新しい銀行の支店長が、副支店長を連れて挨拶に来る。断る理由がない。 決算書を渡し、事業の説明をし、半年後に少額の融資を受ける。一件ずつ見れば、どれも妥当な判断である。 そして三年後、取引金融機関が七行になっている。誰も「七行にする」と決めていない。決めなかった結果として、七行になっている。
取引行数は、方針がないと増えていく
取引行が増えるのは、増やす方針を持ったからではない。打診を個別に評価すると、断る理由が見つからないからである。
打診の内容は、たいてい妥当に見える。既存行より低い金利、既存行が出しにくい期間、補助金や取引先紹介といった付随サービス。そして「まずはお付き合いから」という小さな金額で入ってくる。 一件ずつ稟議に上げれば、いずれも通る。個々の意思決定はどれも合理的で、集計だけが歪む。
これは、借入の条件が個別最適の積み上げで悪い方向へ偏るのと、まったく同じ構造である。平時に見積りを取れば安いほうが選ばれ、案件ごとに最も低い数字を選び続けると全体の形が崩れる(借入は金額より組み方が効く、固定と変動の比率と返済期限の分散)。行数についても、止める仕組みは稟議の様式の中にはない。全社の借入を一枚に並べ、行別のシェアを見る資料でしか止まらない。
そして増えた行数には、目に見えないコストが付いている。決算説明の相手が増え、期中の資料提供の相手が増え、条件交渉の回数が増える。 経理と財務の稼働は行数に比例して増えるが、その工数はどの稟議にも書かれていない。書かれていないコストは、比較でゼロとして扱われる。
金利で取れる幅は、思ったより狭い
行数を増やす最大の理由は、競争を効かせて金利を取りにいくことである。では、金利で動く幅はどれくらいか。
先ほどの調査で、メインバンクとの取引継続を左右する金利の水準は、0.25パーセント以内という回答が58.5パーセントで最も多い。 「僅かでも上昇するなら取引を継続したくない」が16.6パーセントいる一方で、1.01パーセント以上でも許容できるという回答は3.4パーセントにとどまる。
読み方は二つある。一つは、0.25パーセント程度の差は、実際に関係を動かしうるということ。 この幅を取りにいくために二番手行を持つのは、理屈が立つ。もう一つは、行数を増やして取りにいける金利差を大きく見積もらないことである。 同じ信用力の会社に金融機関の間でどれだけの差がつくかを示す公的な統計は見当たらず、ここは実務の感覚による見立てになる。五行を七行に増やしても、得られる差の多くはこの目盛りの中に収まると見ておくほうが安全である。
問題は、その差と引き換えに何を失うかが、金利の比較表に載らないことである。
危機のときに効くのは、行数ではない
同じ調査は、もう一つの数字を出している。将来、自社の経営が傾いたときにメインバンクからの支援を期待できるかという設問(n=9,646)に対し、「期待できる」が20.6パーセント、「ある程度期待できる」が58.2パーセント、「あまり期待できない」が17.4パーセント、「全く期待できない」が3.8パーセントだった。
注目すべきは、この回答が企業規模によって大きく割れることである。中堅企業(n=566)では「期待できる」が37.1パーセント、「ある程度期待できる」が54.1パーセントで、「あまり期待できない」は7.4パーセント。一方、従業員1~5人の小規模企業(n=2,030)では「期待できる」が13.3パーセント、「あまり期待できない」が25.6パーセント、「全く期待できない」が6.9パーセントである。
そして、関係の深さを示す数字もある。経営上の課題や悩みをメインバンクに「日常的に相談している」または「時々相談している」と回答した企業は、全体で79.8パーセント(n=9,706)だった。
これらの数字が示しているのは、危機時の支援の期待が、取引行の数ではなく、自社の状態と情報の深さに紐づいているということである。 七行と付き合っている会社が、三行の会社より支援を受けやすいという構図にはならない。むしろ、行数が増えると一行あたりに割ける説明の時間が減り、どの行も自社を深く知らないという状態になり得る。
