示担当は経理部の課長代理が一名、補助が二名という体制だった。この課長代理は前職が監査法人で、入社八年目。短信も有報も計算書類も、実質的に一人で組んでいる。 問題が表に出たのは、決算発表の九日前に本人がインフルエンザで四日間欠勤したときである。補助の二名は数値の集計はできたが、サマリー情報の各欄がどの数字と一致していなければならないかを説明できなかった。発表は予定どおり行われたが、本人が発熱したまま自宅から作業している。 取締役会でこの経緯が報告され、CFOが体制の見直しを指示した。当初の案は中途採用だった。開示経験者を一名採る、という案である。CFOがこれを止めた理由は単純で、募集をかけても決まるまでに半年から一年かかり、その間の期末が二回来るからである。 代わりに決めたのが、社内の二人目を作る順序である。候補は、連結決算を担当している入社六年目の主任。従来の想定では「まず短信を手伝わせる」だったが、これを計算書類から入る形に組み替えた。理由は、計算書類なら数字が短信と同じで様式だけが違い、株主総会の招集通知に間に合えばよいため、四十五日という壁の外側にあるからである。一期目は計算書類の全体と、有価証券報告書のうち経理の状況の下書きまでを主任が担当した。 並行して作ったのが、数字の出所を並べた表である。開示に載る主要項目を百二十七行に分解し、取得元のシステムと帳票、確認先の部署と担当者、一致すべき他の資料を列に置いた。作ってみて分かったのは、百二十七行のうち三十一行が経理の外から来ていることだった。 従業員数と平均年間給与は人事、設備投資と減価償却の内訳は生産管理、係争案件は法務、主要な設備の状況は各工場。このうち十四行は、課長代理が個人の関係で電話一本で取っていた。 二期目に、検証を一度だけ行っている。課長代理を計算書類の工程から外し、質問は書面のみとした。詰まったのは四行で、いずれも注記の記載省略の判断に関わる行だった。 ここは手順ではなく判断なので、表に「判断者は誰か」の列を足して決着させている。外注についても範囲を見直した。従来は開示支援ベンダーに組版とタグ付けを委託していたが、契約範囲の中に「前期比較で差異が大きい項目の指摘」という項目を追加し、逆に社内で議論が割れた項目について「ベンダーに他社事例を聞いてから決める」という運用は廃止した。他社がどうしているかは材料であって、判断ではない、という整理である。 なお、会計監査人に開示書類のレビューを依頼するという案も出たが、非監査証明業務の同時提供の制約を確認した段階で取り下げている。三期目の期末、課長代理が家族の入院で八日間不在になった。計算書類と有報の財務諸表部分は主任が単独で組み、短信のみ課長代理がリモートで確認している。 CFOの総括はこうだった。採用しなくても二人にはなった。二人にできたのは、配置を変えたからではなく、あの一枚の表があったからだ。
※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。