危機のときに実際に起きることを書き出すと、行数の意味が変わる。返済猶予や新規の資金供給を求める局面では、複数の金融機関の足並みが揃う必要がある。 揃えるには、旗を振る先が要る。メイン行のシェアが薄く、どの行も「うちが主体ではない」という状態だと、互いの出方を待つ時間が生まれる。 その時間が、資金繰りの猶予より長くなることがある。
方針は、三つの数字で書ける
分厚い規程は要らない。平時に決めておくべきは三つの数字である。
第一に、メイン行のシェアの上限と下限。 下限は、危機時に旗を振ってもらうために必要な水準として置く。上限は、単一障害点にしないための水準として置く。下限だけを置くと上がり続け、上限だけを置くと薄くなる。両側を書く。 水準そのものに正解はないが、決め方には筋がある。メイン行の与信が止まった場合に、残りの行で何か月の資金繰りが回るかを計算し、そこから逆算する。
第二に、二番手以下に置く最低残高。 名義だけの取引は、必要な局面で機能しない。平時に残高を置いていない行が、危機のときに新規で出すことはまずない。 二番手・三番手には、平時から実際の借入を置く。金額の目安は、メイン行が抜けたときに肩代わりを打診できる規模かどうかで決める。
第三に、当座貸越枠と証書貸付の配分。 季節性のある運転資金の山は枠で持ち、恒常的な運転資金と設備投資は証書貸付で持つ。この配分を決めずにいると、季節資金まで証書貸付で調達し、返済期限が積み上がる。 枠については、特定融資枠契約に関する法律に定めのあるコミットメントラインも選択肢に入る。未使用でも手数料が発生するため平時には割高に見えるが、枠の有無は交渉の立場を変える(手元流動性はいくら持つべきか、固定費と月商倍率で自社基準を作る)。
この三つを定めると、行数は結果として決まる。行数を先に決めようとするから、根拠のない議論になる。
打診が来たときの、四項目の様式
方針があっても、打診はその場で来る。判断を場当たりにしないために、A4一枚の評価様式を先に作っておく。 埋める項目は四つで、金利は最後に見る。
第一に、メイン行のシェアがどこへ動くか。 方針で置いた下限を割るなら、条件がよくても採らない。第二に、返済年度の階段がどう動くか。 既に山になっている年度に重なるなら減点する。第三に、財務制限条項と担保・保証の追加要求。 既存契約のクロスデフォルトと連鎖しないかを確認する。第四に、情報提供の負荷。 決算説明、期中の資料提供、面談の頻度が何回増えるか。この四項目目を入れておくと、「付き合いだけの一行」が増えるのを止められる。
そして、新規行を入れるときの原則を一つ置く。総枠を増やすのではなく、既存のどこかの順位を下げる。 これを書いておかないと、方針があっても行数は増え続ける。枠を先に固定して、その中で入れ替える形にする。
金利の水準を最後に見る理由は、順序を逆にすると判断が金利だけで決まりやすいからである。銀行との交渉で押さえておくべき数字を先に用意しておくのと、同じ発想になる(銀行交渉の準備、CFOが事前に固める数字と金利・コベナンツの論点)。
売上高310億円の食品加工会社で、有利子負債の残高は48億円だった。取引金融機関は8行。5年前は4行だったが、地方拠点の新設と設備投資のたびに新しい銀行が入り、8行になっていた。 きっかけは、CFOが着任してすぐに行別の残高を並べたことである。メインバンクとされていた地方銀行のシェアは28パーセントで、二番手が22パーセント、三番手が17パーセントだった。上位三行で67パーセント、残る5行で33パーセントを分け合っている。 社内では「メインバンク」という言葉が使われていたが、実際にはメインと呼べるシェアではなかった。 CFOが確認したのは二点である。メイン行の与信が止まった場合、残る7行で何か月の資金繰りが回るか。そして、直近3年で新規に入った4行から、設備投資の追加資金を打診したことがあるか。一つ目の試算は4.5か月だった。二つ目の答えはゼロで、4行はいずれも打診の対象にすらなっていなかった。 情報提供の負荷も測っている。決算説明が年8回、期中の資料提供が延べ32回、面談が年間で約60回。財務担当2名の年間工数のうち、およそ4分の1がこれに充てられていた。 方針として決議したのは三つの数字である。メイン行のシェアを35パーセント以上50パーセント以下とすること。二番手と三番手には、それぞれ有利子負債残高の15パーセント以上を置くこと。季節性のある運転資金は枠で持ち、証書貸付は設備投資と恒常運転資金に限ること。実行は二年をかけた。 メイン行のシェアは、設備投資の借換のタイミングで28パーセントから39パーセントへ引き上げた。下位5行のうち2行については、残高が1億円を下回った時点で、次の更新を行わない旨を先方に伝えている。取引を切ったのではなく、預金と為替の取引は残し、借入だけを終了させる形にした。 8行が6行になり、上位三行で78パーセントを占める形になった。情報提供の工数は、財務担当2名の年間稼働のうち約6分の1まで下がった。 効果が出たのは三年目である。主力工場の設備更新で追加の資金需要が生じ、しかも同じ期に主原料の価格が上がって運転資金が膨らんだ。メイン行が主体となって二番手・三番手を含めた協調の枠組みをまとめ、着地までに要した時間は3週間だった。 CFOはこう言っている。8行のままなら、3週間では終わらなかった。8行に説明する時間があったという意味ではない。誰が最初に旗を振るかを、その場で決めることになっていたからである。
※設例。会社、数値は説明のために置いた架空のもので、特定の会社の実績ではない。
取引行の方針で決める三つ
第一に、メイン行のシェアの上限と下限を書く。 下限は、危機時に旗を振ってもらうために必要な水準として、上限は単一障害点にしないための水準として、両側を置く。決め方は逆算でよい。メイン行の与信が止まった場合に残りの行で何か月の資金繰りが回るかを試算し、その耐久月数から水準を出す。 金融庁の調査では、経営が傾いた際にメインバンクからの支援を「期待できる」と答えた企業は全体で20.6パーセント、「ある程度期待できる」が58.2パーセントで、企業規模が大きいほどこの割合が高い。支援の期待は取引行の数ではなく、自社の状態と情報の深さに紐づいている。
第二に、二番手以下に置く最低残高と、枠と証書貸付の配分を決める。 平時に残高を置いていない行が、危機のときに新規で出すことはまずない。二番手・三番手には、メイン行が抜けたときに肩代わりを打診できる規模の借入を平時から置く。 季節性のある運転資金は当座貸越やコミットメントラインの枠で持ち、証書貸付は設備投資と恒常的な運転資金に限る。この配分を決めないと、季節資金まで証書貸付で調達し、返済期限が特定の年度に積み上がる。
第三に、打診への評価様式を四項目で作り、新規行を入れるときは総枠を増やさない。 見る順番は、メイン行のシェアがどこへ動くか、返済年度の階段がどう動くか、財務制限条項と担保・保証の追加要求があるか、情報提供の負荷が何回増えるか。金利は最後に見る。順序を逆にすると、金利だけで決まりやすい。 そして新規行を入れるなら、既存のどこかの順位を下げる。枠を先に固定して入れ替える形にしないと、方針があっても行数は増え続ける。 調査で許容できる上昇幅として最も多かった回答も、0.25パーセント以内である。その幅と、行数が増えることで失うものを、同じ紙の上で比べる。
取引行が増えるのは、打診を一件ずつ評価すると断る理由が見つからないからだ。行数を増やして取れる金利差は小さく、危機時の支援の期待は、行数より自社の状態と情報の深さに結びついている。
まず全社の借入を一枚に並べて行別のシェアを出し、メイン行のシェアの上限と下限、二番手・三番手に平時から置く最低残高を書く。打診は四項目の様式で評価し、金利は最後に見る。新規行を入れるなら、総枠は増やさず既存の順位を下げる。



